落語家にとって寄席はアウェー感覚の道場だ!

落語

なぜ寄席なのか

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

いくら落語がすきだからといって、毎日落語のことばかり考えているわけじゃありません。

あたりまえですよね。

しかし寄席にはたくさんの魅力があって、ついフラフラと吸い込まれてしまうのです

歌舞伎好きの人が黙って歌舞伎座の前を通り過ぎるなんて無理でしょ。

一幕だけでも見ていくかということになります。

ぼくもかつてはそうでした。

つい寄ってしまうのです。

今なら、もう時効だから許してもらえるでしょう。

サラリーマンをしていた当時、つい一幕だけといっては歌舞伎座を訪れたものです。

向かって左側の階段をとことこ上っていくと、はるか4階です。

舞台がものすごく遠かった。

それでも見ました。

その時間だけ、全く別の世界に没入できましたからね

隣には、いわゆる大向こうと呼ばれる人たちがいて、成田屋、播磨屋、成駒屋なんて大きな声を張り上げてました。

彼らはみな木戸御免というので、無料だったのです。

本当の「通」というのはああいうところにいたんですね。

1人15分。

さて落語の話です。

噺家はみんな寄席に出たがります。

なかにはすごく後ろ向きな人もいますけど、それはごく少数です。

上席、中席、下席の10日間づつ、昼と夜の興行で、さて何人の噺家が必要なのか。

昼夜の部ともに10~13人前後です。

どんなに多くても15人にはなりません。

その他に漫才、コント、奇術、俗曲、紙切りなどの色物が入りますからね。

1人の持ち時間はだいたい15分。

前の人の噺によって時に長くなったり、あるいは逆の場合もありますが、このワクを大きく外れることはありません。

30分くらい話せるのは最後に出てくる主任と呼ばれるトリの師匠だけです。

わずか15分で話せる噺というのはそれほど多くはありません。

つまり、寄席で聞ける噺は似てきます。

同じ種類の噺は「ツク」といって避けなければなりません。

最初に与太郎の噺が出れば、次の人はもうできないわけです。

トップに出る前座が与太郎の噺をしてしまえば、その数時間は同じ種類の落語が封印されてしまいます。

そうした意味で自分にしかできない新作落語を持っている人は楽です。

先代円歌の「中沢家の人々」などは他の誰もできませんでした。

現円歌の「龍馬伝」なども同じ扱いです

ギャラの真実

さらにギャラの問題もあります。

寄席の収入で生活できる人はいません。

基本的に「ワリ」というシステムで賃金が支払われます。

このシステムは東京の寄席にしかありません。

入場者数と噺家の格に応じて決まっている金額をかけたものがその日の給金ということになります。

つまり毎日実際にもらえる出演料がちがうということなのです。

いくら出るのか、なかなか本当のところを落語家から聞けません。

親しい噺家とお酒を飲みながら、それとなく聞き出すという程度です。

それによれば、最低賃金の数時間分というところでしょうか。

それでどうやって暮らしていけるのかというほど少ないのが実態です。

お金 photo

電車賃でなくなってしまうということもあります。

そんなに少ないのになぜ寄席に出たいのか。

ここが一番のキモです。

寄席に出たい

独演会名人という言葉があるのを知っていますか。

ちょっと想像してみてください。

自分が少しも売れていない噺家だったとしたら…。

久しぶりに寄席に出られることになりました。

出られるのは、基本真打だけです。

二つ目でもたまには出られますが、よほど人気がでてこなければ、呼ばれることはありません。

席亭はなんといってもお客の呼べる芸人が欲しいのです。

だから人気のある人はあちこちの寄席をかけもちします。

そうなればしめたもの。

しかしなかなかそんな機会はありません。

東京だけでも700人くらいは落語家がいます。

そのうちの半数以上が真打ちです。

定席はわずかに4軒

1日に25人出るとしても100人もいれば十分です。

かけもちをする噺家もいますから、実数はもっと減ります。

だから顔付けをされて、今月の上席10日間の出演が約束されたということは本当にうれしいことなのです。

