【家族の肖像・百年の孤独】毎年撮る記念写真も結構イケてる気がする

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平和な一族

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

今回は記念写真のことについて書きます。

昨日、あるデパートの中の写真館の前を通り過ぎようとしました。

するとその入り口に家族の肖像が掲げられていたのです。

それも今年、去年などというのではなく、昭和30年代からつい最近までのものまででした。

そのご家族は毎年決まった日に、デパートの中にある写真館で家族の写真を撮っていたらしいのです。

少し時間があったので、しばらく見ちゃいました。

最初は若夫婦2人だけです。

それが数年の後、子供が生まれ、またその後にもう1人生まれ、都合、娘さんが2人になりました。

それから10数年。

2人の娘さんは成長し、今度は1人だけに。

そこに男性が加わります。

どうやら長女の旦那さんのようです。

その後、今度は妹さんの方にもご主人が加わります。

やがて数年していよいよ孫の誕生です。

ぼくは毎年、1枚だけ撮影された写真を丹念に眺めてしまいました。

ちょっと見ているというより、かなり真剣に観察していたようです。

気がつくと結構時間がたっていました。

楽しかったです。

本当に平和な一族なのでしょう。

毎年、同じ日に写真を撮ろうとするだけの心のゆとりをもてるということはなんと幸せなことなのでしょうか。

子細にみると、お父さんの表情にあまり大きな変化はありません。

しかしお母さんの方は次第に福々しくなっていくのです。

これは女性の心の中がいかに満たされていったのかということを十分に想像させます。

百年の孤独

さて数年前のはいよいよ曾孫孫の誕生です。

ところがそこから先のはありません。

ここでどなたかが亡くなられたのでしょうか。

常識的に考えれば、やはりおじいちゃんですかね。

いや、おじいちゃんではありません。

曾孫からみれば、それは途方もなく遙かなご先祖ということになります。

これが家族というものなのかもしれません。

写真も初期のものは発色があまりきれいではありませんでした。

最近のものはデジタル処理をしたものなのでしょう。

実にクリアでみごとです。

技術の進歩は怖ろしいですね。

ここまで書いていて、ふとガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』を思い出してしまいました。

ご存知でしょうか。

コロンビアの作家です。

voltamax / Pixabay

『百年の孤独』は世界各国でベストセラーになり、ラテンアメリカ文学ブームを巻き起こしました。

1982年にノーベル文学賞を受賞しています。

ストーリーは大変に複雑です。

あまり多くの人に読まれた小説ではないかもしれません。

しかし世界文学の名著100冊には必ず選ばれる伝説の本なのです。

ぼくもかつて読みました。

ストーリーもこれといってはっきりしたものがあるワケではありません。

次々と生まれる子供達の名前が皆同じで、それぞれの生き方にも大きな変化はないのです。

ただ一族の人々が生まれて死んでいく。

血筋は残る。

そういう不思議な味わいの小説でした。

映画・家族の肖像

同時に思い出したのはルキノ・ビスコンティの監督作品『家族の肖像』です。

これは写真ではなく一族の肖像画がかけられた部屋の内部の様子です。

この監督の映画を集中的に見た時期がありました。

どうしてもその時の印象がダブってしまったのです。

最近はもう上映されることはないのでしょうか。

監督自身が貴族の出身なので、重厚な味わいの作品がたくさんあります。

いずれも難しい映画ばかりです。

孤独と老いを、この上なく上品に美しく描き出した映画といえばいいのでしようか。

孤独を愛する教授が主人公です。

家族の肖像画を何枚も集めて部屋に飾るのが趣味なのです。

彼は穏やかな最後の日々を生きていました。

ところがある日、他人の家の敷居を平気で跨ぐ侯爵夫人一行が現れます。

教授は当然のように公爵夫人が持ちよるトラブルを忌み嫌うのです。

ところが、美しい青年が登場することによって状況は一変します。

老教授は、完璧ではあるものの無機質な空間から、艶かしく卑俗な美の世界へと意識を奪われていきます。

人間の持つ不思議な欲望をあぶりだすという意味ではユニークな映画でしたね。

Activedia / Pixabay

美少年に対する偏愛はビスコンティの生得的な体質であるとよく言われています。

それがよく出ているのが『ベニスに死す』です。

これも老年男性の話です。

原作はトーマス・マン。

ふっと家族の写真集のことを考えていたら、彼の映画のことが思い浮かびました。

ついに家族写真を

つい先日、家族で写真を撮ろうということになりました。

孫の写真がメインでしたが、せっかくだから家族のものもということになったのです。

少子化の時代、デジタル全盛の時代に写真館を経営するのは並々の戦略では成り立ちません。

当然、子供に対する親の愛情を前面に出すしかないでしょう。

スタッフの動きや、撮影のノウハウを目の当たりにすることができました。

みごとなものです。

PublicCo / Pixabay

想像以上に撮影のニーズがあるということにも驚きました。

なるほど、このようにして需要を喚起する以外に生き残る道はないだろうと感心したのです。

結婚式や就職用写真の撮影だけでは、とても生き残れません。

せっかくですから、ご家族で皆さんご一緒にと言われれば、つい撮ってもらおうかということにもなります。

そこはやはりプロ。

機材はそろっていますからね。

どんなにいいデジタルカメラをもっているからといっても、背景から照明機材までとなると、そう簡単にはいきません。

餅屋は餅屋とよくいったものです。

何枚も撮影し、すぐにその場でチェック。

CDに焼き増したのから、アルバム、カレンダーまで至れりつくせりです。

これを機に毎年の写真も悪くはないかなとふと思いました。

震災の被害などで苦労している人も、失った写真に対する思い入れは人一倍のものがあるように見受けられます。

人は生への情景と欲求を永遠に捨てきれないものなのかもしれません。

家族の肖像も悪くはないです。

写真館を出る時は、ちょっとほっこりした気持ちになったことを付け加えておきます。

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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