【言葉の深淵】養生という表現に人生の深さと機微を感じる

ノート

なんとなく気になる言葉

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師でブロガーのすい喬です。

今回は何となくお気に入りの言葉を取り上げます。

今まではちっとも気にならなかったのに、最近ちょっといいなと思う表現があったりしませんか。

つい先日も近くの公園へ行ったら、芝生の中にこの立て札がありました。

養生中につき立ち入り禁止と書いてあったのです。

その時、養生というのは本当にいい言葉だなとしみじみ思いました。

芝生を元気にさせてあげるという行為に対して、実に的確な表現ではないでしょうか。

試みに他の言い方をしようとしても、きっとこれほどにぴったりな言葉は見つからないだろうと思います。

この他にも工事現場などではマスキングのことを養生というようです。

特に塗装工事などをする時に、汚れてはいけない部分を、テープではって隠します。

このことを養生というのです。

これもやはり見事な表現です。

さらには引っ越しなどの時に、床や壁が汚れてはいけないので、とくに危険な部位にはダンボールやクッション材などをあてて保護します。

このことも養生というのです。

リフォーム業者がここも養生しておきましょうなどと言ってくれた時、つい嬉しくなった記憶があります。

日本語の持っている奥深さをしみじみと感じたからかもしれません。

辞書によれば、養生とは本来のあるべき姿でいられるよう、保護することとあります。

対象が人の場合は、健康に注意して元気でいられるように努めることです。

病気や怪我の回復にいそしむという意味です。

よく「ご自愛ください」などいう表現を手紙などで使うことがありますね。

まさにあの感覚でしょうか。

養生訓

この表現を有名にしたのはなんといっても貝原益軒(1630-1714)でしょう。

江戸時代初期の儒学者です。

彼の著書『養生訓」は大変多くの人に読まれました。

天から与えられた命をどのようにすれば、もっとも健康的な姿のまま、長らえさせることができるのかということを説いた本です。

たくさんのことが書かれていますが、その根本はやはり少欲ということにつきるのではないでしょうか。

人間の欲望には際限がありません。

Aquamarine_song / Pixabay

しかしそれをそのまま行使していると、心も身体もすさんだものになってしまいます。

昼眠ることも彼は勧めていません。

もちろんたくさんの食事を一時にとることもです。

心の平安を保つことが重要だと記しています。

人間のあらゆる行動は欲望と紙一重なのかもしれません。

養生という表現の中にこめられた人というものについての認識がここにはたくさんちりばめられています。

現代を生きるぼくたちにとっても、けっしてこれは古い話ではないのです。

ちょっとだけ原文を読んでみましょう。

原文

養生の術は先ず心気を養ふべし。

心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、を少なくし、心を
くるしめず、気をそこなはず。

これ心気を養ふ要道なり。

現代語訳

養生の第一歩は心と気を養うことです。

心を和らかにし、気を平らかにし、怒りと欲を抑え、憂いと思い煩う事を少なくし、心を
苦しめず、気を損なわないのです。

これが心と気を養う大切な方法です。

畏れることの大切さ

益軒が言ったことの中にこの1文字を大切にしなさいというのがあります。

それが「畏」ということです。

おそれるという意味です。

何を畏れるのか。

一言でいえば、天の道ですね。

人間の欲望を畏れなさいということです。

我慢しなさいという意味です。

これがなかなかできないんです。

こんなに難しいものはない。

長く生きているとしみじみそう思います。

畏れることは慎みに向かう出発点なんです。

昔はよくそんなことをすると、お天道様がみてるよと母親に叱られました。

人が見てなくてもお天道様が見てると言われると、ちょっとドキッとしたものです。

現代にはそんなものがなくなったのでしょうか。

あるのは監視カメラくらいのもんですかね。

なんとも情けない気がします。

どうして建築現場には簡単に養生という響きのきれいな言葉を使っているのに、日々の暮らしではそれができないのか。

考えてみると、ちょっと悲しい気もします。

最後が肝心

建築や引っ越しの現場などで用いられる場合は、周囲に傷がつかないようシートなどで保護

をするという意味になると説明しました。

どこに1番神経を使って養生をすると思いますか。

玄関です。

入り口はものの出し入れが頻繁にあります。

玄関付近の床、壁、柱などは最もきちんと養生しなくてはなりません。

引っ越し業者などはかなり分厚い素材のものを使っているようですね。

搬入作業で傷がついたりすると悲しくなります。

スマホであらかじめ写真を撮っておくというのもいいかもしれません。

もう1つのポイントは実は最後なのです。

養生をはがす時です。

意外と傷つきやすいのです。

業者もこのころになるとかなりくたびれています。

搬出入で体力的にも精神的にも疲れていますので、注意力が散漫になるんでしょうね。

最後の最後に注意しろという話は有名な『徒然草』に「高名の木登り」という話があります。

有名な木登りの名人が、なぜか降りてくる時にものすごく慎重なのです。

登るのは早いのに、どうしてあんなにゆっくり降りてくるのかとある人が聞きます。

すると、名人がこう言いました。

あとわずかだという時に人はつい気を抜いてしまう。

その瞬間にきちんと集中できる人こそが、本当の名人になれるのだと説明するのです。

まさにこれですね。

養生は建築や引っ越し現場の専門用語ではありません。

自分の身体に対してもまさにそうです。

いい気になっていると、身体だけじゃなくて、心も病んでしまいます。

少しの欲で足ることを知る。

まさにこれに尽きるでしょうね。

しかしこれが難しい。

お天道様は見ているのです。

じっと今日もあなたのことを見てますよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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