大人のための童話
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
北杜夫の書いた童話『さびしい王様』のことを突然思い出しました。
どうしてもここに書きたくなったのです。
主人公の名前をなぜかずっと忘れずに覚えています。
いつでも言えるのです。
どうしてなんでしょう。
読んだのはものすごく昔のことです。
もう40年以上も前です。
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シャハジ・ポンポン・ババサヒブ・アリストクラシー・アル・アシッド・ジョージ・ストンコロリーン28世が彼の本名です。
王様は世間のことなんか何にも知らずに、冠を頭にのせることになりました。
知らないということはさびしいのです。
つまり自分のアイデンティティがない。
なぜ王様なのかもわからないまま、臣下から王様と呼ばれるのです。
こういう話の展開は、悪賢い王様の手下がいて、王様は手もなく丸め込まれてしまうと相場が決まっています。
完全に無力な王として君臨するだけです。
おそらくこの童話の原型はアンデルセンの『裸の王様』なのでしょう。
青空文庫で読めます。
ちょっと覗いてみてください。
子供の頃、お芝居をみた記憶もあります。
裸で王様が通りを歩くシーンを今でも覚えています。
ストンコロリーン28世もまさしく、革命がおとずれるまでは、傀儡そのものでした。
ただサインをするだけの存在です。
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日本風にいえば、御名御璽というやつでしょうか。
ちなみにこのシリーズにはいくつかの作品があります。
『さびしい姫君』と『さびしい乞食』がそれです。
しかしなんといっても一番よく書けている作品はこの『さびしい王様』なのです。
孤独の影
なぜか王はいつも孤独の影におびえています。
試みに歴史上の王を思い出してみてみればいいでしょう。
西洋でも東洋でも、王はろくな死に方をしていません。
発狂するものもあれば、暗殺されたものもあります。
断崖から落ちて自殺した人までいるのです。
布団の中で多くの家臣にかしづかれながら、静かに息を引き取ったなどという為政者は、そう多くありません。
頂点にのぼるものはみな孤独なのです。
周囲がみなイエスマンばかりになっていくと、誰が味方で誰が敵なのか全く見分けがつかなくなります。
口当たりのいい言葉ばかりが並べられ、人々の生活から引き離されていきます。
食事から住まいから何もかもが、全く違うグレードになるのです。
最初から王様だった人は、その生活がどういう意味を持つのかさえ、考えようとしません。
疑うことを忘れてしまうのです。
なんだかあまりにも悲しい話ですね。
そしてそれに耐えなければなりません。
王の宿命なのです。
シェークスピアを持ち出せばすぐにわかりますね。
『ヘンリー八世』『リチャード三世』『マクベス』『リア王』の死に様はすごいものです。
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狂気に駆られて野山を彷徨う王の姿は凄惨です。
権力を奪ったものは必ず次に権力を狙う者に追われます。
比叡山を焼き討ちした信長は光秀に滅ぼされ、その彼もわずか三日の天下を保ったにすぎませんでした。
その後を襲った秀吉もやがて家康に滅ぼされます。
あれほど、秀頼の行く末を頼んだにもかかわらず、家康はすぐにそれを無視したのです。
どこかの国のつい最近の話に似ていますね。
北杜夫の人生
世間知らずで「おくて」の若い王様はどこまでも無垢でお人好しです。
どうもこのあたりは北杜夫が自分のことを半ば揶揄して書いているような気がしないでもありません。
彼も世間知らずのお坊ちゃまでした。
歌人斎藤茂吉の息子という立場もなかなかに複雑です。
頑固親父だった父親が、これほどに心の柔らかな歌人であったと知ったのは隋分と後のことです。
ぼくも立派な文学者になると父に手紙を書いたのは有名な話です。
必ず名作を書いてみせますと宣言したのです。
父親からの手紙も見事でした。
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そんなことはずっと後でいいから、とにかく医者になれと言われて、強制的に医学部へ進学させられました。
解剖実習で腕を1本もたされた時、怖くなって外科医になれという父の厳命を拒否したとあります。
『どくとるマンボウ青春記』には彼の楽しい話がたくさん載せられています。
何冊かこのシリーズの本を読んでみてはいかがでしょうか。
なんとなくこの王様の風貌に似たものを感じます。
騙されている事に気づかず、健気に歩んでいく王様の姿は若い頃の北杜夫を彷彿とさせます。
王様はどうやら間違った道に来たらしいとぼんやり気づき始めます。
しかしどうしようもなく震えながらも先に進むしかないのです。
大好きだった乳母のおっぱいが懐かしくて仕方がありません。
権力者の最後はさびしい
驕れるものは久しからずとはうまいことをいったものですね。
権力者が力をなくすとあっという間に惨めな印象が強くなります。
それだけ無理をしているんでしょう。
どんなことがあっても下を向いて歩いてはいけないのです。
自分がたとえ会議に遅れることがあっても、それは大切な用事があったとしなくてはなりません。
そう考えると司馬遷の書いた始皇帝の姿も想像できるんじゃないでしょうか。
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ポイントは彼の墓です。
司馬遷が書き残したものの中でなんといっても有名なのは、その墓の中にあるという水銀の海や川についての記述です。
自分のお墓の周囲に全中国を模した地形を形作り、海と川にあたる部分に水銀を流し込んだというのです。
当時、水銀は不老不死の薬ともいわれました。
事実、彼はその効能を信じ、丸薬にして飲み続けたと言われているのです。
その結果、死期をはやめ、さらには幻覚までみるようになりました。
中国全土を支配し、万里の長城まで築いた男が最も怖れたものは自分の死だったのです
実に皮肉な話ですね。
皇帝に即位してすぐに自分の墓の造営にあたらせたというのもよく知られた話です。
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造営に関わった人達を全て生き埋めにし、どこが秘密の地下宮殿に至る入り口なのかもわからないようにしました。
現代に入って地中の様子はさまざまに研究されています。
それによれば司馬遷が著した通り、その部分だけ、異常に水銀の濃度が高いというのです。
一歩でも中に忍び込もうとすれば、どこからか矢が飛んでくる仕掛けまであるという話です。
始皇帝の孤独は痛ましいほどのものであったようです。
誰も信じられず、ただ天地を呪い続けました。
死後、宦官趙高の思惑通り、次の傀儡皇帝は即位したものの、これ以後、秦は乱れにみだれました。
王様のさびしさの元は何なんでしょうか。
権力の持つ哀しさなのでしょうか。
最近そんなことばかり考えていたから、つい大人のための童話に話が行きついた可能性もあります。
『平家物語』があれほどに美しいのも滅んでいくからです。
「盛者必衰」という言葉くらい真実を言い当てたものはないです。
日本人は権力というものの力を心からは信じていないのかもしれませんね。
今回も暢気な話にお付き合いいただきましてありがとうございました。