落語家の言葉は令和に通用するキーワードの宝庫です

落語

噺家の言葉は千金の値打ち

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

先週は2度も「死神」をやりました。

初めてです。

好きなのかもしれません。

柳家小三治の型で覚えましたけど、だんだん自分流になりつつあるのかな…。

最初は師匠の完全な模倣から入り、やがてその型を抜け出て行くという言い方があります。

型から入って型を出る。

簡単そうでいて、これがなかなかできない。

噺家は元々師匠に憧れて入門するのです。

だから噺の間などが似てくる。

すると、師匠は他の噺家のところへ行って稽古してもらえと勧めます。

そうでないと、同じ型の落語家がクローンになって増産されてしまうからです。

ウソだと思ったら、立川流の噺家の落語を黙って聞いてみるといいです。

ブレスの仕方とか、なんの気なしに噺を継ぎ足すときの間合いなどが実によく似ています。

怖いくらいです。

どれほど師匠から離れようとしても、なかなかそれができない。

芸というのは、半分は似せて、半分は離れてということなのです。

やがて最初の半分が少なくなっていった頃に、自分の味が出せるということになります。

それまでにやはり20年くらいはかかるのではないでしょうか。

新作一筋・桂文枝

上方落語、桂文枝の名前を知らない人はいないでしょう。

それ以前は桂三枝を名乗っていました。

新作を次々と発表し、今も精力的に活躍しています。

1966年に後の五代目桂文枝に入門。

桂三枝としてマスコミで大活躍をしました。

2012年に上方落語協会会長となり、60年ぶりに大阪の落語定席「天満天神繁盛亭」を設立。

創作落語の数は270作を超えると言われています。

今では古典になりつつある「鯛」「背なで老いてる唐獅子牡丹」「ぼやき酒屋」など聞いたことがあるのではないでしょうか。

なぜ桂文枝は新作をあれほど次々と創作していったのか。

通常、噺家はまず古典から習います。

師匠も必ず基本的なところは古典のエッセンスを教えます。

それなのになぜ文枝は…。
彼も悩みました。

入門からわずか10カ月でMBSのラジオ番組『ヤングタウン』に出演した当時の様子などを昨年10月出版した『風に戦いで ( かぜにそよいで )』 (ヨシモトブックス)という本の中に書いています。

師匠はなんでもやったらええという人でした。

その言葉にのせられてだんだん人気者になってはいったものの、落語はさっぱり。

ラジオやテレビの人気と落語のそれとは全く別のものだったのです

師匠の芸を離れるはるか以前のことでした。

どうしたらウケるのか。

噺家は誰もが悩みます。

四代目三遊亭金馬の言葉にこんなのがあります。

とにかく芸人はウケなきゃダメ。うりだしたかったら、シッチャカメッチャカなんでもいいからウケる。
「あいつはうまい」なんていわれた奴は、たいがいそこで成長が止まっちゃいますよ。
「あの子は天才だ」なんていう奴はダメですよ。
明るく、面白く、ワーッととにかくなんだかわかんないけど、あいつの噺を聞くとおかしいねと思われるようになんなさい。
それをやってるうちにだんだんと味になってくるのが落語家なんです。

