マルジャーナの知恵
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
唐突ですが、今回はアリババと40人の盗賊の話をします。
といってもそのあらすじを紹介するのではありません。
そこに登場する女奴隷、マルジャーナの存在の意味についてです。
彼女の利発さについては、あとで本文を参照してください。
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いったいどんなことをしたのか。
ここに急激に変化した資本主義の秘密があるというのです。
そこから、資本主義の本質についてみていきます。
筆者の岩井克人氏は経済学者です。
文明批評の著作も多いです。
冒頭部分を少しだけ読んでみましょう。
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高度情報社会、脱工業化社会、ポスト産業資本主義。
それをどのように呼ぼうと大差はない。
資本主義がその様相を急激に変貌させているという事実が、いやおうなしに我々の目を引くのである。
すなわち、繊維や鉄鋼、さらには化学製品や機械といった「蹴とばせば足が痛い」モノを生産する産業から、技術や通信、さらには広告や教育といった「情報」そのものを商品化する産業へと、資本主義の中心が移動しつつあるのである。
だが、私はここで、あらゆるメディアが喧伝している「情報の商品化」という現象そのものについて語ろうと思っているのではない。
逆に私は、すぐれて現代的なこの現象の中に、ノアの洪水以前から存在していた資本主義という経済機構の秘密を聞き取ろうというのである。
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そして、それがどういうことであるかを述べるためには、昔懐かしい「アリババと40人の盗賊」の物語の中のあの賢く美しい女奴隷マルジャーナの知恵を借りるのが一番の近道である。
マルジャーナは、市場から戻ってくると、家の入り口の扉に白い印がつけられているのを見つけます。
「これは一体どういう意味なのかしら。子供のいたずらかしら。それとも誰かがアリババ様に何か悪事を企んでいるのかしら いずれにしても用心が肝心」
そう呟くと、家の中から白いチョークを持ち出し、隣近所の家の扉に全て同じような印をつけておきました。(中略)
もう1人の盗賊も首尾よくアリババの住んでいる家を捜し出し、今度は赤い印を家の門口に小さくつけておきました。
だがこの盗賊の首もその日がくれる前に宙に舞い、39人の盗賊が38人の盗賊になってしまう運命にあったのです。
なぜならばこの赤い印もマルジャーナの目から逃れることはできなかったからです。
マルジャーナは買い物から帰ってくると、家の中から赤いペンキを取り出してきて、隣近所全ての家の門口に同じような小さな印をつけておいたのです。
賢く美しい女奴隷
彼女は何に気づいたのでしょうか。
門につけられた白と赤の記しるですね。
それにどんな細工をしたのか。
特別なことは何もしていません。
ただ「差異」をなくしたのです。
ここに大きな意味があると筆者は言います。
情報の持つ価値です。
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情報とは、それに使われている物理的な素材でもなければ、記号でもありません。
最初の盗賊は白いチョークで印をつけさえすれば、アリババの家に関する情報が伝えられると考えました。
しかし結局は自分の首を失うことになったのです。
2番目の盗賊は白い印の代わりに赤いペンキで印さえつければ同じ情報が伝えられると考えたのです。
ところがやはり、自分の首を失うことになってしまいました。
ここでポイントになるのは何か。
差異の持つ意味
それは実に単純なことです。
白いチョークの印がアリババの家のありかを示す情報として役に立つためには、どうすればよかったのか。
他のすべての家の扉に白い印がついていないことが絶対条件です。
同じように赤いペンキの印がアリババの家のありかを示す情報になるためには、何が必要ですか。
他のすべての家の門口に赤い印がついていないことが必要十分条件なのです。
他と「違う」という単純なことがらが、実は最も肝心なことでした。
資本主義が発展するということは、どういうことかをもう少し深掘りしてみます。
つまり物質的実体を本質とするものの時代は終わりに近づいたということなのです。
象徴的な表現がありますね。
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「蹴とばせば足が痛い」ものです。
今はむしろどこにあるのかわからないもの。
それはもしかしたら、クラウド上に点在しているのかもしれません。
実体が目に見えないものであることが多いのです。
現在、人は可視化できない「情報」そのものを商品化する方向へ向かっています。
しかし筆者はそのことだけを論じているのではありません。
むしろ、その現象の本質の解説への糸口を主題としているのです。
それだけに、内容はストレートではなく、むしろ周辺をめぐるところから始まっているといってもいいでしょう。
いくつもの言葉がでてきますが、それを全体として象徴しているのが、マルジャーナという女性の話なのです。
象徴的な存在
具体的にはどんな話なのでしょうか。
➀盗賊の隠れ家から金銀財宝を盗み出したのがアリババの兄と知って、盗賊はアリババの家を突き止め、家の門か何かに印をつけた。
②それに気づいたマルジャーナは、近所の家々に同じ印をつけて回った。
この2つだけです。
この作業を繰り返した結果、すべての家に白い印や赤い印が付き、結局わからなくなってしまいました。
ここで筆者は情報の本質とは何かということも述べていますね。
すなわち、それがほかとの違いだというのです。
「差異」という言葉を何度も使ってわかりやすく論じています。
資本主義は「利潤」を追究する経済システムですが、そのために「差異」を常に生み出さなければならない宿命を背負っています。
さらにいえば、資本主義は、いつも2つの異なった価値体系のあいだの違いによって成立しているのです。
「遠隔地」にはかつて十分な情報が届いていませんでした。
「過剰」な人口の場所と足りない場所に住む人口の差は決定的です。
いずれにしても差異が利潤を創り出すという現実には変わりがありません。
資本主義の基本原理はある意味、単純なものなのでしょう。
簡単にいえば、差がないのならば、人工的に作り出さなければならないということなのです。
誰もが気づいていない隙に、強引に差をつくってしまう。
それが利潤を生むのです。
今までなかった新奇で珍しく便利なものを、安価で消費者の目の前にぶらさげる。
対象はなんでもいいのです。
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新しい価値があると認められれば、それは人気商品になります。
昔から、スカートの丈、ネクタイの幅などはごく初歩的な例として俎上にあげられますね。
人間はすぐ単調な日常に飽きます。
そこへ新奇な差異に満ちたものを投げ入れるのです。
現代では、それが複雑な構造で提供されます。
時代はまさにネット全盛です。
いちはやく価値ある情報を商品化することで利潤が増していくのです。
筆者はそれを現代の資本主義に関する「開け、ごま」としているのです。
斬新な視点ですね。
アリババと話から、ここまでテーマを広げる手腕に、舌を巻きました。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。