左甚五郎
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
アマチュア落語家でもあります。
かれこれ、15年のキャリアになりました。
その間に稽古した噺は100をはるかに超えています。
今すぐこの場でやれと言われたら、10~20くらいでしょうか。
落語はとても難しいです。
最初は甘くみていましたが、とんでもないということがよくわかりました。
どれくらい稽古したらいいのか、よくわかりません。
ある人によれば、いくら稽古をしてもうまくはならないそうです。
それよりもお客様のまえで、実際に演じてみる。
その方が、場の空気と間を読めるようになるといいます。
仕事を持っている身としては、月に1度か2度、高座にあがるのがせいぜいでしょう。
それでも今までに随分と場数を踏んできたことになります。
よく落語家は今日のお客は重いという表現を使います。
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いつもなら受けて笑ってくれるところでも、静かなままということもあります。
そういう時は、はやく高座を下りたくなります。
とても座布団に座って話しているのがつらいのです。
そうした経験を重ねて、次第に場を掴む力が作られていくのでしょう。
落語の中には甚五郎噺と呼ばれるジャンルがあります。
いわゆる名工伝です。
ご存知ですね。
江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人です。
日光東照宮の眠り猫が1番有名でしょうか。
本当に実在したのかどうかも、はつきりとはわかりません。
甚五郎という人は名人だけに、どこか一風かわったところがあったようです。
しかし仕事をさせればすごいものを彫り上げます。
そのギャップが面白いんですね。
やっていても楽しいです。
抜け雀
落語にはいくつも名人伝があります。
しかしどれも主人公が左甚五郎だというワケではありません。
全く名前を名乗らない主人公の噺もあります。
しかし系譜としては、甚五郎伝そのものです。
有名な「抜け雀」などは全く主人公が誰かということを言いません。
登場人物は彫物師ではなく、浪人者の狩野派の絵師です。
酒を1日に3升飲み、一文無しで旅をしています。
泊まった宿屋の支払いができず、部屋にあった衝立に絵を描いて借金の代わりにしようというのです。
当然、宿屋の主人は断りますが、無理に描いて置いていきます。
ところがこの衝立に描いた雀が毎朝、エサをついばみに抜け出ていくのです。
これが評判になり、おんぼろ旅館が、みるみる間に大きくなります。
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これが噺の発端です。
ぼくの好きな落語の1つですね。
30分はかかりますが、いつでもやれます。
ある日、品のある老人が宿屋を訪ねます。
雀が飛びしたのをみて、この鳥は死ぬと予言するのです。
その理由は止まり木がないから、鳥が疲れて死ぬのだといいます。
仕方なく、止まり木を描いてもらうあたりから、噺は佳境に入ります。
この老人は文無しの絵描きの父親でした。
後に立派な侍になってやってきた浪人者の絵師は、父が描いた籠をみて絶句します。
あなたは立派になって親孝行ですね、と宿屋の主人がいうと、
「いや、わたしは親不孝者だ。この絵をみろ。父を駕籠かきにした」というのが下げです。
籠描きと駕籠かきを使った掛詞のオチなのです。
竹の水仙
この噺は「抜け雀」と導入部分が全く同じです。
ただし主人公は左甚五郎です。
酒をたらふく飲み、宿賃が払えません。
そこで裏の竹林へいって竹を何本か切ってきます。
それで水仙を彫るのです。
これに朝、水をやれというので、半信半疑で水をやっていると、この水仙が美しく咲いたのです。
そこへたまたま長州の毛利の大名行列が通りかかります。
側用人が宿を訪ね、値を聞きます。
主人は二階に上がり、いくらで売ったらいいかと男にきくと、大名だから200両で売ってこいと言うのです。
買おうとした客は法外な値段に怒って帰ってしまいます。
ところが毛利の殿様はあれほどの水仙が彫れるのは、左甚五郎しかいないと見抜き、なぜ買ってこなかったとむしろ叱責する始末です。
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この後、甚五郎は旅を続ける、という噺につながります。
半ば変人のように描写した方が、みなさん、喜ぶようですね。
彼が大黒を彫る噺も、続編のようにしてやったりします。
もちろん、とんでもない値段をつけますが、大店の三井の番頭はいつできるかわからない大黒のために手付金を100両も置いていきます。
この時も大工仲間から半分ばかにされて、板を削る仕事しかさせてもらえません。
しかし甚五郎が削った木はあわせた途端、貼りついたようになってもう剥がれないのです。
それを見た棟梁は、その技術が並々でないことを見抜き、二階に居候をさせます。
このあたりの表現がぼくは大好きです。
「三井の大黒」という題の落語です。
桂三木助のがいいですね。
ねずみ
甚五郎が仙台に行った時のこの噺を時々、ぼくもやります。
これは変人というより、人情家の横顔をもった噺です。
江戸からやってきた来た甚五郎が子供に呼び止められます。
客引きをしているのです。
偶然、仙台で一番小さな宿屋「ねずみ屋」というところに泊まります。
もとは向いにある仙台で一番大きな「虎屋」の主だった人の話を、問わず語りに聞くことになりました。
後添いにしていた女性が番頭とグルになって、店をのっとったというのです。
そこで甚五郎は何か彫ってあげようと言うことになり、屋号にちなんだ小さなねずみを彫り上げて去っていきます。
その後、木のねずみが動くという噂が広まって、宿屋に客が押し寄せます。
このあたりは「抜け雀」と同じ作り方ですね。
虎屋の主は怒って仙台一の彫り師に虎を彫ってもらうのです。
それをねずみ屋が見える向かいの二階に据え付けます。
すると動いていたねずみが、ピタリと止まってしまいました。
慌てて宿の主人は甚五郎に手紙を書きます。
甚五郎は仙台を再び訪れます。
その虎をみて、ねずみに訊ねるのです。
「おまえ、あんな虎が怖いのか」
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するとねずみは「なあんだ、虎だったのか。てっきり猫だと思った」というのがオチです。
しゃれてますね。
ぼくもこの噺は時々やります。
最後に必ずあたたかい拍手をもらえますね。
名人伝には講談とかぶるものが多いです。
高名な父親の跡を継いだ下手な息子が、名工になるまでを描いた『浜野矩随(はまののりゆき)』。
腰元彫りの名人、橫谷宗珉の弟子宗三郎の苦心談『宋珉の滝(そうみんのたき)』などです。
この2つはつい聞き入ってしまいますね。
今回ご紹介した噺は、名工伝の中の傑作です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。