【桂三木助・芝浜】暮れになると必ず聞きたくなる定番の人情噺はこれ

落語

暮れには芝浜

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

本当なら昨日も落語会がある予定でした。

冬にふさわしい「時そば」とか、あるいはもう少し長めの「井戸の茶碗」あたりをやろうかなと思っていたのです。

しかしそれもここのところのコロナ第3波であえなく撃沈です。

いつか芝浜をやりたいなという気持ちもあります。

年の瀬にはこの噺が1番ふさわしいですからね。

なんといっても暮れの風景と重なるのです。

何度か稽古もしました。

主人公は魚屋の勝です。

Photo by Norisa1

酒で身を持ち崩しやがて立ち直るあたりの描写がきちんとできないと、お客様を納得させることはできません。

人物描写のリアリティを支えるものはなんでしょうね。

もちろん自分自身の経験も必要でしょう。

あるいはそれをじっと発酵させる時間も大切です。

稽古だけではうまくなりません。

落語の1番難しいところです。

苦労ですかね。

いろいろな意味で苦労の積み重ねのような気がします。

芝浜といえば、3代目桂三木助です。

かすかに風貌を覚えています。

子供でしたから、それほどに強く意識していたわけではありません。

ぼそぼそと語り始め、やがて自分の世界へお客様を引っ張り込んでいきました。

あらすじ

主人公、魚屋の勝は腕はいいものの酒好きです。

お決まりの貧乏暮らし。

その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かいました。

しかし女房が時間を間違えたのです。

芝の浜にはまだ店が開いていませんでした。

誰もいない夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つけます。

中をあらためると50両の大金。

自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集めて酒を呑みます。

翌日になると女房は支払いをどうする気かと夫に詰め寄ります。

拾った財布の金で払えというと、夢でもみたんじゃないの言われる始末。

主人公の勝は、ここから一念発起して、死にもの狂いに働きはじめます。

3年後には表通りにいっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えました。

その年の大晦日の晩。

亭主は女房に対して感謝をこめて頭を下げるのです。

すると女房は、三年前の財布の件について告白をはじめ、真相を亭主に話します。

お金を拾って誰にも届けなければ死罪になるかもしれないと思った女房は、長屋の大家に相談したというのです。

大家は早速その財布を役所に届け、女房は全てを夢にしてしまったのです。

時が経ち落とし主が現れなかったので、役所から拾い主に金が下げ渡されました。

亭主の勝は女房を責めることはなく、道を踏み外しそうになった自分を立直らせてくれたとして深く感謝します。

この噺のポイントはまさに主人公の行動を全て夢だとだまし、一気に大酒飲みを改心させる女房の器量をいかに描くかにあります。

ここの描写に品がないと、女房がただの性悪女になってしまうのです。

酒をぷっつりとやめ、やがて裏店から、表の通りへ店を出し、奉公人を数人雇えるまでになった主人公。

それを陰で、嘘をついて申し訳ないと手を合わせながら応援する女房の甲斐性をみせなくてはなりません。

演者の力のあるなしがこのあたりでよくわかります。

許しておくれ、今まで騙すつもりはなかったけれど、酒飲みに戻ってしまったら、せっかく築いた身代がまた元の黙阿弥になってしまうものと呟きます。

そして頭を下げて謝るのです。

ここの描写が噺の核心です。

ここが見事に描き切れてはじめて「芝浜」という噺が成立するのです。

最後に今日は大晦日だから久し振りに酒でもどうだいと勧めると、杯を手にします。

「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは杯を口元に運んだものの、亭主はふいにその杯を置きます。

「よそう。また夢になるといけねえ」

これがオチです。

ここまでくると、夫婦の情愛が目の前に見えるようで、なんともいい気持ちになりますね。

聞き比べ

彼が高座にあがるとすぐに「芝浜」と声がかかったといいます。

三木助といえば、「芝浜」なのです。

なぜか。

最近何度も聞いて、やはり他の噺家よりリアリティがあり面白いと思いました。

志ん生の「芝浜」と聞き比べてみると、一目瞭然です。

もちろん志ん生のも十分に面白いのですが、魚屋の気っ風のよさとか、女房の描き方にも違いがあります。

三木助が亡くなるまで、志ん生はほとんどこの噺を高座にはかけませんでした。

勝ち目がないと思ったのでしょう。

特に芝の河岸へ2時間も早く間違えて出かけ、そこで海を見ながら一服するあたりの描写はみごとです。

さらにはそこで拾った財布の様子なども実に詳しいですね。

しかしこれをあまりに文学的だといって嫌う人もいます。

落語から離れて自分の世界を作りすぎたというのです。

Photo by udono

なるほどそんな気もしないではありません。

三木助は若い頃は大阪へも流れるなど放浪を繰り返し、一時は花柳流の師匠となり落語も廃業したといいます。

戦後も賭場通いを繰り返し荒んだ生活をしました。

そうした経験の全てが、この人の噺には十分にじみ出ています。

話の構成力、写実力に優れておりその輝きは現在も光を失っていません。

小さんとは義兄弟の仲

5代目柳家小さんとは同姓で、義兄弟の杯を交わすほどの大親友であったといいます。

さらに最晩年に生まれた長男を四代目三木助にもしました。

しかしその息子は若くして自死してしまったのです。

ご存知ですか。

隋分ワイドショーなどでも取り上げられました。

春風亭小朝などとともに人気がいよいよ出始めたところだったのです。

彼は悩んだのだと思います。

父親の「芝浜」を自分はやれない。

それだけの力量はないと諦めたのでしよう。

3代目の録音を何度も聞けばきくほど、つらくなったに違いないのです。

芸はその人一代のものです。

自分には無理だという絶望が、やがて生きることへの意志を失わせたのかもしれません。

3代目三木助の「芝浜」はやはり彼だけのものだったのでしょう。

これは余談ですか5代目三木助が3年前に誕生したばかりです。

彼の母親の父(祖父)が3代目桂三木助でした。

母の弟(叔父)が4代目桂三木助だったのです。

いわば落語界のサラブレッドという血筋です。

これから大いに活躍を期待したいところですね。

彼が落語家を目指した時はもう既に祖父も叔父も他界していたというワケです。

ちなみに3代目三木助の噺には松尾芭蕉の句も挟み込んであります。

冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸(いっすん)」という句がそれです。

これも彼の演出です。

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1度聞いてみてください。

最後までおつきあいいただきありがとうございました。

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