【行列考】誰かが並ぶから並ぶというごく不思議な人間の習性とは

暮らし

なぜ並ぶのか

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

コロナ禍の中、毎日通勤をしています。

神経を使って本当にくたびれます。

それでも休むワケにはいきません。

毎朝の通勤途中、よく行列をみかけます。

駅前のパチンコ屋さんの前です。

かなり早い時間から10時の開店をめざして待っています。

学生の姿が目立ちますが、主婦もいます。

なかにはパンを囓りながら、スマホを睨んでいる人もみかけます。

数はこのところめっきり減りました。

開店早々よく入る台をとるためには、やはり並ぶ必要があるのでしょう。

とくに新装開店というのでもないですから、その気力と体力には頭がさがります。

ところでテレビなどを見ていると、よく行列のできる店というのを紹介しています。

番組のタイトルにもありますね。

行列のできる法律相談所がそれです。

やっぱり人が並ぶにはちゃんと理由があるんでしょう。

人気のバロメーターですからね。

飲食店の前の道路に多くの人がじっと待ち続けている様子には感心させられます。

ぼくはもともと江戸っ子なのか、あまり行列が得意ではありません。

待つという思想がほとんどないのです。

それでも上野へ行くとつい並んじゃいます。

評判の餃子屋さんです。

並んでいない時はありません。

どうして席が空いてないのかと思ってはみるものの、やっぱり並んでます。

おいしいですからね。

最後は人間理屈じゃありません。

繁盛店の作り方

ちょっとだけ人が並ぶという仕組みにについて考えてみます。

逆に言えば、どうしたらお客が並ぶような店になるのか。

これは難問ですけどね。

飲食店なら、1番は絶対においしいことです。

これが究極の理由でしょう。

まずかったら、1度は並んでくれても2度目はありません。

リピーターが命です。

お店の椅子の数も大切ですね。

あんまりたくさんない方がいつもお客でいっぱいな感じがします。

それと入り口にはお客さばきの上手な店員さんが欲しいです。

annca / Pixabay

オペレーションの上手な人が1人いるだけで、全くお店の雰囲気がかわってしまいます。

店内の人にすぐ指示が届くくらいのパフォーマンスができる人が望ましいです。

上級テクニックとしてはお客様に逃げられないように、先に注文を取ってしまうことです。

開店当初はあらかじめサクラに並んでもらうというのも1つの手ですね。

悪い印象を与えずに注文をとるのは結構難しいのです。

すごく流行っているお店には必ず雰囲気のいい店員がいて、上手にオーダーをとってくれます。

やっぱり最後は人間力ですかね。

とにかくお客様に悪い印象を与えないこと。

テーマパークも全く事情は同じです。

ディズニーランドなどはあまりに行列が長くなると、ゲストが飽きるのを見越してキャラクターに出てきてもらいます。

現場の状況を見ながら、マネージャーが差配するのです。

知らない間にドナルドやグーフィーが近くにやってくるというワケです。

キャアキャアいって写真を撮っている間に時間が過ぎ、行列が進むという仕掛けです。

現代の不安

人間、やっぱり1人では不安なのかもしれません。

現在の社会は人と人との繋がりによって形成されています。

もしかしたら人間は誰かに判断を委ねて生きていきたいのかもしれません

決めるのが億劫なんでしょうか。

はずれることが怖いのか。

とかくメダカは群れたがるというと悪口になってしまいます。

でも群れていることの充足感も否定できません。

皆が面白いというと、突然のブームになります。

『鬼滅の刃』なんてまさにそれじゃないでしょうか。

新海誠や宮崎駿のアニメなどにも通じるところがあるかもしれません。

作品がすばらしいのは言うまでもありませんが、それだけではないような気もします。

人間には根源的に「多数派になりたい」「ほかの人と同じでありたい」「間違っていたくない」と考える傾向があるのです。

冒険せずにできる限り誰かと同じ行動をとって安心したいという心情を抱いています。

その方が楽ですからね。

特にSNS世代の若者にはそうした傾向が強いようです。

あっという間にブームがやってきて、すぐに去る。

その繰り返しです。

いいも悪いもありません。

それがまさに現代なのです。

ある意味では怖いところもあります。

政治に対する無関心にも、どこかに似た要素があるのかもしれません。

ローマの休日

そういえばかつてヨーロッパ旅行をした時、「ローマの休日」にぶつかったことがありました。

日曜日、お金を両替しなければならなかったので駅にあるたった一つの窓口に並びました。

しかし幾ら待っても少しも進みません。

彼らは実にのんびりと作業をします。

本当にこれで銀行なのかと思うくらいのスピードです。

勘定の仕方も実に優雅で、日本の銀行だったらすぐに首になるところでしょう。

しかしヨーロッパの人はあまり文句も言わずに根気よく並んでいます。

スペインでも汽車の切符をとろうとして並んだことがありました。

これもたいして人がいないにも関わらず、少しも進まないのです。

本当にあきれるほどの時間を費やしました。

文化の違いなのでしょうか。

日本では新幹線のチケットや両替であんなに並ぶことはあり得ません。

哲学者G・バタイユはかつて「蕩尽」という思想を語りました。

私たち人間は生きていくために太陽から十分すぎるほどのエネルギーを手にしていると彼は言います。

だから使い果たさないと疲れ切ってしまい、たえずストレスを感じるのだとか。

そこで消費が必要になります。

よくイライラしている時に買い物をするとすっきりする、というのはここから来ているようです。

難しい言葉ですが、「蕩尽」こそが人間を人間にしてくれるのかもしれません。

ギャンブルなどはまさにその代表です。

冷静に考えれば、一攫千金を得ることなど不可能に近いのです。

しかし人間はのめりこんでいきます。

まさにエントロピーを下げるという作用があるわけです。

家の中にゴミがたまれば、人はそれを外に放出しようとします。

それと同じことがギャンブルにもあるわけです。

だから並んでも気にならない。

目の前に札束が見えているに違いありません。

ところで行列の話です。

ここにも「蕩尽」の思想がどうやら忍び込んでいそうではありませんか。

おいしいから並ぶというより、並んでいるから並ぶという方が正確な気がします。

人は並ぶという行為の中にエントロピーを下げる効果があるのを本能的に知っているのかもしれません。

あるいは無意識の行動でしょうか。

しかし並ぶために並ぶという行為は、人間だけに許された最も高等な行為とも言えそうです。

今日もあちこちのお店に人は並んでいるのでしょうか。

コロナウィルスの蔓延はそんな日常の愛すべき風景まで奪い去りつつあるとも言えます。

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再び、ワイワイガヤガヤと言いながら、お店の前に並んで順番を待つ光景に出っくわしたいものです。

そんな日がやってくるのでしょうか。

今日もおつきあいいただきありがとうございました。

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