人道的支援
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回はいつもと趣向をかえて、漢文を読みましょう。
日本人の書いた文章です。
漢詩文は武士のたしなみとして重要視されていました。
作家、夏目漱石も多くの漢詩をつくっています。
頼山陽は江戸時代後期の歴史家であり漢詩人でもあります。
代表作は『日本外史』です。
今回の話はその中に綴られた最も有名な逸話の1つです。
「敵に塩を送る」という表現を聞いたことがあると思います。
敵の弱みにつけこむのではなく、逆にその苦境に救いの手を差し伸べるという意味です。
このことわざは、今回学ぶ故事から転じたものなのです。
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争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質と関わりのない部分については援助を与えるべきだという考えがあります。
戦争などで村を焼かれ、難民になってしまう可能性のある人たちを、人道的な意味から助ける話をきいたことがありますか。
戦争の当事者が第三者に脱出ルートを作ることを認めるなどといったケースもあります。
現在、ロシアによるウクライナ侵攻で激戦地となっている場所でも、双方が交戦を一時停止して住民らを安全な場所に避難させる動きがあります。
避難ルートは「人道回廊」とも呼ばれ、危機を食い止めるための措置として期待されているのです。
今回はそこまでのレベルの話ではありません。
もっとオーソドックスな、しかしより人間の生存に大切な塩の話です。
人間は塩がなくては生きていけません。
それだけに、この話が今も生き続けているのです。
頼山陽の『日本外史』を読んでみましょう。
原文は全て漢字です。
ここでは書き下し文にしてあります。
本文
信玄の国、海に浜せず。
塩を東海に仰ぐ。
氏真(うじざね)、北条氏康と謀り、陰(ひそか)に其の塩を閉づ。
甲斐 大いに困(くる)しむ。
謙信之を聞き、書を信玄に寄せて曰く
「聞く、氏康・氏真、君を困(くる)しむるに塩を以てすと。不勇不義なり。
我、公と争へども争う所は弓箭に在り、米塩に在らず。
請ふ、今より以往、塩を我が国に取れ。多寡は唯だ命のみ」と。
すなわち賈人(こじん)に命じ、値を平らかにして之に給せり。
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信玄死す。
北条氏政、使ひを馳せて之を謙信に告ぐ。
謙信まさに食らふ。
箸を舎(お)きて嘆じて曰はく「吾が好敵手を失へり。世復た此の英雄男子有らんやと」
因りて潸然(さんぜん)として涕(なみだ)を流すこと、之を久しくす。
現代語訳
武田信玄の国は山中にあり、海に面していませんでした。
そこで塩を東海地方からの供給に頼っていたのです。
駿河の今川氏真は、小田原の北条氏康と共謀して、ひそかに東海地方の海から取れる塩を甲斐へ供給するのを断ってしまいました。
その結果、甲斐の国の人々は生活に不可欠な塩が入手できず、苦しむことになったのです。
越後の上杉謙信はこのことを聞きつけ、信玄に手紙を送りました。
聞くところでは、氏康と氏真があなたを苦しめようとして、塩の供給を停めているとか。
これは卑怯で不義なやり方です。
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私は、あなたと戦さをして争ってはいますが、それはあくまでも武力での勝負です。
米や塩の取り合いで争っているワケではありません。
どうぞ今から以後は、塩を吾が越後の国からお求めください。
越後は幸い、海に面していて塩が取れます。
塩を多く求めようが少なく求めようが、そちらの必要な量をお伝えください。
謙信は商人に命令して、塩の値段はいつもの相場での価格に留めました。
塩で困っているからといって、高値にしたりすることなく、甲斐に塩を送ったのです。
信玄が亡くなった時、北条氏政は使者を謙信に送りました。
謙信は食事の際中でした。
この知らせを聞き、すぐに箸を置き嘆き呟きました。
ついに私は真の好敵手を失ってしまった、と。
これほどの英雄に出会うことは、人生においてもう二度とないだろう、と言い、涙が彼の目から涸れることはなかったといいます。
信玄と謙信
戦国時代の話です。
甲斐の国(山梨県)を中心に勢力を広めていた武田信玄と、北陸を支配した越後の上杉謙信の武勇は有名ですね。
「川中島の合戦」で矛先を交えた武将の話は誰もが知っています。
その戦いのなかでのエピソードがこれなのです。
甲斐の国は海に面していません。
そこで東海地方から塩を入手していました。
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ところが、1568年、東海地域を治めていた今川氏真との関係が悪化してしまいます。
氏真は北条氏康らと結託し、甲斐への塩の供給を止めてしまったのです。
この非情なやり方に対して、憤ったのは謙信でした。
この時に謙信のとった方策が素晴らしいですね。
甲斐の領民のために、公正な価格で塩の販売を行うよう、商人に命じたのです。
決して利をむさぼることはありませんでした。
「敵に塩を送る」ことはいいとしても、現在のビジネスシーンではもっと厳しい言い方もあります。
それは「苦しんでいる相手を救う」ことになってしまい、一種の延命措置ともなりうるからてす。
それだけ苦しみを伸ばすということも、考えられないワケではありません。
川中島の合戦
信玄と謙信といえば、「川中島の合戦」をうたった詩吟が有名ですね。
聞いたことがありますか。
この詩も頼山陽がつくりました。
鞭声粛粛 夜河を過る
べんせい しゅくしゅく よる かわをわたる
曉に見る千兵の 大牙を擁するを
あかつきにみる せんぺいの たいがを ようするを
遺恨なり十年 一剣を磨き
いこんなり じゅうねん いっけんを みがき
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流星光底 長蛇を逸す
りゅうせい こうてい ちょうだを いっす
現代語訳は以下の通りです。
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上杉謙信の軍は、馬に鞭打つ音も静かに、夜陰に乗じて千曲川を渡った。
明け方、武田信玄の本陣前には突如、上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて現れた。
まことに無念だ この十数年来、剣を磨いてきたが
打ち下ろす刃光一閃 武田信玄を討ち取れなかった。
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ぜひ一度聞いてみてください。
詩吟の中で最も有名なものの1つです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。