【納得の構造】演繹法と帰納法をマスターすれば小論文のスキルアップ確定

学び

納得の構造

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は小論文の根本的な枠組みについて書きます。

この論点がわかっていないと、いつまでたっても上達しません。

筆者は教育社会学者の渡辺雅子氏です。

日常的に書いている文章の特徴が実に見事に分析されています。

逆にいえば、ここに示されている内容を正確に把握しているかいないかで、文章の骨格がかわってしまうのです。

キーワードは「帰納」と「演繹」です。

この2つの概念は、哲学の基本ですね。

全く知らないという人がいるとは思えませんが、よく理解できていないとしたら、すぐにチェックしてください。

帰納法は具体的な個別の事象から普遍的法則を導き出す方法です

それに対して、演繹法は普遍的命題から具体的な個別の命題を論理的に導き出すという思考法をとります。

簡単にいえば、すでに一般的に知られている理論や法則、前提から結論を導き出す方法です。

どちらにもメリットとデメリットがあります。

帰納法のメリットは予測を素早く立てられることです。

しかし、誤った結論を引き出すこともあります。

演繹法のメリットは前提が正しければ、予測ではなく正しい答えを導き出せるところです。

しかし、デメリットは初めに法則を知っていなければいけないことです。

その法則がもし間違っていた時に答えも間違いになってしまう可能性が、一気に高くなります。

それぞれの特徴をうまく利用しながら、論点を重ねていくのが、小論文の基本です。

今回、取り上げた文章は、日本人とアメリカ人の論理の組み立て方の違いに着目したものです。

あなたはどちらのタイプに近いでしょうか。

これから小論文の文章を書いていくうえで、何に最も注意したらいいのか。

そこに着目しながら、内容を掘り下げていきましょう。

特に接続詞の使い方に大きな違いがある点をきちんと読み取ってください。

本文

アメリカの大学で論文の指導をする講師が、日本とアメリカの学生について興味深い観察をしている。

その講師によれば、日本人学生は「なぜならば」という接続詞はあまり使わず、そのかわりに「それで」「 そして」という接続詞だけで文章をつないでいく傾向があるという。

そのために、因果関係がはっきりしないので、日本人の論文はとても分かりにくい。

アメリカで因果律というのは、3歳の子供でも自分の主張を通そうとする時に使う基本的な論理なのだから、と付け加えた。

この講師の観察は、日本人とアメリカ人の論文や作文のスタイルばかりでなく、歴史の捉え方や過去の語り方についても重要な指摘を含んでいる。

普段私たちが 物事を理解するときには、できごとをそのつどバラバラに理解しているわけではない。

あるできごとや状態を初めと考えたり、途中経過と考えたり、終わりと捉えることによって、初めてそれぞれのできごとに意味が与えられる。

つまり、できごとをある構造の中に埋め込むことによって、できごとの相互に関係が生まれ、その関係からそれぞれの意味付けを行っている。

絶え間のない時間にそって次々と体験する出来事の総体に、初め・中・終わりの区切りと順番をつけることによって、私たちはそれを一つの物語のような意味のある現実として認識することができるのである。

では、日本とアメリカの作文構造は実際どうなっているか比べてみよう。

ジャンルを問わず、日本で最もよく使われる作文構造は「起承転結」である。

この起承転結の構造では、結論から最も遠い情報から始めて、次第に話題の核心に近づいてゆく。

最初の「起」の段落では、主題の期限や背景となる事情を説明して話題に入っていくお膳立てをする。

次に「承」では話題は徐々に展開してゆく。

ところが「転」ではガラリとそれまでの筋道を変えて、他の話題を挿入したり、別の視点から話題を捉え直してその多面性を開示したりする。

最後に「結」では、一応の結論が導かれるものの、さらなる問いかけなどの形で その後の紆余曲折を予想させて締めくくる。

これに対してアメリカのエッセイと呼ばれる小論文は、提案・説得・論証を主な目的とする作文形式であるが、「主題提示」・「主題の証明」「結論」の3部構成になっている。

最初に作者の主張を述べ、そして次にその主張を裏付ける証拠をあげ例を述べて、最後に主張が正しいことを最初とは違う表現で繰り返すのである。

小論文のかたち

内容が理解できましたか。

ここまで大きな違いがあるのかということに、驚いたのではないでしょうか。

よくいわれることに、小論文に「起承転結」はいらないというのがあります。

なぜでしょうか。

一言でいえば、「転」の部分が不必要なのです。

「転」はそれまでの流れから少しはずれ、論点をかえます。

いわば存分に遊ぶところなのです。

個人の体験や、感想、思い出などを加え、文章全体を柔らかいものにします。

筆者のパーソナリティがこの部分に表現されるのです。

奥深い感性を感じさせる、そうした文章を日本人は好んできました。

特にエッセイと呼ばれる文では、「転」の部分の円熟度が完成したものほど、評価が高いのです。

しかし小論文では、様相が違います。

むしろここで取り上げられている、アメリカのエッセイと呼ばれる文章に近いのです。

必要なものは、結論にまで一直線に進む論理です。

緩やかに繋がったイメージを要求するほどの文字数も必要としません。

提案・説得・論証を主な目的とする形式のものが大半なのです。

だいたいの小論文の参考書は、次のようにまとめなさいと指示しています。

「主題提示」「主題の証明」「結論」の3部構成です。

証明のかわりにその結論に至るまでの理由づけが複雑な場合、ここに個人の経験や知見を入れる場合もあります。

結論を先にして、まとめる方法はアメリカ人がよくする、論文の方法です。

小論文の場合、どちらの方がいいということはありません。

主題の提示や問題提起が始めるのが、通常の形式ですが、結論から書いてもおかしくはないのです。

一般的に日本人は結論に向かって文章を進めていくタイプの方が、自然に感じるケースが多いようです。

標的に突き進む矢

アメリカ人の好むエッセイの構造は、標的に突き進む矢にしばしば例えられます。

結論にあたる部分が小論文の「標的」となります。

その後に続く文章は、最短の経路をたどって突き進んでいく矢のイメージなのです。

ここで「演繹」と「帰納」の概念が再びあらわれます。

主題提示文が最初に現れるものを「演繹的」文章と呼びます。

最後に置かれるものが「帰納的」文章です。

アメリカ人の書く多くのエッセイは演繹的作文であり、日本の起承転結に代表されるような文は「帰納」的作文なのです。

どちらがいいのかということではありません。

それぞれに特徴があることは、すでに述べました。

ポイントは最初の部分にあたる前提にあるのです。

演繹法で進む時には、仮説を正確にたてることに相当程度、熟達していなくてはいけません。

ここで論点を間違えると、大きな失点になるでしょう。

具体的にはどうしたらいいのか。

まさにここが小論文の難しさの原点です。

とにかく広い分野に知見を広げることです。

新聞、雑誌はもとより、ネット記事などにも常にアンテナを張らなければなりません。

それがないと、どこに向かって書いても、漂流したボートと同じになってしまいます。

大学に入って学ぶということは、ある意味、この仮説の世界に独りで分け入っていくことを意味します。

2つの大きな流れをうまく掬い取りながら、その課題文にあった文章の構成を探ってください。

持続的な練習が必須です。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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