クレールという女
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は授業で扱わなかった教材について書きます。
それがこの「クレールという女」です。
なぜやらなかったのか。
当時はまだ教科書に載っていなかったのかもしれません。
全く授業をした記憶がないのです。
やっと最近、教科書をしみじみと読むことができるようになりました。
本当に苦労して編集しているのがよくわかります。
バランス感覚が素晴らしいですね。
当時はそんなことを考える余裕もありませんでした。
とにかく時間との戦いだったのです。
授業に専念しなくてはならないのは知っていても、それだけですまないのが学校の現場です。
校務分掌の仕事もあります。
生徒との対応も会議も頻繁にあります。
その間に次にやる教材を選び予習をしなくてはならないのです。
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試験の時期になれば、問題も作らなければなりません。
1日がとにかく短かったというのが偽りのない気持です。
休日にはクラブ活動の面倒もみました。
練習試合の時は必ず引率しなければ、責任問題にもなります。
だから教師の仕事がブラックだなどと思う暇もありませんでした。
生徒といるのが楽しかったからです。
いろいろなことを教えてもらいました。
彼らは鏡のような存在だと思います。
自分の姿をそのまま映してくれました。
随筆集『遠い朝の本たち』
この教材を学ばなかったのが、今悔やまれます。
この単元は『遠い朝の本たち』という随筆集に収められています。
須賀敦子の遺作です。
御存知でしょうか。
イタリア文学者です。
日本の小説をかなりイタリア語に翻訳しています。
この随筆は彼女が最後まで推敲を重ねた一冊だそうです。
若い時代にする読書の大切さということをいやというほど書き込んでいます。
人生の経験が少ないからこそ、本を読まなければならないというのです。
その後、さまざまなことを話し合う。
そのための題材としては恰好のものだったといえるでしょう。
「クレールという女」はクロード・モルガンの小説『人間のしるし』について書かれたものです。
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ドイツの収容所で捕虜となった1941年からの体験を基にしたものです。
この作品は第二次世界大戦下のフランスの抵抗運動がテーマです。
主人公は自らの信念を持った強い女性、クレール。
彼女の生き方を支えたのが、物語の途中で命を落としてしまうジャックです。
もう一方にクレールの夫、ジャンが存在します。
しかしある偶然からクレールがジャックに心を寄せていたことを知り、ジャンは嫉妬心を燃やします。
ジャックがクレールに手紙を書き続けていたことを偶然知ってしまうのです。
ジャンの嫉妬心が目に見えるようです。
本当の意味で自分がクレールという女性を心から理解していたのかという懐疑にもかられるのです。
ただの三角関係ではすまない、心の深淵を垣間見せるシーンは、非常に重いものがあります。
信念の強い女性
若い日の須賀敦子は自分で生き方を選択するクレールのような強い女性に憧れたのでしょう。
やさしいだけのジャンのような男性より、自分の生き方を信じてくれるジャックの方が夫としてはふさわしいのではないか。
彼女は3人の登場人物について友人と長時間にわたって語り合います。
その時の様子を次のように綴っています。
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三人の生き方について、私たちはいったい何時間しゃべりつづけただろうか。
共通の世界観とか、自由なままでいるなかでの愛とか、まだほんとうに歩きはじめてもいない人生について流れる言葉は、たとえようもなく軽かった。
やがてはそれぞれのかたちで知ることになる深いよろこびにも、どうにもならない挫折にも裏打ちされていなかったから、私たちの言葉は、その分だけ、はてしなく容易だった。
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その時の様子が実にみずみずしく描写されています。
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若い血気にはやる女性なら、ジャックへの憧れは募っていく一方だったでしょう。
その後、夫であったジャンの愛情が深いものであったことを知るクレールの意識の変化にも、筆は伸びていきます。
夭折したものは美しいです。
しかしどのように生きることが、本当に人間らしいのかということは、難問中の難問です。
このエッセイが成功している理由は、ただ昔のことを懐かしさに駆られて回想しているだけではないからです。
自分たちが戦争を受身で生きてしまったことへの反省が色濃く滲んでいるのです。
自分たちの精神のまずしさに愕然としたという表現がそれを語っています。
このような受け止め方ができるということが、彼女の柔らかさに通じているのでしょう。
美しい表現
このエッセイの最後はとても美しい表現に彩られています。
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坂を降りながら、ジャンが盗み読みしたクレールの手帳の一節を、私は自分のなかで繰り返していた。
あの本を友人たちと読んだころ、サティという音楽家がいたことも、もちろん、彼の作品についても、そしてなによりも、人生がこれほど多くの翳りと、そして、それと同じくらいゆたかな光に満ちていることも、私たちは想像もしていなかった。
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「多くの翳りとゆたかな光に満ちている」という表現には万感の思いがこもっていますね。
心の襞の表し方が実に見事です。
人間の愛情や嫉妬心には限りがありません。
それだけに描写するのも難しいのです。
彼女は40年の時を経て『人間のしるし』をもう一度読み直します。
その時の須賀敦子の思いは深いです。
クレールを純粋に愛することだけを考え、生き急いで死んだジャックはひとつの思想でしかないと感じるのです。
確かに一途で美しいですけどね。
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それに比べると、嫉妬や自己否定を経て、やがて真に愛することを学んでいくジャンの存在には真実味があると書いています。
ある意味、彼こそが本当に人生に参加した人間なのかもしれません。
そうしたことがわかるようになったのは、須賀敦子が年齢を重ねてからのことでした。
やはり若い時には気づかないたくさんのことがあります。
彼女が何度も推敲したというこの本には、香気が漂っています。
ぜひ、味わってみてください。
今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。