安積山(あさかやま)
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は歌物語を取り上げます。
なんといっても代表は『伊勢物語』でしょうね。
しかしそれと同じくらい有名なのが、この『大和物語』です。
『大和物語』は作者、成立年とともに未詳です。
天歴年間(947~957)に伊勢物語に続いて成立したらしいということしかわかっていません。
内容は十世紀前半の歌人にまつわる物語を集めた前半と、伝承的な歌にまつわる物語を集めた後半とに分けられます。
今回の話は、本当に古い話のようです。
紫香楽(しがらき)の宮跡(滋賀県甲賀市)から出土した木簡には、この話にでてくる歌が書かれていました。
木簡というのを御存知ですか。
昔は紙がなかったので、木を薄く削り、そこに文字を書いたのです。
それも万葉仮名と呼ばれるものです。
漢字を1つ1つ音にして書き連ねました。
この話に出てくる「安積山」の歌はどのように書かれていたのでしょうか。
全て漢字です。
阿佐可夜麻 加気佐閇美由流 夜真乃井能
これをどのように読むのか。
「あさかやま かげさへみゆる やまのいの」と音で読んでいきます。
万葉集に「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」という歌があるのです。
上の句は「浅く」を導き出す序詞です。
さらに「安積山」の歌の書かれた木簡の裏には「難波津に咲くや木の花冬ごもり今は春べと咲くや木の花」の歌がしるされていました。
この歌は今でも百人一首を始める時、最初に朗誦する歌なのです。
紀貫之が記した『古今和歌集仮名序』ではこの二首を「歌の父母」と呼んでいます。
どれほど昔の歌と話を結び付けて、この物語がつくられたのかがわかりますね。
高校では時間がないので、あまり『大和物語』を扱いません。
やはり『伊勢物語』の方が華やかな印象をもっているからでしょう。
本文
昔、大納言の、むすめいとうつくしうて持ち給うたりけるを、帝に奉らむとてかしづき給ひけるを、殿に近う仕うまつりける内舎人にてありける人、いかでか見けむ、この娘を見てけり。
顔容貌、いとうつくしげなるを見て、よろづのことおぼえず、心にかかりて、夜昼いとわびしく、病に
なりておぼえければ、「切に聞こえさすべきことなむある」と言ひわたりければ、「あやし。何事ぞ」
と言ひて、出でたりけるを、さる心設けして、ゆくりもなくかき抱きて、馬に乗せて陸奥国へ、夜とも
いはず昼ともいはず、逃げて往にけり。
安積の郡、安積山といふ所に、庵を作りてこの女を据ゑて、里に出でて物などは求めて来つつ食はせて、年月を経てあり経けり。
この男往ぬれば、ただ一人物も食はで、山中に居たれば、限りなくわびしかりけり。
かかるほどにはらみにけり。
この男、物求めに出でにけるままに、三、四日来ざりければ、待ちわびて立ち出でて、山の井に行きて影を見れば、わがありし容貌にもあらず、あやしきやうになりにけり。
鏡もなければ、顔のなりたらむやうをも知らでありけるに、にはかに見ればいと恐しげなりけるを、いと恥づかしと思ひけり。
さて、詠みたりける。
安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは
と詠みて、木に書き付けて、庵に来て死にけり。
男、物など求めて来て、死にて伏せりければ、いとあさましと思ひけり。
山の井なりける歌を見て帰り来て、これを思ひ死にに、傍らに伏せりて死にけり。
世の古事になむありける。
現代語訳
世間に伝わる昔話のことを古事(ふるごと)と言います。
山の井とは、山の中で湧水がたまって自然にできた井戸のことをさします。
内舎人(うどねり)は貴人に門番・護衛などとして仕えた人です。
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昔、ある大納言がたいへんに美しい娘を育てておられました。
いつか天皇に差し上げようと思っていたのです。
ところが寝殿のおそばにお仕え申し上げていた内舎人だった男が、どういう機会に垣間見たのでしょうか。
娘があまりに美しいので心にかかって、ほかのことが手につかなくなりました。
男は夜となく昼となく娘のことで心がいっぱいで、病気になりそうだというくらいになってしまいました。
そこで「どうしてもお話しなくてはならないことがあります」と娘に言い伝えたのです。
娘は不可解なことをおっしゃいますが、なにごとでしょうかといいながら顔をあわせました。
男は以前から決めていた通り、その時娘を抱きあげて馬に乗せ、陸奥の国へ、夜といわず昼といわず一目散に逃げていきました。
安積の郡の安積山というところに庵を作って、この女を住まわせたのです。
男は人里に出ては、食べ物を探してきて女に食べさせます。
そうしているうちに年月が過ぎていきました。
女は男が食べ物を探しに出ていくと、ただ一人で食べるものもなく山の中にいたので、かぎりなく寂しい思いをしました。
そうこうしているうちについに子供を宿したのです。
男が人里に出ていったまま、三、四日も戻ってこなかったので、待ちわびて、山の中の湧き水に赴きました。
水面に写る自分の様子をみると、かつての自分の姿に似てもいないのです。
本当にみすぼらしい恰好になっていました。
鏡もないので自分の顔つきがどうなっているのかさえ、知らなかったのです。
自分の変わり果てた姿を見て、女はたいそう恥ずかしく思いました。
そして、歌を次のように詠みました。
あさかやま影さえみゆる山の井のあさくは人を思うものかは
(安積山の、姿を写してみえる山の湧き水のように、わたしも夫も相手のことを浅く思ったりしているのだろうか。)
そんなことはないはずなのに、と詠んで、この和歌を木に書き付けて、庵に戻ると自ら、死を選んでしまったのです。
男は、食べ物などを手にして持ってきたものの、女が冷たく横たわっていたので、たいそうやるせなく悲しい気持ちになりました。
女が書き残した山の井の和歌を読んで、さらにつらさが増し、その傍らに横たわり自らも死を選んだということです。
こういう話が昔から伝えられているのです。
垣間見(かいまみ)
昔は主人の家の娘の姿を見るなどということは、めったにあるものではありませんでした。
娘たちは廊下に出ることさえも許されなかったのです。
内舎人のような身分の低い使用人が、主人の娘とはいえ、貴族の娘の顔かたちまでわかる状態で見る機会は、滅多になかったと思われます。
なにかの機会にふと見かけることを「垣間見」(かいまみ)と呼んでいます。
きっとそこからこの事件が生まれたのでしょうね。
和歌の「あさく」は、安積山の地名になぞらえて、山の井の浅いことと、人への思いの深さについての掛詞として使われているのです。
『伊勢物語』にも似たような話があります。
この話よりももっと女性の気持ちによりそった内容です。
リンクを最後のところに貼っておきましょう。
歌物語は読んでいて楽しいです。
ぜひ、機会があったら手にとってみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
余談ですが、安積女子高校は合唱コンクールの最優秀校に何度も選ばれています。
現在は名前をかえて共学になりました。
福島県まで逃げたというところをみると、内舎人だった男の出身地なのかもしれません。