古今著聞集(ここんちょもんじゅう)
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は説話文学を取り上げます。
『今昔物語集』『宇治拾遺物語』という二大説話集の名前は有名ですね。
高校では最初に必ずここから始めます。
内容が非常にわかりやすいからです。
平安や鎌倉時代の人にとって王朝貴族社会への憧れは深いものでした。
しかしそれだけでは面白くありません。
自分たちの生活の周囲にある庶民的な話題や愉快な話も欲しかったのです。
『古今著聞集』もそうした説話文学の中のひとつです。
古典作品だと思ってかしこまって読むような本ではありません。
中身はかなり生き生きしているのが意外なくらいです。
失敗話や、笑い、うわさ話のような感覚があり、親しみやすい作品ばかりです。
しかし最も中心になるのは、やはり仏の教えの大切さでした。
人間にとって最も大切な道徳を説きながら、生きていくことの意味を示した作品が多いのです。
『古今著聞集』は鎌倉中期、建長6年(1254)に成立した説話集です。
全20巻、700話以上の説話を収録しています。
筆者は橘成季(たちばなのなりすえ)。
鎌倉時代前期の人物で、官職は伊賀守でした。
今回の話の中心は、娘が詠んだ歌の功徳で、神が幸福を授けたというものです。
この時代によくあった「歌徳説話」と呼ばれるジャンルの1つです。
和歌を詠んだことによって神仏の加護や不思議なことが次々と起こります。
霊験という言葉をよく使いますが、いい歌には神が宿るのです。
いわゆる言霊信仰の一種ですね。

古事記、日本書紀の頃から、歌や言葉には願いがかなったり、危機を避けることなどができる力が宿ると信じられていました。
『伊勢物語』では「筒井筒」の話が有名ですね。
他には『大和物語』の「馬ぶねの人」などがあります。
家を出ていった男が結局元の妻のもとに帰ったのは、女が心の底から詠んだ歌の功徳そのもののおかげでした。
こうした話には言葉の持つ宗教的、呪術的な力を読者に印象づける役割があります。
今回の説話のポイントは、母の必死な祈りよりも、むすめが詠んだ一首の和歌が神に届いたという点なのです。
本文
中ごろ、なまめきたる女房ありけり。
世の中たえだえしかりけるが、見めかたち、愛敬(あひぎやう)づきたりける娘をなん持たりける。
十七・八ばかりなりければ、これをいかにもして、めやすきさまならせむと思ひける。
かなしさのあまりに、八幡へむすめともに泣く泣く参りて、夜もすがら御前にて、「わが身は今はいかにても候ひなん。
このむすめを心やすきさまにて見せさせ給へ」
と、数珠をすりて、うち泣きうち泣き申しけるに、この女(むすめ)、参りつくより、母のひざを枕にして、起きもあがらず寝たりければ、暁がたになりて、母申すやう、

「いかばかり思ひたちて、かなはぬ心に徒歩(かち)より参りつるに、かやうに夜もすがら、神もあはれと思し召すばかり申し給ふべきに、思ふことなげに寝給へる、うたてさよ」
とくどきければ、むすめおどろきて、「かなはぬ心地に苦しくて」と言ひて、
身のうさをなかなかなにと石清水(いはしみづ)おもふ心は汲みてしるらむ
と詠みたりければ、母も恥づかしくなりて、ものも言はずして下向するほどに、七条朱雀の辺にて、世の中にときめき給ふ雲客(うんかく)、桂より遊びて帰り給ふが、
このむすめをとりて車に乗せて、やがて北の方にして、始終いみじかりけり。
大菩薩、この歌を納受ありけるにや。
現代語訳
中流ほどの身分の人で、年を取った女房がおりました。
思うようにはいかない暮らしをしていましたが、この女房には容姿が美しく愛嬌のある娘が一人いたのです。
娘は十七、八歳ほどであったので、「何とかして、この娘を良い結婚相手に恵まれる身の上にしてやりたい」と母は願っていました。
かわいさのあまり、母は娘を連れて泣きながら石清水八幡宮へ参詣し、一晩中神前で、
「私はもうどうなってもかまいません。ただ、この子だけは安心できる幸せな身の上にしてやってください。」と、数珠をすりながら何度も涙を流して祈ったのです。
しかし娘は、参詣してからずっと母の膝を枕にして、起き上がることもなく眠っていました。
夜が明けるころ、母は言いました。
「これほどわたしが一心に願って、歩いてここまでお参りしてきたのに、こんなふうに一晩中寝ているなんていったいどうしたことでしょう。
神が情けをかけてくださるほど熱心にお願いすべきなのに、何も気にしていないように眠っているとは、本当にあきれたことだよ。」
と繰り返し責めると、娘は目を覚まし、

