【抗争する人間・今村仁司】他者に認められたいという究極の欲望が戦争に

学び

抗争する人間

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は哲学的評論を扱います。

最初はとっつきにくい文章ですが、何度も噛みしめていると、まさにその通りだと納得させられてしまいます。

人間はなぜ戦い続けるのか。

戦争の最も根本的な原理にまで踏み込んだ評論です。

筆者は社会思想史が専門の今村仁司氏です。

近代西欧の社会や思想の本質を経済学の観点から探求し続けています。

人間は生きている限り抗争を続けるという、ある意味切ない文章です。

どうして戦いをやめられないのか。

それは人間が根源的に持っている欲求が満たされないからだというのが筆者の考え方です。

高校2~3年で扱う教材です。

難しい内容ではありますが、その本質はある意味単純なのかもしれません。

本文の書き出しに近いところを抜き書きします。

読んでみてください。

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なぜ人間は、他人といっしょにいると、あるいは他人に対面すると、暴力的になるのであろうか。

人々は、他人に対面する時、自分が他人よりも価値評価の面で上位にある、優越していると欲望したり期待したりする。

自分の優位性を自分で確信するだけでなく、他人からも自分の価値(自己尊厳)を確認してもらう、あるいは同じことだが他人に強制的に確認させようとする。

人間は自分の内面で自分は何者かであると確信することでは満足しない。

人間は自分のこの確信を他人によって確証してもらいたい、自分の価値を是認してもらいたいと欲望し、その欲望を満足するまでは、他人に対して自分の優越価値を突きつけ続ける。

人間の社会性は他人から自分の存在評価を獲得するという行為にある。

他人からの是認の欲望は激烈であり、それがよくも悪くも人間社会の原動力となっている。

欲望と満足の関係

つまり人間は自分の内部だけで「自分は偉い」と思うだけでは満足できない生き物なんですね。

他人が「あなたは偉い」と認めてくれるまで相手を解放することはないのです。

確かに本質的に人間は孤独です。

社会の中で生きていかなければ、なんの満足も得られません。

相手よりも自分がすぐれているということを、何かの形で確認しながら進まないことには、あまりにもつらいことが多すぎるのです。

その結果はどうなるのでしょう。

誰にでもわかるように、言葉や身振りで相手に圧力をかけます。

そして最終的な評価を得る。

よく言いますね。

他人の話は90%が自慢だと。

ある意味ではこの問題の本質をついているかもしれません。

最近の言葉で言えば、マウンティングです。

どちらが、より優位にいるのかということを瞬時に判断し、そのポイントを稼ごうとするのです。

人間の満足のメカニズムというのは、まさにここに示されている通りかもしれません。

もちろん、自分で自分を評価するというのが原点でしょう。

しかしそれだけでは納得できない、厄介な生き物なのです。

なぜそうなるのか。

もう少し、本文を書き抜きます。

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肉体の欲望の満足は、空腹を満たすと終息するように、欠如の充填である。

空白がなくなれば欲望の動きはその限りで停止する。

しかし、社会的欲望は欠如を知らない。

肉体の満足があっても、社会的欲望は満足しない。

物質的に満足していても、人間は「もっと多く」を欲望する。

社会的欲望は、自分の外部にある他人の精神的行為を、つまりは我を評価してくれる他人の精神を欲望するのであるから、他人の精神が我のほうに方向を向け直すまでは欲望の満足はありえない。

他の人間の存在は、こうして、我の存在、または人格の精神的満足にとって不可欠の条件になる。

戦争のメカニズム

肉体的欲望はある意味単純な構造ですね。

お腹いっぱい食べれば、次の空腹までは何かを食べたいとは思いません。

睡眠も同様です。

しかし社会的な欲望には際限がないのです。

特に権力の持つ魅力は何にも代えがたいもののように見えます。

そのことはロシアや中国の状況をみれば明らかです。

憲法を改め、年齢や任期の制限を全て取り払うことも可能なのです。

それぞれの国が、自国の優位性を最大限に獲得し、あらゆる方法を使ってそれを現実化する道をさぐっています。

その結果として、戦争が引き起こされるわけです。

戦争の基本的なメカニズムについて言及しているところがあります。

少しだけ抜き書きをしましょう。

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戦争は種々の原因から生まれるが、その中でも主要な要因は、集団的存在の優越意識を他の集団から獲得する精神的動機にある。

いずれにしても、結局のところ、他者に優越しようとする欲望は、観念の中でも優越意識であり、それは見せかけの意識であり、つまりは虚栄心である。

内なる暴力

筆者はさらに述べています。

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虚栄心は人間の精神のはたらきである。

経済的不平等を改革するだけでは、また、政治的不平等を改善するだけでは、人間の内なる暴力は解消しない。

そこには倫理の課題が立てられる。

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つまり暴力は本質的に精神的現象だというのです。

暴力で対抗しようとしても、結局はさらなる殺戮が行われる以外に道はないのです。

ではどうしたらいいのか。

精神には精神で向かい合うほかはないと筆者は主張しています。

お互いにマウンティングの取り合いをしているうちは、何も得られるものがありません。

最後は倫理に道を開いてもらう以外にはないのだ、というのが今村氏の意見です。

現在も進行している戦争をみていて、あなたはどういう感想を持ちますか。

このテーマをそのまま小論文にすることは可能です。

抗争することが人間の性だとするなら、抗争をしなくなるためには、何が必要なのか。

今の世界情勢を見ながら、考えたことを書きなさいといわれたら、あなたはどうしますか。

人間には救いがないという視点で書くのか。

それでも人間は生きなければならないと書くのか。

大きな分岐点になるはずです。

社会的な動物である人間の持つ弱点をどのようにしたら修正が可能になるのか。

大変に難しい問題です。

文章の意味が理解できたでしょうか。

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チャンスがあったら、筆者の本を手にとってみてください。

今回も最後までお付きあいいただき、ありがとうございました。

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