【感染リスク】図書館は流浪の民・シニアのオアシスだった

暮らし

図書館はオアシス

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回の新型コロナウィルス蔓延にはほとほとまいっています。

どこにも出られないというのが1番つらいですね。

特に桜の季節からずっとですから、メンタルに響きます。

去年までなら、ちょっとした小旅行に出る計画もすぐに立てられました。

それが今年は完全な蟄居生活です。

不要不急と言われると、どうしようもありません

確かにそれほど急ぐ用事というのはないものです。

それでなくてもぼくは気晴らしが好きなので、近くの公園を散策するとか、本屋さんに寄るとかで暇をつぶしていました。

それが今回は全く通用しません。

これは本当につらいです。

いくつもある楽しみの中で、1番はやはり読書でしょうか。

これができないというのは、本当につらいです。

地域の図書館は歩いて5分ほどのところにあります。

ほとんど毎日のように使わせてもらっていました。

リクエストもたくさんします。

ネットでお願いしておくと大変に便利なのです。

市の図書館にない本は、他から借りてきてくれます。

到着すると、すぐにメールで知らせてくれるというワケです。

珍しい本でも、一生懸命に探してくれるので、図書館の方とは顔なじみになりました。

みなさん、専門の会社から派遣されてきているようです。

それが今回のコロナ感染予防対策で、あっという間に閉館になってしまったのです。

どこへ行けばいいの

学校が休校になったのと、ほぼ同時でしたね。

市の公民館もすべて閉まってしまいました。

確かに不特定の人が長時間滞在する場所として図書館が最初にイメージされるのは無理もないことです。

以前勤めていた学校の近くにも大きな図書館の本館がありました。

時々訪ねると、とにかくシルバーの男性でいつもいっぱいです。

これには本当に驚きました。

ひどい時は座る椅子がないほどです。

みなさん、退職して暇をもてあましているのがよくわかりました。

朝、起きて食事をすると、もう何もすることがないのです。

新聞をいくら丁寧に読んでも限度があります。

奥様が掃除機をかけていると邪魔にもなるんでしょう。

勢い、外に出ることになります。

しかしどこへ行ってもお金がかかります。

毎日喫茶店に寄ればかなりの金額が飛んでいきます。

やっぱり図書館へ行こうということになるのです

なんといっても静かで空調がきいています。

1年中、暑くもなく寒くもなく、実に快適です。

大きな図書館などには視聴覚コーナーもあり、DVDなどの貸し出しもしています。

さらにその場で視聴することも可能です。

DVDをお金を出してみる必要もないワケです。

2~3時間から半日くらいは十分に過ごせます。

それが一気に使えなくなるというのは、本当にショックですね。

もちろん、学校にいけない子供たちにとってもつらいことでしょう。

しかしそれ以上にシルバー世代にとっては、片翼をもぎとられたようなものなのです。

新聞の投書

今日も新聞に図書館の業務縮小に関する投書が載っていました。

閉館をどう思うかというのです。

図書館をよく利用するのは誰なのか。

ある投書によれば、高齢者、小中高生、乳幼児をつれた保護者とあります。

それぞれ内容は別々で、高齢者は雑誌、新聞、学生は勉強場所の確保、乳幼児は読み聞かせとあります。

ぼくの実感でも、まさにその通りですね。

暖房などを入れて、空間を密閉してしまうということを考えた場合、どうにも致し方がないというのが率直な感想です。

密閉、密集、密接の3密を代表したような空間だということがよくわかります。

緊急事態宣言以降、シルバーたちの姿がめっきりと町から減りました。

それはそれで効果が上がっているのだろうと思います。

時々夫婦で散歩をしている人の姿をみかけることもあります。

しかしやはり圧倒的に減っているのは間違いありません。

新聞、雑誌、本などというのは、生きていく上で欠かすことのできないものなのです。

書店が閉店の対象から外されたというニュースも流れてはいますが、それほどにゆっくりとはできません。

やはり図書館のソファに座って、近くの書架からもってきた本をめくる楽しみはかけがえのないものです。

現在のようにすべてが突然失われてしまうと、シルバーにとって図書館は本当に大切な場所だったのだということがよくわかります。

言葉は大袈裟かもしれませんが、やはりオアシスなのです。

今でもリクエストだけは受け付けているとか。

あらかじめ取り置きをしておいてくれるという話も聞きます。

しかし本というのは背表紙を見ながら、内容をその場でチェックしていくものなのです。

内容の真贋を見抜く目を養うのも図書館の大きな役割です。

買っても1度しか読まない本

今まで隋分とたくさんの本に助けられてきました。

もし読書という楽しみがなかったら、現在の自分は存在しません。

全く違った人間になっていたことだろうと思います。

本当に成長させてもらいました。

とにかくいろいろなことを1から教えてもらったのです。

本がぼくにとっては、もう1つの学校でした。

それだけは間違いありません。

geralt / Pixabay

蔵書の大部分は捨ててきました。

もう読まないだろうと判断したからです。

事実、1度しか読まないものが大部分でした。

買って書棚においておくと、気持ちがよかったのは事実です。

しかしその類いの収集癖はかなり以前に終わりを告げました。

今はほとんど借りて読んでいます。

どうしても必要な落語関係のものなどと日本の古典に関するものが現在の蔵書の基本です。

なぜ多くの本を廃棄したのか。

それは図書館があったからです。

どうしても読みたかったら、借りればいいという信頼が根本にあります。

もう2度と手に入らないという希少本ならばいざしらず、ぼくのような人間が読む本はたいていまだ流通しています。

しかしここへきて、パタリとその流れが途絶えてしまいました。

いつになったら開館するのでしょう。

活字を読んでいないと、精神が動かないのです。

心が躍動しない。

それが現実です。

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派遣社員の図書館の方々はどうしておられるのか。

休業補償はあるのでしょうか。

さまざまなことが気になります。

現在のようにどこにいってもお店が閉まっている状態の中で、図書館はやはりぼくにとって大切なオアシスだったなとしみじみ実感しています。

1日もはやく日常を取り戻していきたい。

それが今の切実な願いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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