【詩人・茨木のり子】心に突き刺さって抜けない魂の言葉がせつなくて

詩人の存在

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師でブロガーのすい喬です。

突然ですが、茨木のり子という詩人の存在を知っていますか。

中学校でも高校でも、必ず彼女の詩に1度は触れるはずです。

「わたしが一番きれいだったとき」は多くの教科書に所収されています。

15歳で日米開戦を、19歳で終戦を迎えた1人の女性の存在がそこにはあります。

反戦を声高に叫ぶのではなく、その戦争の中を生き抜いた自分自身と正対した稀有な詩です。

澄んだ大きな目が戦争の愚かさを伝えています。

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わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

茨木のり子は1926年に大阪で生まれました。

東邦大学薬学部在学中に空襲や勤労動員を体験したのです。

彼女の感受性は敗戦の混乱が人間の本性を見せたこの時期に作り上げられたものかもしれません。

1950年、24歳で結婚。

この頃から詩を書き始め、詩人仲間と同人誌『櫂』を創刊しました。

同人には谷川俊太郎、大岡信、川崎洋などがいました。

1975年、49歳の時、夫と死に別れます。

その後、彼女は代表作『自分の感受性くらい』を世に出しました。

高校の教科書に必ず載せられている作品です。

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

厳しい言葉

この詩を授業で取り上げるのは難しかったですね。

それでなくても詩の授業は苦しいのです。

教える人間があまりに没入してしまうと、何も言えなくなってしまいます。

結局モノローグで終わってしまうということも何度かありました。

彼女は何が言いたかったのか。

そのことだけをじっと考え続けました。

自分の尊厳を絶対に捨てない。

誰のせいにもしない。

そして心を守る。

これは現代にも通じる内容です。

自分が自分であろうとすればするほど、苦しい時代です。

閉塞していますからね。

感受性を放棄しないという宣言は、ある意味苦痛に耐える宣言とも言えます。

事実、その後も彼女の苦しみは続きました。

しばらく後、弟が他界します。

詩人の仲間も次々と鬼籍に入っていきます。

彼女はそれでも耐えました。

1999年、73歳の時『倚りかからず』を発表します。

この詩集は大きな反響をもって迎えられ15万部のベストセラーになりました。

タイトルからもその意志の強さがみてとれます。

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倚りかからず

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

2006年、脳動脈瘤破裂により急逝。

享年79歳でした。

光の束を

久しぶりに彼女の本『言の葉』を読んでみました。

詩人というのは不思議な感覚を持った人たちです。

言葉に対する感受性が並々ではありませんね。

普通の人なら脇も見ずに通り過ぎてしまう日常の言葉の中から、光の束を一つづつ紡ぎ出していく人達なのです。

この本は前半が詩、後半がエッセイで構成されています。

詩の部分には懐かしい詩ばかりが収録され。あらためてこの詩人の世界が豊穣であることを感じました。

「詩集と刺繍」というタイトルの詩は実にユニークでありながら、言葉の本質をうまくついています。

詩集のコーナーはどこですか
勇を鼓して尋ねたらば
東京堂の店員はさっさと案内してくれたのである
刺繍の本のぎっしりつまった一角へ

そこではたと気づいたことは
詩集と刺繍
音だけならばまったくおなじ
ゆえに彼は間違っていない

けれど
女が尋ねたししゅうならば
刺繍とのみ思い込んだのは
正しいか 正しくないか

この詩はこれ以降も続きます。

言葉で世界を紡いでいくことは刺繍につながるのかもしれません。

この詩の中の一節に「二つのししゅうの共通点は、天下に隠れもなき無用の長物」とあります。

まさに無用の用そのものです。

役に立つとは何のことでしょうか。

実利主義、効率主義優先の世の中にあって、詩が果たす役目はまさにそこにあるような気がしてなりません。

後半のエッセイの中では金子光晴の話が断然面白かったです。

その彼の最晩年の言葉の中に、「ぼくが見舞いに行ったとき、ケロッとしてるのはたいてい治るね。

ところがぼくの顔みてほろほろ泣くのがいる。そういうのはたいてい死んじゃう」という一節がありました。

夫の遺影の前で、「いまは八方ふさがりだと思うかもしれないけど、その人間になんらかの美点があれば、必ず共同体が助けてくれるもんです」と金子は呟いたとか。

それからしばらくして、この老詩人も亡くなったのです。

感受性を干からびさせずに生きていくことのなんと難しいことでしょう。

そのことをあらためて強く実感しています。

最後に彼女がまとめたすばらしい本を1冊だけご紹介します。

『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書です。

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これは何度読んでも心洗われる名著です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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