【絵高麗梅鉢・猫の皿】小品の味わいがじわりと染みる落語の名作

落語

猫の持つ味わい

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家でブロガーのすい喬です。

今回は「猫の皿」の話をさせてください。

時々、ぼくも高座でやります。

最後にストンと落ちますので、その小気味のいいこと。

ただ面白いだけでなく、いろんなことを後から考えさせてくれる噺です。

一言でいえば、人間の欲の深さということでしょうか。

それをあぶり出す猫。

不思議と落語には猫がよく出てきますね。

代表は「猫の災難」でしょうか。

なんでも猫のせいにして、いい気になっている人間が最後にとんだしっぺ返しを食らいます。

同工異曲の噺に「犬の災難」というのもあります。

しかしこちらはあまり人気がありません。

猫というのは不思議な動物ですね。

犬の散歩というのはありますが、あまり猫の散歩というのは聞いたことがありません。

実にマイペースな生き物なんでしょう。

とにかく束縛されるのをいやがる。

たとえ御主人様だといっても気にくわなければ、そばにも寄ってこない。

これは嫌われたなと思っていると、突然ゴロニャーとすり寄ってくる。

勝手気ままといえば、これくらいぞろっべいな動物はいません。

犬とは全く気性が違います。

そのあたりが落語には向いているんでしょうね。

元々、東京では古今亭志ん生がよくやっていました。

寄席に行くと、今でも一門の金原亭伯楽師匠がよく高座にかけています。

何度か続けて聞いているうちにいつの間にか覚えてしまいました。

好きな噺です。

特に骨董の話をマクラでふりながら、本題に入るあたりの絶妙な味わいが大好きです。

果師と店師

果師、あるいは旗師ともいいます。

古美術商のことです。

店を持たずに各地の蔵などにある値打ち物を安く買ってくる人のことを言います。

その反対が店師です。

目がきくというのが大前提です。

半分は言葉でうまく相手を乗せ、安く買い叩いてこなければ儲けがでません。

元は店で番頭などをしていたので目がきくのです。

しかし鑑定眼があるだけでは、商売はうまくいきません。

raphaelsilva / Pixabay

そのあたりが最初のキーワードですかね。

ぼくはだいたいこの噺をする時に骨董市の話をちょっとふります。

小田急線大和、京王線高幡不動などの話をすると、興味を持って聞いてくれますね。

たまには京都東寺の弘法の市の話も加えます

そうすると、後半の内容にリアリティが出てくるのです。

志ん生を知っている人たちの世代なら、有名な「掛軸の話」を入れたりもします。

これは今や伝説といっていいでしょうか。

geralt / Pixabay

志ん生が気に入って買った掛軸を鑑定してもらったら、なんと「今川焼」と書いてあったという笑い話です。

人間性にあふれるぼくの大好きな逸話です。
 
親友だった八代目三笑亭可楽の風貌をまじえながら話すと、お客様は喜んでくださいますね。

あらすじ

伯楽師匠の話は高尾山の手前の茶店が舞台です。

果師の男がお茶を飲みながら店主のおじいさんと世間話をします。

高尾山の講中の人たちの信心の深さや、稲の穂の色、川の水の澄んだ美しさなど、ここでの描写は実に心地のよいものです。

いずれにしても、今回の旅でもあまり儲かりそうな骨董にはありつけませんでした。

ふと店の隅で餌を食べる飼い猫に目がいきます。

すると、猫がむしゃむしゃと餌を食べている皿に目がとまりました。

大変な名品なのです。

俗に「絵高麗の梅鉢」と呼ばれる江戸へもっていけば100両はするという代物だったのです。

男は猫を抱き寄せ、大変に可愛がります。

自分には子供がいないので、かみさんがどこかで猫をもらってきてくれといった。

幸い自分に懐いてくれている。

譲ってくれないかともちかけるのです。

亭主は女房が死んでから、猫だけをかわいがって生きてきたといいます。

5匹生まれたが、そのうち3匹はもらわれていった。

今はあと2匹しかいないのです。

勘弁してください。

男は餌代をおいていきますよといって3両を店主に渡そうとします

さすがにそれはあまりにも高額なので恐縮したものの、結局譲ることになりました。

果師の男は「猫は、皿が変わると餌を食べなくなるそうだ。その汚い皿でいいから一緒にもらっていくよ」と告げます。

相手がなんにも知らないと見くびって、絵高麗の梅鉢を持ち去ろうとするのです。

すると店主は慌てて、それはダメですと叫びます。

こんな汚い皿の何がいけないんだい。

それは絵高麗の梅鉢と申しまして、江戸へもっていけばどんなに安くても100両にはなるものなんですと説明します。

慌てた果師はどうしてそんな高い皿で、猫に餌なんか食わしているんだと訊くと…。

その皿で猫におまんまをたべさせておりますと、時々猫が3両で売れますので。

これがオチです。

実にしゃれてますね。

ちょっとフランス小噺の風情を感じさせます。

エスプリがあるというのでしょうか。

派手な噺ではありませんが、こういう品の良さが好きです。

人間、欲をかくと…

「欲をかく」という表現をよく使いますね。

しかしどういう漢字を使うのかまでは知りませんでした。

欲張るといい結果にならないという時に使う表現です。

しかしどちらかといえば、つい大きな葛籠の方が欲しくなるというもの。

それが人間なんでしょう。

漢字で書けば、「掻く」となります。

AbsolutVision / Pixabay

「汗」も「頭」も「裏」も「寝首」も「恥」も「吠え面」もみんな「掻く」です。

本当は「欲」を「かく」ではなく「かくな」というのが正しいのでしょう。

仏教では「小欲知足」とよくいいます。

これができれば、もう完璧でしょう。

しかしできないからこそ、人間なのです。

その姿を猫の皿を使って教えてくれている落語がこれです。

そういう意味では隋分と教訓的な噺です。

聞き終わって帰り道に、自分にも似たようなところがあるなと思い返してもらえたら最高ですね。

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しかしそれでもやはり翌日からまた同じことをする。

だから人間なのではないでしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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