【大学入学共通テスト・傾向分析】書く力がいっそう重視される時代へ

学び

採点の難しさ

みなさん、こんにちは。

小論文添削歴20年の元都立高校国語科教師、すい喬です。

いよいよ夏休みになりました。

しかし今年は特筆に値する年です。

おそらくあっという間に終わってしまうことでしょう。

コロナ禍の中、外出もままなりません。

入試を控えているみなさんにとって、ストレスが倍増する夏ですね。

いよいよ来年、2021年1月から大学入学共通テストが始まります。

昨年からいろいろな話題が先行したのはご存知の通りです。

英語の外部試験導入では内容が二転三転しました。

延期になってホッとしたというのが本音でしょう。

それと同時に数学と国語の記述式試験にも振り回されました。

実際にそのための模擬テストを受けた人もいるのではないでしょうか。

その後、問題の解答例が発表になり、大いに話題になりましたね。

このサイトの記事にも取り上げました。

駐車場の契約書などが問題に取り上げられていたのです。

それとあわせてカリキュラムの問題も浮上し、「論理国語」「文学国語」のどちらを必修選択にするのかという議論も重なりました。

geralt / Pixabay

これもつい最近、記事にしたばかりです。

最後にリンクを貼っておきましょう。

いずれにしてもしばらくは今までのセンター試験と同じような問題の作り方をするということで、当面の決着をみました。

何が1番の問題だったのか。

それはなんといっても採点の難しさです。

基準をつくることが想像以上に困難だったのです。

採点者を集めることも至難です。

ベネッセの100%出資会社に採点業務を委託するということにも疑問が発せられました。

流れは書かせる方向へ

それではこの試験はもう中止になるのでしょうか。

結論からいえば、そんなことはありません。

書く力を養うという方向は少しも変わっていないのです。

これはPISAショックと呼ばれた試験結果に由来するものだからです。

聞いたことがありますよね。

OECDが3年ごとに計測している各国の15歳児の能力試験のことです。

そのテストの結果が惨憺たるものだったのです。

このままでは少子高齢化のみならず、日本人の能力そのものまでが落ち込んていく前兆だと怖れられました。

読解力の国際順位が8位から15位へと、大きく順位を落としたことがよほどショックだったのでしょう。

これ以後、読む力は勿論のこと、発信する力をどのように育てるかが、話題の中心になりました。

複雑な国際社会の中で、曖昧な感情表現だけでなく、論理を前面に出した書く、話す力の育成が喫緊のテーマになったのです。

その流れの途上にあるのが、来年からの入試です。

いつまでも以前と同じ質問形式で問題をつくるワケにはいきません。

文科省にも焦りがあります。

なんとしても新しいカリキュラムにのっとった教育観を示す必要にせまられているのです。

その方向の最先端にあるのが「書く力」の育成です。

「小論文」「志望理由書」「自己PRカード」。

入試には書かなければならない書類がいくらでもあります。

他者と同じではいけません。

同じ型でもいけません。

なるべく独自のオリジナリティーにあふれたものを作成する。

それが今、必要とされているのです。

始めに言葉ありき

はっきり言って難問です。

書くことの根本はなんでしょう。

そこから考えていかなければなりません。

「始めに言葉ありき」という表現は聞いたことがありますよね。

geralt / Pixabay

新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭の記述を日本語に訳した表現です。

つまり万物は言葉によって成り、言葉によらないで成ったものはひとつもないということを示しているのです。

言葉がいかに大切なものであるかということの証しだと考えてください。

言葉がなければ自分の考えを前に押し出すことはできません。

ではどうしたら自分のものにできるのか。

そのためには苦しまなければなりません。

呻吟するのです。

うめくのです。

格闘するといってもいいかもしれません。

その戦いの軌跡が自分の言葉を獲得する作業だと考えればいいでしょう。

そんなに大変なのか。

はっきり言っておきます。

ものすごく厳しい道のりです。

1年間、小論文の勉強をしたからといってすぐに身につくようなものではありません。

それならばやらない方がいいじゃないか。

もしかしたらそうかもしれません。

しかし敢えていいます。

勉強をしてください。

その方法論については、このサイトにも隋分書きました。

難解な単語を覚えることとは違う

一言でいえば、自分の持っている言葉を鍛えていくのです。

それは難しい哲学用語をたくさん覚えろということではありません。

たった1つの言葉にも、その周囲には類似語がたくさんあります。

その1つを選んだことで、それ以後の文章の形が急速に変化していきます。

言葉というものはそういうものです。

生きています。

次は覚えたら、それを使ってみることです。

実際に書いたり発言してみる。

そのことで確認作業ができます。

自分が誤った使い方をしていたという発見もあるでしょう。

だから書くことが必須なのです。

ディベートなどで論理の枠組みをつくり、それを発表することの意味もそこにあります。

自分ではあたりまえのように使っていた言葉にも、かなり誤りがあるはずです。

それを謙虚に修正していってください。

その積み重ねがきちんとした表現を生みます。

書く力を養っていくのです。

そこには「論理国語」「文学国語」の垣根はありません。

全て日本語の枠の中におさまってしまいます。

国語力をつけたかったら、まず試みることです。

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書く方向への流れはここ数年のうちにより明確になることと思います。

やがて新入試として採点の方法も確立されるに違いありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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