さてお囃子がなって高座にあがりました。

拍手がなります。

しかしお客さんは自分のことを知らない。

当日渡されるパンフレットを見ています。

この噺家はだれだ。

名前の確認でしょう。

知らないなあ。

笑点にも出てこないし、テレビで見たこともない。

どこの誰だろう。

一人 photo

全くのアウェー状態です。

だれも知らない野原に1人飛び出したようなもんです

そこで15分間。

とにかくお客を笑わせなければならない。

これがなによりの修行なのです、戦いなのです

高座を降りた時の送り手の拍手はどうだったでしょうか。

すごく気になりますね。

この経験を10日間することで、自分の芸を磨く。

明日は昨日うまくいかなかったところを修正してやろう。

明日はここで笑いをとろう。

毎日、悪戦苦闘します。

そのかわり、面白ければ笑ってくれる。

なかには招待券ではじめてきたというお客もいます。

あるいは、ほとんどの噺はマクラを聞くだけで、オチまで知っているという通人もいます。

かつての池袋演芸場などは畳敷きでしたから、お客はだいたい寝転んで聞いていました。

前座などがあがると、足の裏しかみえなかったといいます。

やがてすこし聞けるようになると、少しだけ顔をあげてくれたとか。

まさに鍛錬修行の場です。

寄席は反応が如実にでる怖い場所なのです

自分のお得意、自分目当てのお客さんがいれば、それは楽です。

ちょっとしたことで笑ってくれる。

こういうお客は仲間です。

だから非常にやさしい。

まるで独演会で名人になった気分とでもいえばいいのでしょうか。

気分はいいですが、甘やかされた分、芸は伸びません。

生活のための給金は、ホール落語や、ちょっと呼ばれてでかけていくいわゆる営業で稼げばいい。

寄席はまさに戦いの場なのだと割り切る気持ちが大切です。

楽屋は楽しい

楽屋にいる時に知ることのいかに多いことか。

そこでの人間関係が、自分の芸を先に進めてくれるのです。

一言でいえば、楽屋が楽しい

楽屋 photo

Photo by udono

それが寄席の全てかもしれません。

多くの落語家の生の芸に接し、そこから得るものは限りがないのです。

彼らはことさらに芸談をするわけではありません。

そんな野暮なまねはしません。

しかし常に自分の芸について考えている。

それが時にこぼれ出る。

それを拾える場所が寄席なのです。

だからどうしても出たい。

かつて六代目三遊亭圓生が落語協会を出るという分裂騒ぎがありました。

あの時に圓生の芸を一番にかっていた古今亭志ん朝も協会を飛び出しました。

しかし騒動が終了した後、志ん朝は協会に戻ったのです。

その理由はなんだったのか。

とにかく芸人は寄席にでなければダメなんです。

寄席に出て修行を積んでいくことが、芸人にはどうしても必要なのですと何度も苦しそうに呟きました。

最近でも立川流から数人が、落語芸術協会に入っています。

他の立川流の噺家は寄席には出られません。

圓楽一門も全く事情は同じです。

ただし、落語芸術協会会長だった故歌丸との関係で、数人が芸術協会の時だけ、寄席に出ています。

春風亭一之輔が真打ちになった時も、とにかく寄席に出たいと言いました。

お金も欲しいけれど、ずっと寄席に出たい。

それを高く評価したのが、彼を真打ちに推薦した当時の落語協会会長柳家小三治です。

独特な場内の雰囲気にひたっていられれば、噺家は幸せなのです。

とにかく落語が好きなのですから。

しゃべれれば、それだけでいい。

声が出れば命はいらないと言ったのは、古今亭右朝です

夜のトリをとっている時、声がでなくなったことがあったとか。

これはその時の名言。

右朝はうまい噺家でした。

2001年に52才で亡くなりましたが、その1年前、奇跡的に声がでるようになりました。

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これはその時のマクラの一節です。

ここに噺家の真実があると思いませんか。

落語はすばらしい芸です。

最後までお読みくださってどうもありがとうございました。

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