【人間ウォッチ】相席の上手な人はどんな思考回路を持っているのか

暮らし

相席は難しい

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

いい季節になりました。

コロナ禍でなければ、ちょっと外に出かけたいところですね。

ふと「はつなつのかぜとなりたや」の一節を思い出してしまいました。

この詩をご存知ですか。

「はつなつ」という言葉の響きがとてもきれいです。

是非覚えてください。

川上澄生の詩です。

明治の末から昭和にかけて生きた版画家としても有名です。

かぜとなりたや
はつなつのかぜとなりたや
かのひとのまへにはだかり
かのひとのうしろよりふく
はつなつのはつなつの
かぜとなりたや
(「初夏の風」1926年)

なんとなく今年の夏は早く来そうな気がしてなりませんね。

本当にコロナさえなければ、遠出をしたい気分です。

天気のいい日にちょっと都心まで出かけるくらいは許されるのでしょうか。

数年前、ある美術館へ赴きました。

ちょうどお昼時でもあり、2階にある食堂は満員だったのです。

こういう時、少しだけ相席をお願いするということは、よくある話です。

しかし互いに素性を知らない人の前で食事をするのは、極度の緊張を誘うものです。

これは経験した人なら誰でもわかりますね。

個人的な体験

食事というのは全く個人的な所作を伴うものなのです。

ある意味ではその人の全存在をかけているといっても過言ではありません。

食べ方ひとつで、その人となりが露見してしまうのです。

どのような育ち方をしたのかということが、相手に気配で伝わってしまいます。

たまたまぼくの前に座った男性とは、努めて目があわないようにしました。

向こうも気詰まりなようです。

他のお店まで足を伸ばせばいいのですが、生憎、周囲には適当なところもありません。

駅からかなり歩いたのです。

さて困りました。

挨拶を交わすというのも、そう容易ではないです。

なぜ人は正面に向かいあうと、気詰まりになってしまうのでしょうか。

ある社会学者の推察によれば、人間のテリトリーは縦に長く、横に短いのだといいます。

そう言われてみると、ラーメン屋さんのカウンターなどで、横に他人が座った場合でも、それほどに緊張を覚えません。

会話をする時も横にいる人の方が、正面に座っているよりも話しやすいです。

むしろ、ごく自然に融合するのです。

そんなことを考えていたら、ふと小津安二郎監督の映画を思い出しました。

彼の大船調の映画は全て、同じ方向を向いた夫婦が人生を振り返るという構図でできあがっています。

代表作『東京物語』の中で、笠智衆と東山千栄子は熱海の海岸の防波堤に腰掛け、もうそ

ろそろ国に帰ろうかと呟きます。

この時も2人はあくまでも同じ方向を向いているのです。

もっともストレスのない会話の形態です。

縁側で夕日を見たり、土手に座って海を眺めたり。

全て同じ構図です。

構図の取り方

小津の映画が、なぜ人を癒すのかと考えてみました。

構図の取り方のうまさによるのです。

つねにローアングルでのカメラワーク、さらに黄金分割を使った畳やふすま、障子、家具などのカット、そして最後が、登場人物の配置にあります。

これは心理的にも随分意味のあることと見えて、首脳会談などにも巧みに取り入れられています。

すなわち2人の首脳はけっして面と向かって話をすることはありません。

ほとんど横顔がみえる形で、椅子を配置します。

そのすぐ後ろに通訳がつく仕掛けなのです。

人間はどうして前方にテリトリーを長く持つのでしょうか。

これは大変に面白いテーマですね。

推論はいくつか成り立ちます。

正面に対する意識は後方や、横方向とは明らかに違います。

人間はつねに前を向く構造になっているからです。

つまり前に人がいるというだけで、自ずと緊張感が増すのでしょう。

他にも脳の構造や、肉体の構造上の特性があるのかもしれません。

あるいは脳の認知の形式が違うということも考えられます。

いずれにしても、前にすわるという形での相席は、いくら混んだとしてもやはり避けた方がいいというのは贅沢な望みでしょうか。

食事をする時が1番無防備な時だという話もきいたことがあります。

本能的な姿がそのまま表面にあらわれるのでしょう。

だからこそ、隠しておきたい。

あるいは親しい人とだけ打ち解けて時間を過ごしたい。

とてもよくわかります。

サラリーマンの昼食

お昼時、都心のお店に入ったことがありますか。

まさにサラリーマンの山です。

社員食堂ばかりでは、いくら安くても気がつまるのかもしれません。

たまには違う環境でリラックスしたいのでしょう。

しかしお店の側からみれば、まさに掻き入れ時です。

とにかく効率よくお客を配置し、食事をしてもらう必要があります。

1人ならカウンターへ案内し、2人以上ならテーブルへ。

さらに2人来たら、同じテーブルを半分にして使ってもらいます。

都心で働いているサラリーマンは、そういう配置に慣れています。

是非自分の目で確かめてください。

皆さん、すんなりと店員の誘導にしたがって座ります。

全く知らない人が同じテーブルを囲むなどということもよくあるのです。

そういう緊張感の中でうまく振舞えるというのはどういう人なのでしょう。

ぼくもサラリーマンをしていたのでよくわかります。

上手な人は実に自然体ですね。

特に面と向かって話をするワケでもなく、ごく普通に食事をし、その場を立ち去ります。

無理にスマホを取り出して相手の視線をさえぎったりもしません。

もちろん、新聞なんて読むことはないのです。

自然体だといえば、それまでです。

きっと企業戦士としても十分な戦力になる人たちなのでしょうね。

お互いに短い昼食の時間です。

不愉快な気分にならないように気を使っているのでしょう。

そういう配慮ができる人というのは、どこへいっても通用するのだと思います。

たかが相席、されど相席です。

気の張る相手になってはいけません。

バリアを相手に感じさせず、自然に動く。

これに尽きるのではないでしょうか。

肩ひじをはらずに自分のテリトリーがつくれる人は、周囲から大切にされるに違いありません。

仕事もできるのだと思います。

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美術館の2階で食事をしながら、ついいろんなことを考えてしまいました。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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