【学校という社会の不思議】降格人事を望む人がいるという教師の世界

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学校という社会

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

随分長い間、学校という特殊な社会にいます。

大学を出て2年間サラリーマンしてから飛び込んだので、なおさらその不思議さに圧倒されました。

会社はある意味わかりやすいです。

ひたすら儲けを出さなくてはなりません。

それなしに組織は回っていきません。

だから命令系統もはっきりしています。

どの程度の売り上げがあるのかを予想することもできます。

しかし学校は全く考え方が違います。

公立高校だったので、なおさらにその感が強かったですね。

逆にいえば、儲けなどということを考えてはいけないのです。

ここは私学と全く考え方が違います。

誤解しないでください。

私立の学校がいつも利潤だけを優先して、運営されているという意味ではありません。

自ずと教育目標があり、それに向かっているのは明らかです。

しかし赤字になったのでは話になりません。

そこが基本です。

公立の場合は全て税金で成り立っていますから、利潤などということは全く思考の外にあります。

サラリーマンから教師になった時には、本当に驚くようなことがたくさんありました。

こういう世界でこれから生きていくのだという違和感とでもいったらいいのでしょうか。

一言でいえば、ゆるい社会でした。

誰もが先生

先生という表現がある意味くせ者ですね。

ここでかなり勘違いをしてしまう人もいるようです。

サラリーマンの社会では男性の場合、自分より目下だと「君」をつけることが多いようです。

先輩なら「さん」ですかね。

それ以上になると、肩書で呼ぶこともあります。

よく他の会社にいって名刺をもらってもどちらが上級の役職なのかわからないことがあります。

その場合は「君」と「さん」ではっきりとわかりました。

呼び方が全てなのです。

どちらかが「君」と呼び、「さん」と呼びます。

もちろん、社外の人間には全て敬称を取り払って話します。

しかし社内の人間相互で話している様子をみれば、すぐにわかります。

これが教員の世界では全部、先生になるのです。

若い新人も定年間際の人も全て先生です。

最近ではヒエラルヒーができて、主幹、主任教諭、指導教諭、教諭などといくにつも分けるようになりました。

その他にもいくつかの呼び名があります。

しかしそれは対外的な肩書です。

教員どうしはやはり先生なのです。

これがアブナイですね。

勘違いの元です。

なんとなく偉くなった錯覚を抱くのです。

このあたりから自分で自分のことを「先生」と呼ぶ人もあらわれてきます。

一概に悪いと決めつけることはできません。

幼い生徒に向けて話すときにはわかりやすいという側面もあるからです。

週刊ダイヤモンド

いつでしたか、週刊ダイヤモンドを読んでいたら、ちょっと面白い記事にでっくわしました。

もともとこの雑誌はサラリーマン向けのものだけに、彼らにとってはよほど奇異なことと映ったのでしょう。

それによると、毎年3月、都内の公立校では副校長(教頭)からヒラの先生に降格を申し出る人がいるというのです。

生徒にいたずらをしたり、公金を使い込んだというのではありません。

懲戒処分を受けたワケでもないのです。

それが原因で降格になったのなら、さもありなんと納得もいきます。

全て、本人の強い希望で行われた降格人事だったそうです。

サラリーマンになって誰でもが思うことは、まず出世です。

最近の若い人はそれほどでもないとはいうものの、この階段を一つづつ上っていけば、給料もあがるし、裁量の枠もひろがります。

確かに責任もそれに比例して大きくなります。

決めなくてはならない範囲も増えるでしょう。

ストレスも増えます。

しかし同時にやり甲斐もまたあるというものです。

しかし教員の世界は校長、副校長という管理職以外は全てヒラです。

最近は主幹などを代表にいくつかの職制ができました。

副校長はヒラよりも当然給料があがります。

管理職手当がつくのです。

しかしその労働時間は1日に12時間を軽く超えると言われています。

誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰るのです。

休日の出勤もかなりあります。

まして60歳近くになると、校長への道はそこで閉ざされるのです。

ぎりぎり57歳あたりが滑り込みの年齢かもしれません。

特任校長

以前は校長に昇格できず、1日だけの特任校長という肩書もありました。

退職金に反映するので、一種の救済策のようなものでした。

しかし今はそれもありません。

さらには職員団体との難しい交渉にさらされなければなりません。

現在は労働運動も以前のようではないので、少しは精神的に楽になったかもしれないです。

中間管理職の仕事を全て一手に引き受けると考えれば、わかりやすいでしょう。

校長の補佐ですから、なんでもやらなくてはいけません。

ものすごい数のアンケートやデータ処理の仕事が教育委員会などからまわってきます。

それらを次々とこなしていかなくてはなりません。

エクセルとにらめっこの毎日です。

その間に相談事や苦情が親からもたらされ、教員からも飛び込んできます。

地域のクラブ運営のための活動場所もきちんと把握しておかなくてはいけません。

基本的に相談できるところはありません。

同期の管理職同士で相談するしかないのです。

校長以外、頼れる人はいません。

人事の情報などがもれることがあってはならないので、迂闊に話はできないのです。

近頃では副校長会なる組織も、休暇をとって集まるということまであると聞きました。

そうした情報に教員は敏感です。

管理職試験を受験する教師も少なくなりました。

そのための人材をどうしても確保しておかなければなりません。

要員をプールするために主幹という業務が設置されたという背景もあります。

以前より受験年齢を下げる配慮もしています。

それでもなかなか集まらないのが実態なのです。

サラリーマンにとってはなんでわざわざ降格を願いでるのか。

やはり謎ですね。

せっかく部長になれたのに、また課長や係長に自分から望んでなっていくのです。

会社によっては部署の責任者を降格させるということはあるものの、これは本人が望んですることではありません。

やはり教員の世界の特殊性を思わせます。

今までに何人も降格を希望した人を見てきました。

教壇で好きなことを話している方が確かに楽しそうではあります。

しかし、本心はどうだったのでしょうか。

そこまで詳しく訊ねたことはありません。

管理職同士の人間関係など、複雑な要因もあるようですね。

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すべてがブラックボックスなのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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