【荘子・知足の探求】上り坂の儒家に対して老荘の思想を寓話にした書

文明の現在

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は老荘の思想といわれるうちの1人、荘子の考え方について学びましょう。

突然ですが、人間はなぜ人間でいられるのでしょうか。

他の動物との決定的な違いです。

歴史の授業で習いましたね。

それは火と道具を使うようになったからです。

人間の持つ底知れない力は、まさにこの頭脳の働きによるのです。

産業革命以来、文明の進歩はめざましいものがあります。

多くの機械を作り出し、驚異的な経済成長を遂げました。

宇宙にも進出し、さらに核開発まで成功させたのです。

その結果がまさに現在そのものだと言っていでしょう。

しかし今、文明は行き詰まっています。

SDGsが声高に語られ、脱炭素社会が1つの目標になりました。

なぜここまできてしまったのか。

その根本の原因は何か。

今日の窮状を予見したのは誰だったのでしょうか。

少しだけ、過去に遡ってみます。

今回はその解決のためのヒントとして『荘子』を取り上げます。

荘子は戦国時代の蒙の人です。

生没年もわかっていません。

孟子とほぼ同年代の人です。

『荘子』は彼の代表的な思想書です。

主に寓話を中心にわかりやすく、思想を説いています。

老荘の思想

俗に上り坂の儒家、下り坂の老荘といいます。

儒家の思想は「肯定プラス改善の思想」といえるでしょうか。

老荘の思想は「現行の否定」とでも表現できるかもしれません。

現在の状況を否定して根本から見直そうという発想なのです。

『荘子』は『老子』とともに道家の代表的な著作です。

儒家との違いも同時に考えてみましょう。

ここでは「漢陰の丈人」と儒家の子貢の問答を通してその違いを明らかにしていきます。

ちなみに丈人とは老人のことです。

子貢は孔子の中心的な弟子の1人です。

ここにあげたのは『荘子』の中でももっとも現代に影響を与えている一節です。

書き下し文

子貢、南のかた楚に遊び、晋に反(かえ)らんとして、漢陰を過ぎ、一丈人を見る。

方(まさ)に将(まさ)に圃畦を為らんとす。

隧(あな)を鑿(うが)ちて井に入り、甕(かめ)を抱(いだ)きて出でて灌(そそ)ぐ。

滑滑然として力を用ゐること甚だ多くして、しかも功をみること寡(すく)なし。

子貢曰はく「此に械有らば、一日に百畦を浸す。力を用ゐること甚だ寡(すく)なくしてしかも功を見ること多し。夫子、欲せざるか。」と。

圃を為る者、仰ぎて之を視て曰はく「奈何(いかん)せん 」と。

曰はく「木を鑿ちて機を為(つく)る、後ろ重く前軽し、水を挈(あ)ぐること抽(ひ)くがごとく、数(すみ)やかなること湯の泆(あふ)るるがごとし。

其の名を棉(はねつるべ)と為す。」と。

圃を為る者、忿然として色を作して笑ひて曰はく

「吾、之を吾師に聞く。『機械有る者は必ず機事有り、機事有る者は必ず機心有り。

機心胸中に存すれば、則ち純白備はらず。純白備はらざれば、則ち神なる生、定まらず。

神なる生定まらざる者は、道の載せざる所なり。』と。

吾は知らざるに非ず、羞(は)じて為さざるなり。」と。

子貢瞞然として慚(は)じ、俯きて對(こた)へず。

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はねつるべ(撥ね釣瓶)とは井戸の道具の一種です。

柱の上に横木を渡し、その一端に石を、他端に釣瓶を取り付けて、石の重みで釣瓶をはね上げます。

水をくむ装置としてはごく簡単な構造をしています。

現代語訳

子貢が南の楚に遊びに行き、晋に帰る途中、漢水の南を通りました。

見ると、一人の老人が畑仕事をしています。

地下道にわざわざ入っていって、甕(かめ)を担いで上がってきては、畑に水を注いでいるのです。

大変な重労働のわりに、その効果は少ないようです。

子貢は「機械のからくりを知らないのですか。1日で百畦の畑にも水をあげられますよ。小さな力で効果は大きいのです。

あなたも試してみませんか」と言いました。

お百姓は仰ぎ見て「どうすればいいのか」と訊ねました。

子貢は「木をくりぬいて、からくりを作るんです。後ろを重く、前を軽くします。

小さな力で溢れるほどに多くの水を汲み上げられるのです。其の名を「はねつるべ」といいます。」と答えました。

お百姓は、むっとした顔をした後で、笑って言いました。

私は先生に言われたことがあります。

機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。

機械のための仕事ができると、機械の働きに捕らわれる心ができてしまう。

機械の働きに捕らわれる心ができると、純白の心が失われ、純白の心が失われると、心は安らぎを失ってしまう。

心が安定しなくなると、人の道を踏み外してしまう。』と。

私は機械の便利さを知らないのではありません。

機械に頼って生きようとすることが恥ずかしくて、そうしないだけです。」

子貢は、自らのおせっかいを恥じて、返す言葉を失いました。

極限の状況

機械に心を奪われることを「機心」といいます。

現代はまさにこの状況ですね。

この段を読んで、映画「モダン・タイムス」を最初に思い出す人がいるかもしれません。

機械に人間が操られるようになっていく悲喜劇とでもいえばいいでしょうか。

チャップリンの代表作です。

最初は誰もが笑います。

しかしその後で恐ろしくなっていくのです。

現代はまさにこの状況が極限にまで到達しつつあるのかもしれません。

今はまさにネット時代です。

IT、AIが話題にのぼらない日はありません。

地球全体を覆ったネットは瞬時に情報を運びます。

本来なら人々のコミュニケーションはもっと円滑にならなくてはおかしいのです。

しかし現実はその逆です。

人間関係はかえって遠くなりつつあります。

AI機器を使いこなせなければ、あらゆるシーンで生き残れません。

デジタルデバイスを扱えないということは、情報から疎外されることを意味します。

あなたは『荘子』の内容をどう思いますか。

あふれる欲望に負けて走り続けてきた結果が、まさに現在の構図です。

足るを知る者は富むという言葉があります。

まさに「知足」の思想が今ほど必要な時代はないでしょうね。

人間は機械に頼りすぎてしまいました。

どこまで許容して戻れるのか。

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あるいはもう無理なのか。

これからの大きな課題になりつつあります。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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