【おじいさんのランプ・宇野常寛】ネット時代のメディア論は沁みる

おじいさんのランプ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は高校2~3年で扱う『おじいさんのランプ』を読みます。

タイトルだけみると、童話のようにも聞こえますね。

これは童話ではありません。

メディア論です。

筆者は評論家の宇野常寛氏です。

同名の童話があるのをご存知でしょうか。

作家、新実南吉の代表作です。

内容は日露戦争の頃、農村にランプを普及させて成功した人の話です。

しかしその後、村には電気がひかれることになり、ランプを扱う商売は、急速に傾き始めます。

理性を失いかけた主人公は、村長の家に火をつけようとまでしました。

しかし火打石では火がうまくつきませんでした。

古いものは結局役にはたたないということに気づくのです。

その後、本屋を経営し、新しいことを学んでいく以外に、人間が生きていく道はないのだということを広めようとしたいう話です。

あらすじくらいは聞いたことがあるかもしれません。

現在はあおぞら文庫に所収されています。

ぜひ、1度読んでみてください。

この話を読んでいると、技術の進歩が現代はあまりにも早すぎるという実感を持ちます。

少し前にはランプから電気への変化が大きなターニングポイントでした。

それが今ではあらゆるエネルギーのレベルへ移行しているのです。

世界の趨勢を見てみれば、脱炭素の流れは急激です。

やがて地球温暖化を防ぐために、電気や水素を燃料とした自動車が完全に主流になるでしょう。

イノベーション

あらゆるものがネットに依存する時代になりました。

ハード以上にソフトの時代です。

ランプから電気へ移行した時以上のイノベーションです。

コンピュータ自身も現在よりもはやい計算システムに移りつつあります。

量子コンピュータの時代に突入するのは時間の問題です。

ネット社会と呼ばれる時代のスピードは格段に速くなり、メディアの持つ役割も現在とは比べものにならなくなりました。

そうした時代に、書物の役割はどうなるのか。

それを考えてみようというのが、この評論の主旨です。

冒頭の文章を少しだけ、抜き書きします。

小論文の課題文としても、十分、利用できるテーマです。

幾つかの大学でネット時代の本の意味を問う設問が出題されました。

ある意味で、本の役割は終わりを迎えつつあると言えないこともありません。

さらに深読みすれば、人類の文化そのものが大きく変質していると捉えることも可能です。

我々を取り巻くメディア環境は大きく変化しつつあります。

冒頭の部分を少しだけ読んでみましょう。

どのような方向へ進もうとしているのか、理解できると思います。

電子書籍の波

今更強調することでもありませんが、現在僕たちを取り巻くメディア環境は大きく変化しつつあります。

もちろん、新しい技術は必ず新しい問題を引き起こす。

淘汰されゆくものだけが持つ良さもあるでしょう。

しかし僕は実のところ「電子書籍の波がやってきた後も残るであろう紙の本の良さ」とか「インターネット時代にも残るマスメディアの役割」といった「いい話」に、心のどこかで冷淡になってしまうところがあります。

もちろんこういった「いい話」は正しい。

だがその正しさは、何かもっと本質的なことを隠蔽するために必要以上に強調されているように思えます。

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ここで1つの問題が示されます。

書籍の文化がどんどん縮小しているという現実です。

新実南吉のこの童話は最近、よく日本の文字文化の変質というテーマで扱われることが多いようです。

一般論からいえば紙の書物であれ、電子媒体であれ、コンテンツありきで進むのが本筋です。

たとえ形態が紙から電子に変わっても、文章の本質は変わらないはずだからです。

しかし現実はそうなってはいません。

技術革新がもたらす社会の変革が、根底から人々の環境をかえているのです。

文字情報が変化したことで文字と人間との関係が大きくかわってしまいました。

情報に触れるための回路がたくさん登場して、どのネットワークの中のメディアにアクセスするのかというのが、重要な役割になっているのです。

従来の教養を得るための作業は全く変質したといっとてもいいでしょう。

今は、SNS等で昔と同じくらいの文字数を読んでいると筆者は主張しています。

文字数だけで比べたら、確かにそれほどの違いはないのかもしれません。

ここは相当議論の分かれるところでしょうね。

文字数が同じなら情報の質に差はないのか。

SNSの文体と書物の文体が同じであると断定することができるのかどうか。

筆者が本当に述べたかったことはどこにあるのでしょう。

もう少し深掘りしてみなくてはなりません。

それを探るのが、読後の仕事になります。

ネットワークに繋がることの意味

本文から気になったところを書き抜いてみます。

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極端な話、生まれた時からネットワークにつながっている人間が多数派となるとしよう。

彼らが吐き出した言葉がネット上に自動的に集積されていく環境が所与のものとなったとする。

その時、集積された情報にアクセスするための検索ツールさえ、あればよい、という状態も十二分に想定しうる。

今まで書き言葉とは基本的に自分の外側にある特別なもので、それを本というパッケージングされたものを通して摂取してきた。

のため、それを積み上げることが教養を得ることであり、成長だと考えられてきたわけです。

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ここに示された内容は情報ネットワークの中を生き抜こうとしている個人にとって、喫緊のテーマです。

紙が本当に役立つツールとして、どこまで有効なのか。

もう全ての意味失いつつあるのか。

『おじいさんのランプ』の中で、全てのランプを壊してしまったおじいさんは、後にランプをいまだに使っている村の存在を知ります。

全ての灯りをなぜ壊してしまったのかと後悔したものの、商売を再開しようとはしませんでした。

本はこの童話のランプと同じ宿命を背負っているのでしょうか。

活字離れが進んでいると警鐘を鳴らしている人たちは、ネット時代のメディアの役割をどのように考えているのか。

知りたいところです。

現在、雑誌の発行部数もどんどん落ちています。

週刊誌とネットがコラボをして、部数を伸ばしている時代です。

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もう1度、情報の持つ意味を真剣に考えてみる必要があるのではないでしょうか。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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