母親のための酸素マスク
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は「共感疲労」というテーマについて考えてみます。
デジタル時代になって、情報が大量に拡散されるようになりました。
もちろん、心温まる話題もあります。
しかし大半は悲惨なニュースが多いのです。
それが次から次へと、流れ出す中で、精神の平衡を保てなくなっている人々が増えています。
特に感受性が強く、好奇心が旺盛な人は要注意です。
さらにいえばネガティブ思考をしがちな、まじめな人に多く見られます。
情報の渦に溺れ、何が理由なのかわからない疲労感に襲われるという状況もあります。
SNSなどで個人を攻撃するケースも多く報告されています。
匿名性という隠れ蓑に自分を潜ませ、日常的な怒りを外に放出する人もあとを断ちません。
複雑な時代の中で、なんらかのトラウマにとらわれ、そこから抜け出せなくなる人もいるのです。
今回の小論文は、まさに現代そのものの断面を象徴したテーマです。
課題文は精神科医で、トラウマ関連精神疾患について、社会科学的な側面から研究を続けている宮地尚子氏のものです。
『ははがうまれる』というタイトルのエッセイです。
一見、今回のテーマからは少し離れた内容にもみえますが詳細に読み込んでいくと、ここにあげられた内容は今日の複雑な状況と相関関係を持っていることに気づかされます。
論点を十分に読解してください。
内容の濃い示唆に富んだ文章です。
課題文
飛行機に乗ると、緊急対応用のビデオが流される。
「酸素マスクが降りてきたら、たとえ子供連れであっても、まず自分が落ち着いてしっかりマスクをつけて、それからお子さんにつけてあげましょう。」という指示が、その中には必ず入っている。
私はそのビデオを見るたびに、「これって子育て全般にもいえる。」としみじみ納得し、そして考え込んでしまう。
納得だけでなく考え込んでしまうのは、世の中に広まっている子育て指導が子供に酸素マスクをつけることばかりを強調し、母親が酸素マスクを先につけたりしたら自己中心的と批判するようなものが多いからだ。
それどころか、母親にも酸素マスクが必要なことが忘れられていて、母親のためのマスクなんて用意されていないようなことも多いと思うからだ。
子供に何かトラブルが起きとき、「母親は何をしていたのか。」「どんな育て方をしていたのか。」と母親が責められることは非常に多い。
子供にトラブルが起きたら、親だって気が動転し、不安の恐怖に襲われるから、そういうときに必要なのは、周囲からの気遣いの言葉や精神的サポートである。
それなのに、現実に与えられるのは批判的なまなざしだけ。(中略)
母親の自己犠牲は美化されがちだが、実際には何のメリットもない。
母親が倒れてしまったら、結局子供への適切なケアができなくなるし、疲れ果てて自らの生を享受できない状態になれば、子供も生きる喜びを味わいにくい。
自分を犠牲にした分、子供に過大な期待をかけたり、期待にそぐわない子供に怒りや恨みを後になって抱いたりするかもしれない。
それに自己犠牲は、他者にもそれぞれのニーズがあることを子供に気づかなくさせてしまう。
子供は、自分と他者が別個の存在であると気づくことで、社会的存在になっていく。
それは父が母子の一体感を切断することによってではなく、母が母自身であることによって、達成できる。(中略)
医療福祉や災害救援などに関わる援助職の人たちが、相手に共感しすぎて疲労困憊し、仕事に燃え尽きる「共感疲労」という現象がある。
米国のトラウマ専門家が作った共感疲労予防のDVDを見ていたら、やはり飛行機の酸素マスクの例を使って、「援助職の人たちもまずセルフケアが必要ですよ。」と指摘していた。
目の付けどころは同じだ。
人をケアする人は、人にケアされなければいけない。
設問の意味
この課題文に対する設問は次の通りです。
母親のための酸素マスクが必要だと考えられるのは、どのような場合だと考えられますか。
解答は特に母子の問題に限定する必要はありません。
800字以内であなたの考えをまとめなさい。
この小論文を単純に母子の問題にした人は、解答するのが苦しかったのではないでしょうか。
飛行機に乗った機会に気づいた人もいるはずです。
CAの行動をみれば、それがここでの母と子の関係と同じだと理解できるのです。
CAの大切な業務は緊急時に、乗客の命を預かる保安員です。
緊急事態が発生した場合、乗務員は誰よりも先に酸素マスクを着用するのです。
緊急脱出などの行動を迅速に行うためです。
親と子についてもまったく同様なことだと考えれば、大変わかりやすいです。
それと同じことが「共感疲労」にも当てはまります。
ここでの課題文から、このキーワードが取りだせた人は、かなり広い視野を持っていますね。
これからの時代を生き抜くために、何が大切なのかを展開できれば、評価は高いものになります。
共感疲労
どのような場合に共感疲労が増すのでしょうか。
よく言われるのが肉親や知人の死です。
それも自死や闘病によるものの場合、「何もしてあげられなかった」と自責の念に駆られるのです。
あるいは多くの災害の場合、自分が偶然生き残ってしまうこともあります。
これもなぜ自分が犠牲者のかわりになれなかったのかという、心的外傷を負います。
あるいはそこまで衝撃的でなくても、あまりに悲しいニュースや戦争の報道などに接した時、世の中に絶望することもあります。
人間は、なんとかしてその疲労から抜け出ようとするものです。
それが自然です。
しかしあまりにも同じような状況が続くと、疲れが抜けにくくなります。
そこまで厳しい状況ではなくても、仕事上のミスで、人間関係がうまくいかなくなった時も、今ではSNSなどで共感疲労を起こすケースもあります。
課題文にあるように、なぜ先に子供を助けなかったのかと言われただけで、一気に奈落の底へ引きずり降ろされた感覚になります。
自己犠牲を美しく飾ろうとしても、空しいだけなのです。
援助する立場の人こそ、最初にケアされなければならないというのが、最も大切な根幹の考え方です。
「国境なき医師団」に関する本などを読むと、1つのミッションが終わったあと、かなり長い休暇をとると示してあります。
そこでメンタルの休養をとらない場合、次の仕事につけないというのが彼らの長い間の結論のようです。
時には仲間だけで、パーティを行い、気分転換をします。
そうすることで、精神的に健康でいられるのだそうです。
特にここでの内容に合致するのは「デジタルデトックス」という考えでしょう。
情報を一定の時間、断絶するのです。
あたりまえのようにたえずスマホを見る習慣を考え直す。
それだけで、随分と気持ちが違います。
よく電波の届かないところへ行くとか、何日か、スマホを見ないという話も聞きます。
当然、あなたがSNSにさらされることもなく、自ら発信することもなくなるのです。
毒素を吐き出すという作業は、想像以上に効果を表します。
あるいは自分だけのノートに、気持ちを書き出してみるというのも1つの有効な方法でしょう。
寝ればなおるというものではありません。
しかし寝なければなおらないのも事実です。
現代という時間を流れる情報の渦は、それくらい執拗で粘っこいものです。
それを抜け出す覚悟を持ちながら、情報に対峙するという覚悟も必要でしょう。
子供にとって大切な母親であるからこそ、最初に酸素マスクが必要になるのです。
小論文が書けそうですか。
ぜひ試みてください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
足を運んでください。