欲望を断つ
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はちょっと怖ろしい内容の古文を扱います。
学校ではやったことがありません。
『閑居友』(かんきょのとも)がそれです。
聞いたことがありますか。
慶政上人の作と言われる仮名で書かれた鎌倉初期の仏教説話集です。
無名の人や、女性を主人公にとった説話が多いです。
仏道修行者たちの心の様子を伝えたものだけに、ものすごい迫力があります。
中でもここで取り上げた「執着を断つ」ための修行は厳しいものです。
物欲、食欲、色欲の全てをを断つために何をすればよかったのか。
ズバリ不浄観です。
「不浄観」とは、肉体が滅んでいく様子を観察するというものです。
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煩悩や欲望を取り除くために、あえて行う荒行です。
谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』という小説には最後のところにこの不浄観のシーンが出てきます。
今までに何度読んだかはっきり覚えていません。
いかにも谷崎の文学と呼べるものです。
自分の妻をとられた男が執着を断つために不浄観を行います。
その様子を成人した息子の少将滋幹が盗み見てしまう場面があるのです。
鬼気迫るというのはこのことかもしれません。
青空文庫で読めます。
学校では絶対に習うことのない小説です。
実に妖しい魅力にあふれています。
発心集の影響
『閑居友』は、鴨長明の『発心集』の影響を強く受けた作品だと言われています。
その中でもこの3つの話が最も興味深いのです。
第19話 あやしの僧の宮仕へのひまに不浄観を凝らす事
第20話 あやしの男、野原にて屍を見て心を発す事
第21話 唐橋河原の女の屍の事
全文は長いので第19話の1部分だけを書き抜きます。
本文
昔、比叡の山に、何某とかやいひける人のもとに、使はれける中間僧ありけり。
主のために一事も違ふ振舞なし。
いみじく真心にて、いとほしき者にぞ思はれたりける。
かかるほどに、年ごろ経て後、夕暮れには必ず失せて、つとめて疾く出で来ることをしけり。
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主もいみじく憎きことに思ひて、「坂本に行き下るにこそあめれ」など思ひけり。
帰りたる時も、うちしめりて、人にはかばかしく面など会はすることもなし。
常には涙ぐみてのみ見えければ、「行き交ふ所のことを飽き足らず思ひて、かかるにこそ」とぞ、ゆるぎなく主も人も思ひ定めける。
さて、ある時、人を付けて見せければ、西坂本を下りて蓮台野にぞ行きにける。
この使、「あやしく、何わざぞ」と見ければ、あちこち分け過ぎて、いひ知らずいまいま
しくみだれたる死人のそばに居て、目を閉ぢ、目を開きして、たびたびかやうにしつつ、
声も惜しまずぞ泣きける。
夜もすがらかやうにして、鐘も打つほどになりぬれば、涙押しのごひてなん返りける。
この使、思はずに悲しく思えて、思ふらん心のほどは知らねども、涙を流すこと限りなし。
さて返きぬ。
「いかに」と尋ぬれば、「その事に侍り。この人、あやしく露深くしほれけるは、理にぞ侍るべき。
かうかうのことの侍りて、はや失せけるなるべし。
いみじき聖の行ひを、みだりにあやしのさまに思ひ汚しける罪のほども逃れがたく、悲しくて」と言ひけり。
あるじ、驚きて、その後はいみじき敬ひをいたして、さらに常の人に振舞比べず。
現代語訳
昔、比叡の山に、なにがしとか言った人のもとで使われていた法師がいました。
主人のために一つのことも背く振る舞いもありません。
大変真面目で、いじらしい者と思われていたのです。
何年もすると、夕暮れにはかならずいなくなって、翌朝早く現われるようになりました。
主人もたいそう気に入らないことに思って、「坂本(比叡山の麓)に下って行くのであるようだ」などと思いました。
帰ってきた時も、しんみりして、人にはっきりと顔を合わせることもありません。
普段は涙ぐんでばかり見えたので、「行き来する所のことを残念に思って、このようであるのだろう」と、間違いないことのように主人も他の人も決めつけてしまったのです。
ある時、人をつけて様子を見させたところ、西阪本を下って、蓮台野まで足を伸ばしました。
この使いの者は、「不思議だ。どういうことなのか」と思って見たところ、あちこち道を抜け、言いようもないくらい気味悪く腐乱した死人のそばに座って、目を閉じたり開いたりして、何度も声も惜しまずに泣きます。
一晩中このようにして、寅の刻(午前四時)の鐘も打つころになってから、涙を押し拭って戻ってきました。
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この使いの者は、あまりにも予想外だったので、法師が何を考えているのかはよく分からないものの、涙を流すことは限りがありませんでした。
「どうだったのか」と主人が尋ねました。
「そのことでございます。この法師が、不思議と涙もろくしんみりしているのは、もっともなことでございましょう。これこれのことがございました」とあらましを説明したのです。
使いの男はたいそう立派な聖に似た行いを、分別もなく不可解なことと思い傷付けた罪のほどもまぬがれることができず、悲しくてと告げました。
主人は驚いて、その後は、たいそう立派な法師だと考え、まったく普通の人の行動と同列には考えないようになったということです。
色即是空
有名な経典、『般若心経』の一節に色即是空(しきそくぜくう)という言葉がありますね。
色即ち是れ空なりと訳します。
「色」というのは、この世の視覚的現象のすべてをあらわします。
この世はすべて仮のものであり、実体がないということなのです。
すなわち、人はなにものにもとらわれてはならない、という教えを短い表現に託したとされています。
コロナの日常を生きていると、まさにいろいろなことを考えてしまいます。
あっという間に人が亡くなっていきます。
最近では40代、50代の働き盛りの人が、数日でこの世から消えていくニュースを聞きます。
人が死ぬということは知っています。
しかしまさか自分の目の前で現実になるとは考えません。
「メメント・モリ」という言葉があります。
聞いたことがありますよね。
ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬ存在であることを忘れるな」という意味です。
古代ローマでは「将軍が凱旋式のパレードを行なった際に使われた」と伝えられています。
政治家の進退をみてもまさにその通りですね。
昨日までの天下が1日で目の前から消えていくのです。
人間には皆、自分の未来が見えません。
そういう意味で、この不浄観を毎日行っていたという法師の行動は多くのことを考えさせます。
中世の人々にとって、死は日常の出来事でした。
今よりも寿命がはるかに短かったのです。
補陀落渡海(ほだらくとかい)という言葉をご存知ですか。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/11/pocket-watch-1637396_640.jpg)
最も有名なものは和歌山の那智勝浦における補陀落渡海です。
渡海船に乗ってそのまま西国を目指したと言われています。
船中には30日分の食物や水とともに行者が乗り込みます。
箱の中に行者が入ると入り口は板などで塞がれ、箱が壊れない限り出入りはできません。
艪も櫂もない船なのです。
生還することのない浄土へ渡るための船でした。
人々は沖合まで曳航した後、海流に流されて漂流していく船を見送ったと言われています。
「メメント・モリ」
重い言葉です。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。