【平家物語・祇園精舎】滅びの美をここまで感動的に描いた古典はない

祇園精舎

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今までこのサイトで随分多くの古文を扱ってきました。

しかしなぜか『平家物語』を取り上げていません。

特にこれといって理由はないのです。

ただなんとなくというのが真相に近いです。

軍記ものは嫌いなのかと言われたら、Noですね。

大好きです。

今から何年前でしょうか。

NHKラジオで全編を読むというシリーズが放送されました。

その時、最初から最後まで聞きました。

半年くらいかかりました。

解説もすばらしかったです。

しかしそれ以上にアナウンサーが読み上げる表現の美しさに酔いました。

聞いたことがありますか。

和漢混交文というのです。

和文と漢文が混じりあった独特の文体です。

そのリズムがまた美しい。

7音と5音を中心に、みごとな表現が連なっています。

この作品こそ、声に出して読まなければ意味がないでしょうね。

特に合戦のシーンなどは、講談そのものです。

手に貼り扇をもって、机を叩きながら読むと、なお一層、リズムが引き立ちます。

元々、琵琶法師と呼ばれる人たちが、寺などに人を集め、そこで披露したものです。

それだけに人間の呼吸に合致しているのです。

聞いていても心地よいのはそのためです。

琵琶の調べにのってこの物語が語られるのを聞いたことがありますか。

もちろん、現代のリズムではありません。

なるほど、こういう感覚で昔の人は生きていたんだなということが、実感を持って感じられるに違いありません。

冒頭の「祇園精舎」を読んでみましょう。

高校1年生で習います。

最初のところは暗記させられたのではないでしょうか。

日本語のリズムが息づいています。

原文

祇園精舍(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり。

娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ。

遠く異朝(いちょう)をとぶらへば、秦の趙高(ちょうかう)、漢の王莽(おうまう)、梁(りょう)の朱忌(しゅうい)、唐の祿山(ろくさん)、これらは皆旧主先皇(せんこう)の政(まつりごと)にも従はず、楽しみをきはめ、諌(いさ)めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁(うれ)ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡(ぼう)じにし者どもなり。

近く本朝(ほんちょう)をうかがふに、承平(しょうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)、康和(こうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいじ)の信頼(しんらい)、これらはおごれる心も猛き事も、皆とりどりにこそありしかども、ま近くは、六波羅(ろくはら)の入道前太政大臣(さきのだじょうだいじん)平朝臣(あそん)清盛公と申しし人のありさま、伝えへ承(うけたまわ)るこそ、心もことばも及ばれね。

口語訳

祇園精舎の鐘の音には、諸行無常(全ての現象は刻々に変化して同じ状態ではないこと)を示す響きがあります。

(釈迦入滅の時、枯れて白くなったという)沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという道理を表しています。

権勢を誇っている人も長くは続きません。

まるで春の夜の夢のようにはかないものです。

勇ましく猛々しい者も結局は滅んでしまいます。

全く風の前の塵と同じです。

遠く中国にその例を尋ね求めると、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱忌、唐の祿山など。

彼らは皆もと仕えていた主君や先の皇帝の統治にも従わいませんでした。

楽しみの限りを尽くし、他人の諌言をも心にとどめず、天下が乱れるであろうことを悟ることもなかったのです。

人々が嘆くことも理解しなかったので、滅びてしまった者たちです。

わが国の例を調べてみると、承平の(平)将門、天慶の(藤原)純友、康和の(源)義親、平治の(藤原)信頼などがあげられるでしょう。

彼らは思い上がった心も猛々しいことも、皆それぞれはなはだしかったです。

しかし最近の例でいえば、やはり六波羅の入道こと前太政大臣平朝臣清盛公と申しあげた人の様子が1番でしょう。

伝え聞くにつけても、心で想像したり、言葉で表現することも出来ないくらいひどいありさまだったのです。

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この文章の最初にある「諸行無常」「盛者必衰」という言葉は誰の胸にも刺さりますね。

当時の仏教でよく使われた表現です。

最初の3行は五七調と対句の表現が美しいです。

一言でいえば因果応報です。

必ず自分がしたことはまわり回って自分に戻ってくるのです。

清盛以下のした悪行の結果、最後には絶頂の繁栄から滅亡までに至りました。

その様子をこれでもかと書き込んでいます。

後白河法皇の側近たちが企てた平家討伐の計画は露見し、清盛は首謀者たちを次々と捉えては斬罪、流罪にしていきます。

平家に敵対した興福寺や東大寺も焼いてしまうのです。

当時の人たちがどういう気持ちで、この悪行をみていたかがよくわかりますね。

必ず報いがあると信じたのです。

平氏も源氏も

結局その後、伊豆で頼朝が挙兵し、最後は壇ノ浦で平氏の一族郎党が全て死に絶えるところで、この物語は終わります。

壮大なスペクタクルですね。

ここまで因果と勧善懲悪を貫いた古典は、これ一作かもしれません。

みごとなくらいに全てが予測どうりに進むのです。

この作品は成立時期も実はよく分かっていません。

誰が書いたのかも諸説あるものの、確定はしていないのです。

たくさんの読み本があって、どれが正統なものかもはっきりしていません。

多くの琵琶法師たちがあちこちで語ったのでしょうね。

人々は文字も読めませんでした。

法師の語る人間のドラマを聞きながら、涙を流したにちがいありません。

この物語はさらに次の時代をも予感させる内容になっています。

勝利をおさめた源氏もわずか3代で滅んでしまったのです。

それも予感として持ちながら、この話を読んでいると、さまざまな思いがして複雑な気持ちになります。

あるいは幼い安徳天皇を失って、尼になった建礼門院の気持ちなどを考える時、人生の無常をあらためて感じるのです。

平家も源氏もともに滅んでいきました。

人の世を生きることに悩んだ時、ふと『平家物語』に手が伸びるというのはごく自然なことではないでしょうか。

言葉のリズムのすばらしさが身体の中にしみ込んでいくと、実に爽やかな気持ちになります。

流れにそって、その文体の中にはいりこんでください。

中世を生きた人々と現代を生きる人間とは、少しも違っていません。

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まったく同じ生をはぐくむ同類なのです。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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