変化を捉える目
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、ブロガーのすい喬です。
40年近い教員生活の中で毎年教室で取り上げた本が『徒然草』です。
兼好法師がその時々に考えたことを「そこはかとなく」書き綴ったエッセイです。
日本3大随筆の中の1冊です。
序文のところは中学校でもやりますね。
だいたい覚えさせることが多いようです。
生徒たちは意味も分からずに、ただ暗記するのです。
しかし何年かたってふっとその一節が口をついて出てきたりします。
その時に、ああそういうことだったのかと感慨にふけったりもするのです。
昨今の古典離れは激しく、古文や漢文は完全に過去のものになりつつあります。
学校で扱わなかったら、一生目に触れることはないでしょうね。
「折節の移り変わるこそ」という段を覚えているでしょうか。
『徒然草』の中には季節をみごとに表した章段が多いのです。
昔の人の暮らしは自然とともにありました。
今以上に折々の変化をとらえる目が鋭かったと思われます。
本文の1部を少し読んでみましょう。
秋からお正月に至る時期の記述です。
風景が目に浮かびますか。
昔の風習を知らないと、ちょっと意味のわからないところがあるかもしれません。
それでもかまわないのです。
なんとなく言葉の雰囲気を味わってください。
声に出して読んでみてはいかがでしょうか。
本文
七夕祭るこそなまめかしけれ。
やうやう夜寒になるほど、雁鳴きてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。
また、野分の朝こそをかしけれ。
言ひつづくれば、みな源氏物語、枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。
おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
さて冬枯の気色こそ秋にはをさをさおとるまじけれ。
汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より烟の立つこそをかしけれ。
年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへるころぞ、又なくあはれなる。
すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。
御仏名・荷前の使ひたつなどぞ、あはれにやんごとなき。
公事どもしげく、春のいそぎにとりかさねて催しおこなはるさまぞいみじきや。
追儺(ついな)より四方拝(しほうはい)につづくこそ面白けれ。
つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半過ぐるまで人の門たたき、走りありきて、何事にかあらん。
ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。
なき人の来る夜とて魂まつるわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそあはれなりしか。
かくて明けゆく空の気色、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。
大路のさま、松立てわたしてはなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
現代語訳
秋になって七夕を祭るのは本当に優雅なものです。
だんだんと夜の寒さを感じる頃、雁が鳴いてくる頃、萩の下葉が黄色く色づいていく頃、早稲を作った田を刈り取って干すなど、何やかや趣深いことが集まっているのは秋が特に多いです。
また秋の台風の翌朝は実に趣深いです。
このように言い続けると、みな源氏物語や枕草子などで使い古されているのですが、同じことを、もう今更こと新しく言うまいと思うのではありません。
心に思われて、もやもやたまったことを言わないのは、お腹がふくれていやなことです。
筆にまかせては書き付けていきますが、もちろんつまらない慰み書きであって、書いていくそばからすぐに破り捨ててしまう類のものです。
人が見るに値するものでもありません。
さて冬枯れの景色は秋にほとんど劣らないでしょう。
水際の草に紅葉が散り留まって、霜がたいそう白く下りている朝、遣水から水蒸気が立っているのも大変趣深いです。
年も暮れてしまって、誰もお互いにあわただしい頃は比べようもなく味わい深いのです。
殺風景で興ざめなものは、見る人もない月が、寒々と澄んでいる十二月二十日過ぎの空で、心ぼそいものです。
宮中で諸仏の名を唱える御物名(おぶつみょう)や天皇や皇族の陵に諸国から献上された初穂を奉る勅使が立つのなどは、情緒深く貴いです。
宮中の諸行事が、春の準備の忙しい時に重ねて行われるさまは誠に結構なことです。
大晦日の追儺式から、元旦の朝の四方拝まで、一続きに行われるのも実に面白いのです。
大晦日の夜、たいへん暗い中、松明をともして、夜半過ぎまで人の家の門を叩き、走り廻るのは何事なのでしょうか。
大声で騒ぎ立て、足が地につかないほど走り廻りますが、明け方には、やはり音もなくなってしまうのは、過ぎ去る年の名残りも心細いことです。
亡くなった人の霊魂が帰ってくる夜ということで魂を祭る行事は、このごろ都では行われませんが、東国にはいまだに行うことがあるというのは、情緒深いことです。
こうして明け行く空の気色が昨日と変わったようにはみえないけれど、元旦は打って変わって実に清新な心地がします。
都大路の様子も、門松を家々に立てて華やかにうれしげなのは、趣深いものです。
秋から冬にかけての風景
兼好は細かく見てますね。
まさにここに叙述された通りです。
秋は台風のシーズン。
かつては野分と言いました。
野を分けて風が吹きますからね。
紅葉の散った庭の描写も見事です。
いかにも秋だとしみじみ感じてしまいます。
追儺とか四方拝などという行事は宮中でのものです。
最後の文章のように、昨日と何も変わっていなくても、どことなくお正月の風景には風情があるものです。
今はどうなのでしょうか。
隋分日本の風景もかわりました。
お正月はもっぱらテレビの中だけにあるのかもしれません。
ささやかに生きてきた日本人も近代の物質主義の蔓延とともに、大きく変貌を遂げてしまいました。
今のように元旦から営業しているお店など、かつてはありませんでした。
食物を保存するのも大変だったので、日持ちのするものが中心でした。
それだけに一層お正月の味わいがあったようにも思います。
お餅などというのは典型的な貯蔵型食品です。
おせち料理もそうです。
今は飲食店もあり食品を保管する冷蔵庫もあります。
それだけ季節感も変化しました。
人間の感性もかわるワケです。
こうしてみてみると、この国の風土が独特なものであることを感じます。
つい先日、もう1度日本人に生まれ変わるかというアンケートの結果が新聞に載っていました。
それによれば80%の人が再び日本人になりたいというのです。
その解答の理由の1つに四季があって自然が美しいからというのがありました。
なるほど、その通りかもしれません。
同調圧力が強くてイヤだという否定的な解答と並んでいたことを一言付け加えておきます。
やはり兼好法師の目は現代にまで通用する確かなものです。
鎌倉時代からすでに800年以上が過ぎました。
この後の時代はどう変化していくのでしょうか。
この先も『徒然草』が日本を代表する随筆として残ることを祈ってやみません。
最後までおつきあい下さりありがとうございました。