【山東京伝・内田百閒】不思議な味わいのある夢物語は師・漱石の筆致に似て

内田百閒

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はユニークな小説やエッセイで有名な作家、内田百閒(うちだひゃっけん)を取り上げます。

彼の作品を読んだことがありますか。

1度でその魅力にとりつかれることと思います。

読後感が他の作家とはかなり違います。

一言でいえば、現実離れがしているというのか、夢見心地というのか。

あふれるユーモアの中に、冷徹な目があります。

それが最大の魅力なのです。

今回は『山東京伝』という短編を取り上げます。

数年前から高校の国語の教科書に所収されるようになりました。

内田百閒は明治22年に生まれた、漱石門下の1人です。

世俗の中に暮らしながら、どこか超然とした生き方をした文人と言えるかもしれません。

今回取り上げる短編は幻想小説なのでしょうか。

読んでいて、実に不思議な味わいを感じます。

しかしなんとなく心惹かれるのです。

彼の魅力を一言で伝えるのは大変に難しいです。

純度が格段に高いということは言えますね。

まさに漱石の『夢十夜』を読み終わったあとの気分に似ています。

目が覚めてから、夢のなかの出来事を思いかえした瞬間の感情によく似ています。

内田百閒の夢文学と呼べる中に『山東京伝』も入っているのです。

芥川龍之介はこの短編に称讃を寄せています。

百閒の文章は一見すると短文が重なった、無造作なもののように見えます。

しかし全体としてまとまると、異空間への道筋がみえてくるのです。

文章は奇をてらうタイプのものではありません。

本人はごく真面目に文章を綴っているのです。

それが形としてできあがると、不思議な味わいを残すということでしょうか。

1889年、岡山県に生まれました。

筆名は故郷にあった「百閒川」からとったと言われています。

短編『山東京伝』

最初に戸惑うのは、なぜ江戸時代の浮世絵師の名前が出てくるのかということです。

御存知でしょうか。

「山東京伝」は筆名です。

読みは「さんとうきょうでん」です。

江戸時代後期の浮世絵師で戯作者でもありました。

画工から出て黄表紙へ進出,さらに洒落本の第一人者となります。

寛政の改革で手鎖の処罰まで受けました。

Free-Photos / Pixabay

井上ひさしの代表作『手鎖心中』のモチーフになったと言われています。

滝沢馬琴と人気を二分しました。

本文を少しづつ読んでいきましょう。

百閒の世界に引きずり込まれてしまいます。

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私は山東京伝の書生に入った。役目は玄関番である。私は、世の中に、妻子も、親も、兄弟もなく、一人ぼっちでいたようである。

私は山東京伝だけを頼りにし、また崇拝して書生になった。

私は玄関の障子の陰に机を置いて、その前に座っていた。

別に私の部屋は与えてくれない。

けれども、私は不平に思うようなことはなかった。

ともかくも、こうして山東京伝の傍にいられるのが、うれしいと思った。

憧れて書生に

ここから物語は不思議な世界に自然体のまま、移行していきます。

主人公は山東京伝に憧れて書生になった「私」です。

私の仕事は丸薬をまるめてこねることでした。

なぜ丸薬なのかの説明はありません。

いろいろな人が玄関を訪れるとありますので、山東京伝はひょっとして、この丸薬を売っていたのかもしれません。

しかしそのことに対する言及は何もないのです。

やがてしばらくすると食事の時間になります。

しかし京伝は声をかけてもくれません。

京伝に畏敬の念を覚えていた私は、全然声をかけることができず、黙って食事をするところを凝視します。

早く食事がしたい私に向かって、何も言ってくれないので、私は壁を前に置いてもじもじと迷っているだけでした。

このあたりの描写はいかにもというリアリティに満ちています。

その時、玄関に誰かが来たような気配を感じます。

しかし出てみると、玄関には誰もいません。

誰かが来て帰った後のような気がするのです。

その時の様子が非常にユニークです。

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その為に、あたりが非常に淋しくて、そこに立っていられない。

私はすぐに奥の座敷へ戻った。

そうして、山東京伝の顔を見た。

山東京伝は大きな顔で、髭も何もない。

睫毛がみんな抜けてしまって、瞼の赤くなった目茶々である。

私は、その顔を見て、俄かに心の底が暖かくなった。

玄関にあらわれたのは

私はその後、蒲鉾をそえて食事をし、再び玄関の脇で、丸薬を揉み始めます。

そこからの記述がまた面白いのです。

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私は山東京伝のところへ、そのことを言いに行った。

山東京伝は、何だか縁のような所に、ぼんやり立っていた。

「ただいま、まことに小さな方が、玄関から上がってまいりました」

「何ッ」と山東京伝が非常に愕いた変な声を出した。

聞いている方がびっくりして、飛び上がるような声であった。

「ただいま、まことに小さな方が、玄関から上がってまいりました。式台に、こう両手をついて」

「そらッ」と山東京伝が、いきなり、駆け出した。

その後、これは山蟻だと山東京伝は言います。

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ここから、山蟻と人とを見間違えるという異空間に突然投げ込まれます。

私は結局、彼のもとを追い出され、泣きながらある結論に達しました。

山蟻は丸薬を盗みにきたという理屈なのです。

しかし山東京伝が、どうしてそんなに丸薬を気にするのかは、本当のところ、よくわからないままなのでした。

内田百閒は百鬼園(ひゃっきえん)という別号も名乗っていました。

有名な『百鬼園随筆』があります。

東京帝国大学に入学後、療養見舞いが縁で夏目漱石と知り合い、彼の作品の校正などをしていました。

そのまま、夏目漱石に弟子入りもしています。

ドイツ文学を学び、、その後、陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学などで教鞭をとりました。

代表作はなんといっても『阿房列車』です。

今でいう「乗り鉄」のハシリですね。

ひたすら汽車に乗るためだけの旅を楽しみました。

その様子が『阿房列車』という鉄道紀行シリーズに結晶したのです。

読み進めていくと、いつの間にか、汽車での旅というものの魅力にとらわれてしまいます

なんということもない会話の中に、あたたかな人間味が宿っています。

「阿房』という表現は「阿呆」と同じです。

つまり阿呆な自分が暢気に旅を続けている様子を、綴ったという体裁をとっています。

読んでいて楽しいです。

この作品は、百閒の師匠である漱石に対する尊敬と不満がないまぜになった感情が、ちょっとひねくれた形で表わされているのではないか、という読み方もされているようです。

文章は夏目漱石を師と仰いだだけあって、漱石にとても良く似ています。

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チャンスがあったら、ぜひ彼の作品を手にとってみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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