【落語】鼓ヶ滝は西行法師の成長をあたたかく見守った和歌三神の物語

落語

寄席の魅力

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

もう10年以上も落語の会に入れていただいています。

覚えるのは苦しいです。

とくに長い噺は本当にしんどい。

しかしそれをお客様の前でご披露し、喜んでいただいた後の気持ちは他では味わえないものです。

だからついまた頑張ってしまうのです。

落語会で1番最後に登場する役をトリといいます。

これもやってみると、責任の重さを痛感します。

お客様にご満足いただき、余韻を持って帰ってもらえるよう全力を尽くさなければなりません。

とにかくいろいろと大変なことばかりなのです。

稽古は強かれと能楽者、世阿弥も言いました。

強かれというのは、一生懸命やりましょうという意味です。

ぼくには今まで稽古をしても高座にかけたことのない噺がいくつかあります。

たまたまチャンスがなかったということかもしれません。

あるいは自分に合っていないような気がして、自信がないとか。

プロの噺家はある程度覚えたら、すぐ寄席の高座にかけます。

未完成でもいいのです。

ダメなところは翌日修正してまたトライします。

寄席はある意味、稽古道場といってもいいのではないでしょうか。

だから出演料は少なくても、皆出たがるのです。

寄席はいつもアウェイです。

おまえは誰だという顔で迎えられることが多いのです。

その雰囲気の中で、客席をあたため、笑いをとる作業が結局は実力をつけることにつながります。

寄席に出るチャンスが欲しくて、立川流から落語芸術協会に移籍した立川談幸のような噺家もいるのです。

詩人西行

今回の噺のタイトルは「西行」とも「鼓ヶ滝」とも言います。

最近は「鼓ヶ滝」という題で演じられることが多いようです。

元々は講談のネタです。

上方の噺としても有名です。

テーマは西行にちなんで和歌ですが、それが微妙に推敲され、変化していくところがこの噺の聞き所でもあります。

西行をご存知ですか。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍しました。

武士であり、僧侶、歌人でもあるという人です。

西行は吉川英治の『新平家物語』などにも重要な人物として出てきます。

佐藤義清(のりきよ)という名の北面の武士でした。

武家台頭の時代とはいえ、まだ低い身分で、宮中の護衛兵だったのです。

歌に対する愛着がよほど強かったのでしょう。

やがて出家して西行と名乗り、『山家集』を世に問うています。

後の松尾芭蕉などにも大変慕われた歌人です。

願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ

一番有名な歌です。

百人一首にも歌が残されています。

嘆けとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな

落語に出てくる西行は歌の修行中という設定になっています。

若さのせいか、慢心をかかえた人物として登場するのです。

摂津の鼓ヶ滝にやって来た時の話です。

最初につくった歌は次のようなものでした。

伝え聞く鼓ヶ滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花

ところが近在の家で宿をと頼んだところ、そこの翁、婆、娘がそれぞれ次のように歌を推敲していきます。

どう変化したのか

ここがこの噺のポイントでしょうか。

それも「鼓」「来て」「沢辺」という表現にあわせての作歌ということになります。

伝え聞くを鼓ヶ滝の鼓にかけて、音に聞くとした方がよくはないかと翁に言われます。

音に聞く鼓ヶ滝に来てみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花

となおしました。

ちなみにこの歌を西行が作ったという事実はありません。

和名抄という本の中に古名があります。

たんぽぽは昔は「田菜」と呼ばれていました。

田んぼの脇に咲いているごくありふれた花というイメージが、この言葉からよく伝わってきます。

あるいは別名をフジナとも呼んでいたとか。

それ以前に、たんぽぽという最後の破裂するような音の連なりが、和歌には不向きです。

落語ならではの創作だと考えた方がいいでしょう。

これはぼく個人の感想ですが、よくこんな歌を西行がつくったということにしたものです。

この詩人にこういう類いの語感はありません。

あまりにも軽すぎる。

だからこそ、落語らしいといえば言えないこともありませんけどね。

次に婆が「鼓」「音に聞く」にひっかけて「打ちみれば」にしたらもっと面白いかもしれないといいます。

音に聞く鼓ヶ滝を打ちみれば沢辺に咲きしたんぽぽの花

としたのです。

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最後に娘がここは鼓ヶ滝なので、沢辺よりも川辺としたほうが良いと言います。

川と皮の掛詞です。

そこで…。

音に聞く鼓ヶ滝を打ちみれば川辺に咲きしたんぽぽの花

となりました。

これが最終的な完成形です。

西行は自分の歌を次々となおされ、さすがに言葉もありません。

実はこの三人、和歌三神といわれる住吉明神、人丸明神、玉津島明神の化身なのでした。

慢心した西行を戒めるために現れたというのがオチになるわけです。

しかしこの落語に出てくるような歌を西行がつくったという記録はありません。

音に聞く鼓が滝を打ちみれば川辺に咲くや白百合の花

という歌を詠んだという言い伝えもありますが、どの本でも確認されていません。

おそらく民話のレベルでの創作に違いないと思われます。

西行の有名な歌の1つに次のようなのもあります。

吉野山こずえの花を見し日より心は身にもそわずなりにき

さすがにたんぽぽの歌とは歌格が違います。

花はもちろん桜のことです。

あくまでもこの噺は、西行という歌人がいかに人々に愛されていたかを示すよすがと考えた方がよさそうです。

ミスしそうな噺

この噺をなぜ高座でやっていないのか。

今、これを書きながらもしかしたらという気分になりました。

それというのも、つい言い間違えてしまいそうな噺だからです。

ここに出てくる表現を少しでもミスすると、完全にNGになります。

それでなくてもこの噺は歌が少しずつ形をかえていくという趣向で構成されています。

もしも大切なポイントでとちったら、噺全部が完全に使えなくなってしまうのです。

こういう微妙な落語は、結構あります。

途中の仕込みが悪いと、最後にきてとんでもないことになります。

とくにこのタイプのは1度間違えるとリカバリーが効きません。

ちょっとイヤな感じですね。

こういう厄介な噺はやっぱり几帳面な方にお願いした方がいいのかもしれません。

それに元々上方の噺なので、関西弁なまりの人の方がやりやすいのでしょう。

よくやるのは上方の笑福亭鶴光です。

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鶴光は大阪の芸人でありながら、東京の落語芸術協会にも席をおいているという変わり種です。

東京では三遊亭歌奴、林家正雀などでしょうか。

時間があまりかからないわりには、笑いをとれるというところがおいしいのかもしれません。

ぼくは今のところ、お稽古どまりです。

いつかご披露する日が来るんでしょうか。

神のみぞ知るというところです。

最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。

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