桂三枝は悩みました。

彼の前には二代目桂枝雀がいたのです

後年、ハチャメチャな芸をする前は、師匠桂米朝そのものの間を学び続けた真面目一筋の噺家でした。

どうやっても枝雀の芸を抜くことはできない。

三枝は本当に苦しみ抜いたといいます。

後に、あの独特のジェスチャーで人気を博す枝雀が登場するとは、当時誰も思わなかったでしょう。

枝雀自身も言っています。

噺家はネクラの常識人がいいと。

性格が根っから明るい人は、別に面白いことを言わなくてもええわけですからな。
むしろ常識をわきまえているからこそ、非常識なギャグがつくれるんです。

当時の三枝の堅い口調では、長屋の雰囲気をうまく再現できませんでした。

桂文枝の古典落語は今もyoutubeでいくつか聞くことができます。

「宿屋の仇討ち」や「まんじゅう怖い」などいくつかありますので、聞いてみてください。

ある意味、ごく普通の古典落語です。

彼はどうにも動きがとれなくなりました。

古典落語をそのまま演じてもやればやるほどウケません。

どうしたらウケるのかとにかく考え続けたのです。

34~35歳の頃、枝雀を抜けないのなら全く違う路線で落語をやるしかないと決心しました。

そのあたりの心情は『風に戦いで』に出てきます。

とはいえ、新作をつくるのはけっして楽ではありません。

年金 photo

その文枝が新作の一方で、4年ほど前、かつて枝雀から「いつか古典もやったら」と言われていたことを明かしました。

旭日小綬章をもらったのを機に、古典への取り組み再開を公約したのです。

逆に言えば、古典にはそれだけの魅力があります。

18年ぶりの古典挑戦のお題は「抜け雀」だったそうです。

文枝は古典をこれからはやっていきたいと意欲を示しています。

いい話ですね。

SWA誕生

新作派、三遊亭圓丈が大活躍をした後、これでも落語はいいんだと安心したのでしょう。

何人もの新作派噺家が誕生しました。

落語集団「SWA」を名乗った林家彦いち 三遊亭白鳥 春風亭昇太 柳家喬太郎たちです。

それぞれが古典落語をやるものの、従来のいわゆる落語のワクからは大きく踏み出しています。

喬太郎が今の人気を得たのは、師匠柳家さん喬がいうように、新作落語があったことは間違いがありません。

彦いち、白鳥、昇太の3人も三遊亭圓丈が切り開いてくれた路線の後を追いかけたということがいえるのではないでしょうか。

それぞれの師匠が聞き、なんじゃこりゃと唖然としたという話も伝わっています。

しかしAIが世界を牛耳っているこの時代に、舞台が全て江戸の長屋というのもおかしな話かもしれません。

いわゆるニューウェーブと呼ばれるこの噺家達が新しい客層を開拓したことは間違いがないのです。

とにかくウケろ。

理屈なんかいらない。

任侠流山動物園:白鳥作 (柳家喬太郎)などはいつ聞いても愉快な噺です。

このように新作の流れは今日とめることはできません。

いくつかあげておきましょう。

三遊亭圓丈   グリコ少年
三遊亭圓丈   悲しみは埼玉へ向けて
柳家喬太郎 夜の慣用句
柳家喬太郎 午後の保健室
柳家喬太郎   母恋いくらげ
柳家喬太郎 寿司屋水滸伝
三遊亭白鳥   プチフランソワ2号
三遊亭白鳥   マキシム・ド・のん兵衛
桂文枝         効果音の効果は効果的だったのかどうか
桂文枝         くもんもん式学習塾
春風亭昇太 愛犬チャッピー
立川志の輔 親の顔

いずれも三遊亭圓丈の影響を強く受けた作風のものばかりです。

youtubeにはたくさんこの傾向のものがあります。

一度聞いてみてはいかがでしょうか。

あまりにも従来の落語の概念とは違うものばかりなので、きっと驚くと思います。

これらの中には今や古典となりつつあるものもあります。

そうした意味で、落語の持っている包容力の広さには驚かされます。

新作についてはどこかでもう一度書きましょう。

内容が多岐にわたるため、この内容だけではまとめきれなくなりました。

桂文楽の言葉

ぼくの大好きな本の一つに『べけんや・我が師、桂文楽』があります。

著者は柳家小満ん

年 photo

著者は桂文楽に一目惚れして落語の世界へ飛び込みました。

今でも玄人好みの噺家として通人の間では大変に人気があります。

名人、桂文楽とずっと生活し、その暮らしぶりをつぶさに見てきた人です。

タイトルの「べけんや」は文楽の造語。

いやあ、それはべけんやですなという使い方をします。

意味があるようなないような…。

昭和46年8月31日。

国立小劇場での「落語研究会」において、登場人物の名前が出てこなくなりました。

肝臓機能がかなり悪化していたのです。

「大仏餅」という噺で中に登場する「神谷幸右衛門」という名前がでてきませんでした。

その瞬間「まことに申しわけございません、勉強し直してまいります」と深々と頭をさげてしまいました。

これが伝説の文楽最後の高座です。

その名人がいつも言っていた言葉がこれです。

はじめていただいたヒラメのお刺身は、ありがたさも手伝ってか、終日その味を思い出し確かめていたものです。

「うまいかい」「はい」「うまいとおもったら、それが芸ですよ」

八代目桂文楽の言葉です。

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なんという味わいでしょう。

落語という芸の持つ奥深さをしみじみと感じます

最後までお読みいただきありがとうございました。

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