「思いどおりにならないつらさで、苦しくて仕方がありません」と言って、この歌を詠みました。
私の身の憂いを、なかなかうまく表現はできませんが、八幡様は私の心をきっと汲んでくださっておられると思います。
(憂さと宇佐(八幡)、言はず、いわしみずの掛詞。清水、汲むは縁語)
その歌を聞くと、母は自分が恥ずかしくなり、何も言わずに都へ帰ることにしました。
その帰り道、七条朱雀あたりを通りかかったとき、当時たいへん勢いのあった高貴な貴族が、桂から遊んで帰る途中でした。
その一行と偶然に出会ったのです。
貴族は娘を一目見て気に入り、そのまま車に乗せて連れ帰りました。
その後、妻としたのです。
そして、生涯にわたってたいそう大切にしたという話です。
これは、八幡大菩薩が娘の歌を受け入れ、その願いをかなえてくださったのであろうという話です。
言霊信仰
この説話の中心は、母の必死な祈りよりも、娘が詠んだ一首の和歌が神に届いたという点です。
娘の歌は「石清水(神社)」と「水を汲む」を掛詞にし、「わざわざ言葉にしなくても、この苦しい心は神が汲み取ってくださるでしょう」という意味を巧みに表現しています。
誠実な心と優れた和歌は神仏にも通じるという、中世文学に共通する信仰と和歌観を描いた作品ですね。

この時代の説話には「すぐれた歌は神仏に通じ、現実を動かす力をもつ」という考え方がしばしば描かれています
歌は文学のレベルを超えて、神仏への奉納や祈願の手段とも考えられていたのです。
説話文学には、神仏の霊験を語る話が非常に多く、和歌が奇跡のきっかけとなる例もいくつかあります。
鎌倉時代後期の『沙石集』(しゃせきしゅう)という作品などは仏教説話が中心ですが、和歌と信仰が結びつく場面が多く描かれています。
「形式よりも誠の心が大切」という考え方が広くとられていたのでしょうね。
言霊(ことだま)信仰といってしまえば、それまでですが、言葉には現実を動かす力が宿るという考えが日本には昔からあったのです。
いわゆる「和歌陀羅尼観(わかだらにかん)」という考え方です。
すぐれた和歌は仏教の陀羅尼(真言)のような功徳をもつという思想です。
もともと日本人にとって、神仏は分離していませんでした。
神仏習合という言葉がありますね。
神と仏は本来一体であり、和歌による祈りは神にも仏にも届くという信仰がそれです。
中世の人々にとって、現世はつらく苦しいことの連続でした。
飢饉や疫病がはやり、人の寿命も短かったのです。
それだけになにかにすがっていかなければ生きていけないという厳しい世の中でした。
多くの作品を読んでいると、和歌を単なる芸術ではなく、祈りや真心を神仏に届ける行為として捉えていたことがよく理解できます。
掛詞や縁語などのさまざまなレトリックも発達していったのは、当然のことといえるでしょう。
これを機会に多くの作品に触れてみてください。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
