【鞄・安部公房】青年が抱えて苦しんだ鞄の持つ意味は【寓意のナゾ】

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です、

今回は安倍公房の短編『鞄』を読みます。

高校の教科書には彼の作品が必ず所収されていますね。

しかしこの作家を理解するのは、大変です。

現代という時代に潜む問題を鋭く描き出しているだけに、その意図を読み解くが難しいのです。

定番は『赤い繭』でしょう。

かなり多くの教科書に入っています。

ぼく自身、何度この教材を扱ったかわかりません。

授業時間にいくらか余裕がある時などには、必ずやりました。

実に不思議なストーリーなのです。

読んだことのある人も多いのではないでしょうか。

あらすじは次のようなものです。

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帰る家のない主人公が、日の暮れた住宅街をさまよううちに、足から絹糸がのびてゆき、どんどんほころんでいきます。

その糸が「おれ」の身を袋のように包みこみ、ついに主人公は消滅します。

一個の空っぽの大きな、夕陽に赤々と染まった繭となってしまうのです。

PIRO4D / Pixabay

ついに自分の家を確保したと思ったものの、今度は帰ってゆく「おれ」がいないことに気づきます。

踏切とレールの間にころがっていた赤い繭は、ふとそこを歩いていた男の眼にとまりました。

その後、その繭は彼の息子の玩具箱に移されてしまったという話です。

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難しく考えれば、「アイデンティティ」の喪失に関わる寓話ともとれます。

現代という時代を切り取った時、はたして本当の意味での自分は存在するのか。

実存的な小説とみることもできます。

カフカの『変身』やカミュの『異邦人』などと並べて批評する人もいます。

この主題は安部公房の得意とするものなのです。

代表的な戯曲、『友達』『棒になった男』などと同じ根幹を成しています。

彼の考え方にはシュールレアリズムの影も色濃いですね。

初期の『壁』「他人の顔』『砂の女』などを読んでいると、その影響がいかに強いかがよく理解できます。

あらすじ

『鞄』は何を表現しようとしているのでしょうか。

かなり難しいテーマです。

簡単にあらすじをご紹介しましょう。

正直そうな印象の青年が、主人公の「私」の前に現れます。

半年前に出した求人広告を見てやって来たのです。

「私」は呆れてものも言えません。

青年は「やはり、駄目でしたか」と言い、むしろほっとしたような感じで引き返そうとするのです。

私はそんな青年を引き止めて、事情を聞こうとします。

ちょうど欠員が出て補充を考えていた矢先だったからです。

青年は「一種の消去法でここに来た」と、かなり思わせぶりなことを言います。

具体的に理由を訊ねると、青年は「この鞄のせいでしょうね」と、足元に置いた大きな鞄に視線を落とします。

赤ん坊の死体なら3つは詰め込めるくらいの大きさなのです。

さらに青年は「鞄の重さが、僕の行先を決めてしまうのです」と謎のような言葉を吐きます。

会話を続けているうちに、私はその鞄のことが気になっていきます。

中身は何なのかと訊くとたいしたものではなく、つまらない物ばかりだと言うのです。

結局、私は青年を採用することにし、下宿を紹介します。

青年が下宿の下見に出かけると、そこに鞄が取り残されていました。

私は何気なくその鞄を持ち上げて歩いてみます。

気がつくと、私は事務所を出て、急な上り坂にさしかかります。

事務所に引き返すつもりなのに、どうもうまくいきません。

普段は意識していなかった坂や石段に遮られてしまうのです。

私は仕方がなく、歩ける方向へ歩いて行きます。

不思議と不安を感じませんでした。

鞄が導いてくれるのです。

私はただ歩き続けていれば良いのです。

選ぶ道がなければ、迷うこともないというわけです。

その時、私は嫌になるほど自由を感じたのです。

嫌になるほどの自由

ここで示されている鞄とは、何の寓意なのでしょうか。

鞄の存在にどのような意味があるのか。

青年は鞄の中味が貴重ではないと言います。

私は採用を決めますが、その理由の大半は鞄に対する関心からでした。

話はそこから一気に展開します。

結局、私は鞄に誘われてしまったのです。

鞄に支配されました。

鞄に導かれるまま、私は歩き続けます。

そして「嫌になるほどの自由」を手に入れます。

そこにあるのは何か。

もう選ばなくていいという、解放感なのでしょうか。

その反対に、青年は選ばなくてはならない人生に直面する羽目になったともいえます。

この短編に出てくる鞄は何を意味するか、どうしても考えてしまいます。

何かの寓意と捉えるのが自然な流れです。

青年はずっとこの鞄の存在に、苦しめられ続けてきました。

強迫観念

青年はどうしても、鞄を手放すことができません。

それに導かれていると言ってもいいのです。

この作品には「道」も登場します。

私が何げなく訊ねることの中に、次のような台詞があります。

「下宿から、ここまで、鞄なしでたどり着けるかな」という質問です。

それに対して、青年は「下宿と勤め先の間なんて、道のうちには入りませんよ」と答えます。

この道は単なる移動のためのものなのでしょうか。

これも何かの寓意と考えるのが自然です。

geralt / Pixabay

ここまでくると、本当の意味で「鞄」は何を示そうとしているのか、よくわからなくなります。

誰もがここで意味を探り始めるはずです。

しかしよくわからない。

実際にこの教材を扱ったことがないので、なんともいえませんが、グループに分けて語り合うのも面白いですね。

あるいは物語の続きを書いてもらう、という手法もあります。

いわゆる感想文ではなく、そこから一歩踏み込んだ、自分の物語を作り上げる方法の方が面白そうです。

つまらないものに見えて、しかし自分には重すぎるものがあるのではないか。

自分の心の中を覗き見るのも楽しいですね。

安倍公房の作品はどれをとっても、謎に満ちています。

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それを読み解くカギになる作品として『鞄』を捉えてみてはどうでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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