和歌の効用
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は『俊頼髄脳』を読みましょう。
この作品は今年の大学入学共通テストにも使われました。
近いうちに、その問題も検討したいと考えています。
古文の評論といえば、歌論書の類いが多いですね。
和歌をたしなむということは、平安貴族たちの教養そのものでした。
どのような修練を積んだら、歌がうまくなるのかというのは、大きな課題だったのです。
そのために、過去の歌を題材にして、それぞれのいいところ、悪いところを指摘する評論が多く書かれました。
そのなかでも『俊頼髄脳』は秀逸なものです。
この本は平安後期に源俊頼によって書かれた歌学書です。
のちに鳥羽院の皇后になった、藤原勲子のために作られた指南書と言われています。
源俊頼は平安後期、院政期歌壇の指導者でした。
1112年ごろ、藤原勲子のために述作したと伝えられています。
歌の道に進むためには、どのようにしたらいいのかという概説をまとめた書です。
内容は多岐にわたり、今日に至るまで、多くの歌人が参考にしてきました。
今回、扱うのはその中で「和歌の効用」と呼ばれている段です。
実作者の立場から具体的な解説がしてあるので、誰が読んでも実感を持って理解できます。
新しい風を和歌の世界に吹く込みたいと念じた彼の志向がはっきりとみてとれるのです。
ここでは『古今和歌集』の仮名序を書いた、紀貫之をとりあげて語っています。
貫之といえば、『土佐日記』をひらがなで書いた歌人としてよく知られていますね。
かなに対する造詣と憧れが人一倍強い人でした。
それ以上に和歌に対する信頼の念が確かだったのです。
原文
貫之が馬に乗りて、和泉の国におはしますなる、蟻通(ありどほし)の明神の御前を、
暗きに、え知らで通りければ、馬にはかに倒れて死にけり。
いかなることにかと驚き思ひて、火の火影に見れば、神の鳥居の見えければ、「いかなる神のおはしますぞ。」と尋ねければ、
「これは、蟻通の明神と申して、物とがめいみじくせさせたまふ神なり。もし、乗りながらや通りたまへる。」と人の言ひければ、
「いかにも、暗さに、神おはしますとも知らで、過ぎはべりにけり。いかがすべき。」
と、社の禰宜を呼びて問へば、その禰宜、ただにはあらぬさまなり。
「汝、われが前を馬に乗りながら通る。すべからくは、知らざれば許しつかはすべきなり。しかはあれど、和歌の道を極めたる人なり。
その道をあらはして過ぎば、馬、さだめて立つことを得むか。これ、明神の御託宜なり。」と言へり。
貫之、たちまち水を浴みて、この歌を詠みて、紙に書きて、御社の柱に押しつけて、
拝入りて、とばかりあるほどに、馬起きて身震ひをして、いななきて立てり。
禰宜、「許したまふ。」 とて、覚めにけりとぞ。
雨雲のたち重なれる夜半なれば神ありとほし思ふべきかは
現代語訳
紀貫之が馬に乗って、和泉国にいらっしゃるということでした。
蟻通の明神の御前を、暗かったので、気づくことが出来ずに通り過ぎたところ、馬が突然倒れて死んでしまったのです。
どういうことであろうかと驚いて思って、松明の火で見たところ、
神社の鳥居が見えたので、貫之が「どんな神様がいらっしゃるのですか。」と尋ねたところ、
「これは、蟻通の明神と申して、とがめ立てをひどくなさる神なのです。
もしや、馬に乗ったまま通り過ぎなさってしまったのか。」と人が言うので、貫之が
「いかにもそのとおりで、暗くて、神様がいらっしゃるとは知らずに、通り過ぎてしまいました。どうしたらよいでしょうか。」
と神社の禰宜を呼んで尋ねると、
その禰宜は明神が乗り移っているためか、ただならぬ様子です。
「そなたは、私(明神)の前を馬に乗ったまま通った。
当然、知らなかったのだから許してやるべきではある。
しかしそうは言っても、そなたは和歌の道を極めた人だと聞く。
その和歌の道を明らかにして通れば、馬は、きっと生き返り、立つことが出来るであろう。
これは、明神のお告げである。」と言ったのです。
貫之は、そこですぐに身を清めて、この歌を詠み、紙に書いて、御社の柱に貼り付けて、参拝をしたということです。
しばらくすると、馬が起き上がって身震いをして、いなないて立ちあがったのです。
禰宜は、「(明神が)お許しくださった」と呟きました。
その歌がこれなのです。
雨雲が重なっている真夜中だから、明神がいらっしゃるとは星も思うことができるだろうか。
和歌の持つ意味
この話のポイントはまさに最後にあるこの和歌に尽きますね。
もう一度、ここで復習してみましよう。
雨雲のたち重なれる夜半なれば神ありとほし思ふべきかは
どういう意味なのでしょうか。
雨雲が立ち重なった夜中なので、空に星があるといっても、蟻通明神様がいらっしゃると思えたでしょうか。
いや、そんなことはありません。
最後の「かは」というのは文法的には「反語」と言います。
そうだろうか、いやそうではないという意味です。
ここには2つの掛詞があります。
ありは「蟻」と「在り」。
とほしは「と星」と「通し」で、2つ合わせて「蟻通(ありとほし)明神」を示します。
能「蟻通」
この話は能にもなっています。
世阿弥の改作と言われているのです。
和歌の神に参詣しようと、紀貫之は従者たちと紀伊国の玉津島へ旅に出ます。
途中、和泉国で、日が暮れ大雨が降り出し、乗っている馬も倒れ臥してしまったのです。
途方に暮れた貫之一行の前に、傘をさし松明を持った宮守の老人が現れます。
宮守は、蟻通明神の前を馬に乗ったまま通ったのなら命は無いだろうと告げます。
そこで貫之は、はじめて暗闇の中に社殿があったことに気付き、畏れ多いことをしてしまったと悔やみます。
宮守は、相手が歌人の貫之だと知ると、明神に歌を手向け詫びるように言うのです。
そこで貫之は「雨雲の立ち重なれる夜半なればありとほしとも思ふべきかは」と歌を詠みます。
宮守は蟻通の名が詠みこまれたこの歌を褒め、和歌の徳を説くのです。
すると、不思議なことに倒れていた馬が元の通りに立ち上がり、鳴き声を上げました。
許された貫之は安堵します。
宮守は蟻通明神が仮の姿で現れたのだと告げ、そのまま姿を消してしまいます。
貫之は喜び、夜明けと同時に、再び玉津島参詣へと旅立つのでした。
神の化身であるシテの姿が神々しいですね。
全てが歌の持つ神秘的な力で構成された能です。
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中世の貴族社会で、どれほど和歌がその力を持っていたのかがよくわかる、代表的な逸話だといえるでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。