【門出・更級日記】京の都に憧れた少女時代が今はただ懐かしい

日記文学の代表

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は必ず高校で習う『更級日記』を読んでみましょう。

1番最初に学ぶのがこの「門出」の段ですね。

平安中期の代表的な日記文学です。

筆者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。

当時の女性は地位が低くて、名前が残っていないのです。

誰の娘なんて、隋分失礼な話ですけど、それが現実でした。

1060年ごろに成立したといわれています。

彼女が13歳の頃、父の任地上総国(千葉県)からいよいよ京都へ帰ることになりました。

父親は地方の役人だったのです。

帰京する旅の記録になればと筆をおこしました。

最初はこれほど長くなるとは思っていなかったのかもしれません。

それがいつの間にか、以後40余年に及ぶ半生を自伝的に回想した記録となりました。

今となってみれば本当に貴重な日記なのです。

当時の女性の暮らし方が実にていねいに書き込んであります。

自分の力では何もできなかった女性たちが、何を心の支えにして生きていったのか。

それがよくわかります。

京都に比べれば、東国は本当に田舎でした。

作者はひたすら物語の生まれる京の都に憧れました。

気持ちはよくわかります。

まさに乙女心なのでしょう。

都での華々しい暮らしを夢に見たのです。

日々の生活は、地味なものでした。

なんにも刺激がありません。

本を読むということすら、なかなかかなわなかったのです。

本を読む

昔の人は印刷技術がない時代にどうやって本を手に入れたのでしょうか。

今なら本屋さんに行かなくてもネットで注文できますからね。

そんな時代だからかえって本離れが進んでしまったのかもしれません。

昔は誰かが持っている本を借りて、それを書き写すしか方法がなかったのです。

気が遠くなりますね。

当時、若い女性たちが1番読みたかった本は何か。

それはもちろん『源氏物語』でした。

まばゆいほどの都での生活がそこには描かれていたのです。

しかし現実には噂話に終始するだけです。

地方に文化の香りはほとんどありませんでした。

『源氏物語』に対する執心はなみなみのものではなかったのです。

彼女は光源氏のような王子様が白馬に乗ってやってくるのではないかと憧れたのでしょうね。

しかし現実はそれほど甘くはありませんでした。

ところが父親がやっと任期を終えました。

京都に戻るというのです。

憧れの都への夢が一挙に膨らみます。

原文を読んでみましょう。

原文

あづま路の道のはてよりも、なほ奥つかたに生ひいでたる人、いかばかりかはあやしかり

けむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで

見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、よひゐなどに、姉、継母などやうの人々の、そ

の物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさ

まされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。

いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏をつくりて、手洗ひなどして、人まにみそかに

入りつつ、

「京にとくあげ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ」

と、身をすてて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出し

て、いまたちといふ所にうつる。

年ごろ遊びなれつる所を、あらはにこぼち散らして、立ち騒ぎて、日の入りぎはの、いと

すごく霧りわたりたるに、車にのるとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつき

し薬師仏の立ち給へるを、見すて奉る悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

現代語訳

東海道の果ての常陸の国よりも、もっと奥の上総の国で成長した人である私は、京で育っ

た人から見ればどんなにか田舎じみて見苦しかったであろうに、どうしてこんなことを考

え始めたのでしょうか。

世の中に物語というものがあるとかいうのを、それをなんとかして見たいと思い続けて、

手持ちぶさたな昼間、夜遅くまで起きている時などに、姉、継母などといった人々が、そ

の物語あの物語、光源氏のありさまなど、ところどころ話すのを聞くと、それらの物語を

ますます見たいという気持ちが強くなりますが、私の思うとおりに、物語を暗記してどう

して思い出して話してくれるでしょうか。

いや、そんなことはかなわないことです。

たいそうじれったいので、腰掛けする私と同じ身の丈に薬師仏を造ってもらって、手を洗

い清めなどして、人のいない間にこっそりと薬師仏を置いた部屋に入っては、「京に早く

私を上らせてくださって、物語がたくさんありますと聞いています、その物語をあるだけ


全部見せてください。」と、わが身を投げ出して額を床にすりつけて、お祈り申しあげる

うちに、十三歳になる年、父の任期が終わり上京しようといって、九月三日に出発して、

いまたちという所に移りました。

DeltaWorks / Pixabay

長年遊び慣れた家を、内部が丸見えになるほどに御簾や几帳などを取り払って、大騒ぎを

して、やがて夕日がまさに入ろうとする時の、実にぞっとするほど寂しく霧が一面にかか

っている時に、車に乗ろうとしてちょっと家のほうに目を向けましたところ、人のいない

間には何度もお参りをして額をすりつけて祈った薬師仏が立っていらっしゃるのを、お見

捨て申しあげることが悲しくて、人知れず自然に涙がこぼれるのでした。

人生の意味

この一節を読んでいると、少女のいじらしい気持ちがよくわかりますね。

なんとかして京都に行きたいと願っていた彼女のしたことは、ひたすら祈ることでした。

等身大の薬師仏ですから、それほど大きくはなかったのでしょう。

その仏様に毎日お願いをしたのです。

「わが身を投げ出して額を床にすりつけて」とありますから、正式なお祈りの仕方だったのかもしれません。

この部分を読むだけで、その真剣さがよくわかります。

家を離れる時の様子も目に見えるようですね。

人のいない仏間にじっと立っている薬師仏を見た時の気持ちは複雑だったに違いありません。

京都までの旅を想像してみてください。

街道もそれほどには整備されていません。

人生をかけるほどの大移動だったのです。

しかし夢にみた京都での現実はそれほど甘いものではありませんでした。

『源氏物語』を全巻揃えてもらって読みふけっていた頃は、まだよかったのです。

やがてその時代も終わり、厳しい現実のなかで挫折していきます。

この日記の後半には老いていく彼女の心境がこれでもかと綴られています。

最後は信仰の世界に魂の安住を求めようとするまでの心の様子が描き出されているのです。

作者は宮仕えに出たものの、期待した幸運は訪れませんでした。

結局は平凡な受領(下級役人)の妻としての生活を得るにとどまったのです。

夫の死とともにその暮らしもやがて崩れていきます。

最晩年の孤独な境涯がしみじみと述べられ、人生への諦めもそこには述べられています。

読んでいると、これが人生というものなのかもしれないなとしみじみしてきます。

いつかチャンスがあったら、是非手にとってみてください。

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夢見る頃を過ぎても、人は夢を見続けたいものなのでしょうね。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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