【人生はやっぱり縁】身の丈にあうものを選ぶぐらい難しいことはない

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難問中の難問

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今日は選ぶという話をさせてください。

というのもほんとにくたびれるからです。

生きるというのは毎日選ぶことの連続です。

つい先日読んだ名物ブロガー、ちきりんさんの本には、「成長したければひたすら変化すべし」という記事がありました。

全くその通りだなと感心した次第です。

自分を変える時、変化するためのコツは「そうすることで良くなるかどうかまで考えない」ということだそうです。

もし悪くなったとしたら、それに気づいた時にまた変えればいいという極めて単純な話です。

成長というのは、とにもかくにも同じ場所にいないことで促進されるというワケです。

こけたら立ちなはれの論理ですかね。

そうなんです。

ぼくたちは自由なのです

だからくたびれる。

自由ということは選んだことに自ら責任を取らなくちゃなりません。

仕方がありませんよね。

選んじゃったんだから。

学校も仕事も伴侶も住まいも。

少々(?)の文句はあれど、とにかく選んでしまったのです。

人生は日々、選ぶことの連続です。

朝の食事から通勤ルート、帰りの一杯に至るまで。

1つとして選ばない日はありません。

毎日がスライディングドア

ぼくの好きな映画の1つに「スライディングドア」があります。

閉まる電車の扉に間に合ったか間に合わなかったかの違いだけがテーマです。

しかしその後の人生は驚くほどに変化していきます。

ほんの1歩の違いが思いもよらない方向へ主人公を運ぶのです。

ある日遅刻して出社した主人公ヘレンは上司にクビを言い渡されます。

失意の中、帰路につく彼女は地下鉄に乗ろうとホームを走りました。

ところが目の前で扉が締まってしまいます。

次の電車を待とうとしたものの、事故で遅れてなかなか来ません。

仕方なくタクシーを捕まえることにしたのです。

ここでもう1つの話がパラレルに登場します。

ヘレンは閉まる列車の扉を何とかこじ開け無事地下鉄に滑り込むのです。

ここから2つの世界が同時に存在することになります。

タクシーを捕まえたヘレンはひったくりに遭います。

地下鉄に乗り込んだ彼女は隣の男に親しげに話しかけられます。

最初は相手にしなかったものの、彼が申し訳なさそうに去っていくのを見てそっけない態度を謝り自己紹介しあいます。

男の名前はジェームスと言いました。

ジェームスと話をして少し気持ちが楽になったものの、帰宅した時に見た光景は悪夢でした。

同棲していた男が女性と抱き合っていたのです。

ヘレンはその瞬間家を飛び出します。

一方、病院へ寄ってから帰宅したヘレンはほんの数分の入れ違いで彼の浮気現場を目撃せずに済みます。

そして最終局面、2つの世界を交互に生きる主人公はさてどうなったのか。

後は自分でググってみてください。

物語を自分勝手に創作するのも楽しいかもしれません。

今思うと、隋分不思議なテイストの映画でしたね。

選ぶことは苦しい

ほんのちょっとの差で人生はどんどん変化していきます。

毎日の少しの選択が、その後の生きざまを変えるのです。

そう考えると怖くなりますね。

ところで昨今は結婚式の引き出物も実に多様です。

昔は比較的重くて大きなものが多かったような気もしますが、最近は軽くて小さなものが目立ちます。

冊子が入っていて、自分で選んで欲しいというのもトレンドですね。

考えてみれば、人の一生はつねに選択の連続です。

親だけは選べませんが、その後はかなり選ぶことが可能です。

geralt / Pixabay

これは楽しいことでもあります。

しかし反面苦しい作業でもあります。

かつてサルトルを代表とする実存主義者たちはこの作業をアンガージュマンなどと呼びました。

フランス語です。

あえて訳せば「参加」ということでしょうか。

人生のステージに自らの意志で登場することを意味します。

しかしそこまで難しい言葉にしなくても、とにかく選ばなければならないのです。

さて、冊子のページをあちらこちらとめくりながら、奥様は今も何をもらおうかと悩んでいます。

それだけものがあふれているのでしょう。

結婚式の会場で引き出物をもらってしまえば、そこでこの話は完結するのです。

しかし自宅に帰って選ばなくてはならないということになると、これはまた苦しさを伴う作業になります。

楽しいかもしれないけれど結構厄介なのです。

縁は異なもの

例えば自動車を奮発して買うとしましょう。

どんな色でどんな車種でと考えていると、楽しい要素だけとはいえなくなってきます。

学校もしかり、伴侶もしかり。

どうにもならないので、人はそこに縁という言葉を持ってきたのでしょうか。

山のようにある偶然の糸を解きほぐせなくなった状態が、まさに縁なのです。

だから人は従容として、それについていくのです。

選ぶことは楽しく、そして苦しいのです。

人生はつねにこの両者の狭間にあるということを肝に銘じておかなければなりません。

ただ頑張るだけでは成長しないのです。

成長したければ変化をしなくてはなりません。

そのためには選ばなくてはならない。

たくさんある選択肢の中で、何が最も自分に適しているのかを探さなくちゃなりません。

だからくたびれます。

結果がいつもよくなるとわかっていれば、誰も苦労しません。

リセットがすぐにできれば、それもいいでしょう。

しかし人生はゲームじゃないのです。

だからなんとなく慣れたところでコンサバな生き方になっちゃう。

ある意味仕方のないことです。

縁は異なもの味なもの。

袖すりあうも他生の縁。

躓く石も縁のはしくれ。

これは落語のまくらでよく呟く表現です。

まさにこのあたりに本当の不思議さが横たわっているのかもしれません。

そうでも考えないととてもじゃないけど、やってられんのです。

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これ正直な話です。

今回も最後までおつきあい下さりありがとうございました。

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