【児のそら寝・宇治拾遺物語】幼い僧の天真爛漫なあどけなさが絶品

古文入門編

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は古文入門編の題材を扱いましょう。

『宇治拾遺物語』は13世紀前半の鎌倉時代に成立した説話集です。

説話集とは神話や伝説、昔話などの色々な物語を集めた本のことです。

タイトルが面白いですね。

宇治大納言・源隆国という人が編纂したところからついた名前のようです。

高校に入学すると古文の授業で最初に習います。

ストーリーがわかりやすくて、文法的にも難しいところがあまりありません。

入門用としては最適なのです。

『宇治拾遺物語』にはこの他に「絵仏師良秀」が収められています。

この話については別の記事に書きました。

リンクを最後に貼っておきます。

時間があったらどうぞ覗いてみてください。

「児」は「ちご」と読みます。

貴族や武家の出身で、学問や行事見習いのために寺に預けられた少年たちのことをいいます。

5~8歳くらいの年齢の子供を想像してみてください。

比叡山延暦寺のように格式のある寺の場合は、修行のために児として入山することが多かったようです。

児は観音や菩薩の化身とも考えられていました。

と同時に当時は男色が盛んでした。

寺は女人禁制ですからね。

つまり同性愛の対象でもあったのです。

ここではそこまで考える必要はないとは思いますが、念のため。

原文

今は昔、比叡の山に児ありけり。

僧たち、宵のつれづれに、

「いざ、かひもちひせむ。」

と言ひけるを、この児、心寄せに聞きけり。

さりとて、し出ださむを待ちて寝ざらむも、わろかりなむと思ひて、片方に寄りて、寝たる由にて、出で来るを待ちけるに、すでにし出だしたるさまにて、ひしめき合ひたり。

この児、定めておどろかさむずらむと待ちゐたるに、僧の、

「もの申し候はむ。 驚かせ給へ。」

と言ふを、うれしとは思へども、ただ一度にいらへむも、 待ちけるかともぞ思ふとて、いま一声呼ばれていらへむと、念じて寝たるほどに、

「や、な起こし奉りそ。をさなき人は、寝入り給ひにけり。」

と言ふ声のしければ、あな、わびしと思ひて、今一度起こせかしと、思ひ寝に聞けば、 ひしひしと、ただ食ひに食ふ音のしければ、ずちなくて、無期ののちに、

「えい。」

といらへたりければ、僧たち笑ふこと限りなし。

現代語訳

今となっては昔のことですが、比叡山延暦寺に児がいました。

僧たちが、日が暮れて間もない頃の所在なさに、

「さぁ、ぼた餅を作ろう。」

と言ったのを、この児が耳にしたのです。

だからといって、作りあげるのを待っていて、いつまでも寝ないのも、みっともないだろうと思いました。

そこで片隅に寄って、寝ているふりをして、できあがるのを待っていたのです。

しばくするともうできあがったという様子です。

僧たちが騒ぎ合っているのです。

この児は、きっと僧たちが起こしてくれるだろうと待ち続けていると、僧が、

「もしもし。お起き下さい。」

と言うのを、うれしいとは思いますが、ただ一度で返事をするのも、待っていたのかと僧たちが思うといやだと考えて、もう一度呼ばれてから返事をしようと、我慢して寝ているうちに、

「これ、お起こし申しあげるな。幼い人は、寝入ってしまわれたよ。」

と言う声がしたので、ああ、情けないと思って、もう一度起こしてくれたらと、思いながら寝ていると、むしゃむしゃと、ただ盛んに食べる音がしたので、どうしようもなくて、しばらくの後に、

「はい。」

と返事をしたので、僧たちの笑うことがこの上ないことでした。

笑いのポイント

最初に「かひもちひ」について説明しておきましょう。

ぼたもちのことです。

しかし今のような甘いものではありません。

米粉やそば粉などを混ぜ合わせて練ったあとに黄粉などをかけたものです。

ちょっとは甘かったかもしれませんね。

さて読んでいて1番気になるのは僧たちが児に対して敬語を使うことです。

や、な起こし奉りそ。をさなき人は、寝入り給ひにけり。」がそれです。

奉るは謙譲、給うは尊敬を表します。

「な~そ」は禁止を表す表現なのです。

直訳すると、「これ、お起こし申しあげるな。幼い人は、寝入っていらっしゃるよ。」となります。

相手が身分の高い家の子供であることもその理由の1つです。

あるいは仏の化身であるという事情もあるでしょう。

しかし同時に僧たちにとって男色の相手である可能性もありました。

詳しいことはこの話だけでははっきりとわかりません。

授業の時にそこまで踏み込んで説明する必要はないと思います。

むしろこのテーマの場合はそこにあるのではなく、ちょっとしたタイミングのズレでしょうね。

僧たちが大笑いした理由のひとつに、児の返事のタイミングがずれていたことが考えられます。

子供の天真爛漫さ

わざわざ寝入っているのを起こしたらいけないと僧たちが気を使ってくれたのです。

だからこそ、児の方も目を覚ましたらいけないと思ったのでしょう。

しかしみんながおいしそうに食べていると、つい自分も欲しくなります。

まだ子供です。

しばらくした後に児が「はい」といったので、僧たちが大笑いしたのです。

子供の持つ天真爛漫な側面に光をあてれば、より楽しい明るい話になります。

児の失敗というより、子どもらしい無邪気なふるまいといえるかもしれません。

あまりお行儀の悪い行動をすると、あとで親に叱られたりする可能性があったのでしょうか。

それともう1つ。

僧たちは児が寝ていないのをあらかじめ知っていたのではないかという解釈もあります。

しかしそこまで深読みしてしまうと、この話の持つ無邪気な感覚がなくなってしまうのではないでしょうか。

この時代、食事は朝昼2食でした。

だから当然お腹もすきます。

そのあたりの微妙な感覚をぜひ読みながら味わってもらいたいですね。

高校に入って1番最初に習う話がこれというのもなんとなく納得できます。

楽しい話で、気分を盛り上げるには最適なのかもしれません。

その次が「絵仏師良秀」です。

こちらは芥川龍之介が『地獄変』の原作にしたという人間の狂気を描いた作品なのです。

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その対比が古典の世界への道しるべになるという配慮なのでしょう。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

【絵仏師良秀】芸術至上主義者の辿る道には死の匂いが常に漂う
中世の古典には多くの味わい深い作品があります。それらをうまく使って作家たちは名作を書きました。芥川龍之介には『羅生門』『地獄変』などがあります。原作との違いを見ながら、内容をチェックしてみましょう。小説家の苦悩が理解できるはずです。
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