アメリカ教育視察
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師のすい喬です。
今回はアメリカの地名の話です。
旅したのは随分と以前のことです。
教育事情視察というのがその時の目的でした。
10月の半ば、1番気候のいい時でした。
南から北、西から東まで、2週間以上の旅行をしました。
飛行機をほとんどバスのように乗り継いだのです。
ものすごい刺激をうけましたね。
やはり現地にいって実際に見てみないとわからないことばかり。
身障者や知的障害児に対する教育のきめ細かさなどを目の当たりにしました。
ドラッグを持ち込む生徒たちをどう指導するのか。
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コンピュータをどのように授業に役立てるのか。
考えてみれば、この時にみた光景が、その後の日本の教育現場に降りてきたのだということが実によくわかります。
現在進められているインタラクティブな授業の方法などもその時のものです。
御存知ですか。
双方向授業と呼んでいます。
先生が一方的に教え込む方法ではありません。
生徒が自分から調べてきて、それを土台にテーマを広げていくのです。
そのための検索手段の1つが、教室の後方に置かれたパソコンでした。
あれからかなり時間が過ぎ、やっと日本にも似たような風景が見えつつあります。
しかしまだメソッドが確立しているとは言えないようですね。
ユタ州ソルトレイクシティーのような北の土地から南部のアトランタへ移動すると、人々の様子も全く違いました。
そこはまさに『風とともに去りぬ』の風景だったのです。
ピオリアってどこ
アメリカ人の会話を聞いていると、時々ピオリアという地名が出てきます。
耳にしたことがありますか。
響きがとてもきれいですけど、さてどこにあるのか。
「play in Peoria」といったような使い方をします。
この表現は、アメリカ人にとってごく普通のものです。
意味は一般受けする、地方でうける、中流にうけるという意味です。
大都市だけでなくピオリアのような地方都市でも通用するのかということなのです。
けっしてバカにして言っているワケではありません。
Will it play in Peoria? という表現をきいたことがありますか。
ピオリア(Peoria)は、アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア郡のこと。
イリノイ川に沿う最大の都市です。
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ピオリアの名前はアメリカ・インディアンのピオリア族にちなむといわれています。
人口は約11万人で、イリノイ州では5番目くらいです。
さてイリノイ州というのはどこでしょうか。
イメージできる人はほとんどいませんよね。
北東部の境界にはミシガン湖があります。
シカゴの港はイリノイ川を経由して五大湖とミシシッピ川を結ぶ交通の要所なのです。
少しイメージがわきましたか。
ピオリアはアメリカの平均的な都市の代表です。
旅回りのボードビル芸人の間では、ピオリアで成功したならば、どこでもうまく行くと言われてきました。
「ピオリアでうまく行くか?」という疑問形を是非覚えておいてください。
アメリカ人の主流に訴えるものであるかどうかの隠喩になっています。
新しい商品や、サービスおよび世論調査などでは市場調査の場所として使われることも多いのです。
ニクソン大統領
今後、アメリカ人の会話を注意して聞いてみてください。
時々この町の名前が飛び出してきます。
最初の頃はどこなのか全く知りませんでした。
それでもちょっとだけ興味を持ったのは事実です。
いろいろ調べてみると、どうもニクソン大統領と関係があるらしいです。
ウォーターゲート事件でホワイトハウスに缶詰になっている頃、この町の名前を連発したとか。
会話の中によくこの町の名前が出てくるので、本当に何かがあるのだろうと、評論家達はピオリア詣でをしたそうです。
亡くなったTVキャスターの筑紫哲也さんも行ったことがあるらしいのです。
しかしそこにあったのは一面の小麦畑だけだったという笑い話もあります。
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それでも、「play in Peoria」 という表現は「政策などが一般受けする」の意味で今も用いられています。
残念ながら行ったことがないので、写真でイメージを想像するしか方法がありませんけどね。
平均的なアメリカ人といえば、多分WASPを連想する人が多いでしょう。
敬虔なキリスト教信者で、白人でというイメージが多分一番ぴったりくるのが、このピオリアという町なのに違いありません。
日本でこういう最も平均的な町があるだろうかと少し考えてみました。
全く思いつきません。
敬虔な仏教徒がいて、大和民族がうまく定住しているなどというところはどこにもないのではないでしょうか
所得ランクも日本の平均をうまく捉えている町など、想像もできません。
日本には平均という概念がないのでしょうか。
あるいはみんなそこそこ平均値なのか。
シャッター通り
格差社会だけが原因とは思えません。
地方へ行くと、駅前のさびれ方は一通りではありません。
あっちもこっちも空き地になってます。
売り地の看板も空しいですね。
高齢化し、元気を失ってしまった町のなんと多いことでしょうか。
シャッターだらけの商店街を歩いていると、本当に悲しくなります。
通行人の姿もほとんどないのです。
皆さん、どこへ行ってしまったのでしょう。
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かつての勢いを知っているからこそ、寂しさもひとしおです。
デパートも軒並み撤退してしまいました。
全国展開をしているチェーン店があればまだいい方です。
それもないと本当に夜が早くて、すぐに町が暗くなってしまいます。
若い人はどこへ行ってしまったのか。
高校生くらいまではその土地にいても、やがて都会へ出て行ってしまいます。
そして2度と戻ってこないのです。
考えようによれば、ピオリアのような町を持ったアメリカという国は、やはりすごいのかもしれません。
あの町で受ければ、必ず売れるといった場所があれば、いいんですけれど。
ここがそうだというところがあったら、是非教えてください。
自分の目で確かめてみたいと思います。
ピオリアは決してニューヨークなどとは比べられません。
だからこそ、価値のあるアメリカの町なのです。
今回も最後までおつきあいいただきありがとうございました。