たかが落語されど落語
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
アマチュア落語家でもあります。
今回は数日後に高座にかけるお正月の噺について書かせてください。
毎年、この季節になると呼んでいただくところがあります。
お正月と落語は相性がいいんですね。
初笑いという言葉にもある通りです。
寄席でも、お正月だけは特別興行です。
通常は午後と夕方からの2部構成ですが、それを3部、ところによっては4部構成にしたりします。
いつもなら15分は時間をとれるところ、顔見世興行ですので、平均5~10分。
なかには高座を挨拶しながら素通りするだけなんていう、冗談みたいなのもあります。
それでも獅子舞があったりして実に賑やかです。
毎年、声をかけてくださるところも、楽しい雰囲気で一杯なのです。
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いつも太鼓の音が響いています。
子供達が威勢のいい掛け声とともに、太鼓を叩いてくれ、そのあと高座にあがるという仕掛けなのです。
お正月の噺というのはいくつもあります。
有名なところでいうと、「かつぎや」「七草」「藪入り」「初天神」「一目上がり」「千早振る」などでしょうか。
今までにやった噺を調べてみたら、「初天神」が多かったですね。
聞いたことがありますか。
子どもが縁日の前で駄々をこねるという落語です。
親子の愛情がたっぷりと出ていて、金坊が実に小憎らしくも、かわいいのです。
誰にでもある思い出の風景です。
お正月の天神様の縁日の様子が目の前に浮かびます。
最初は金坊の無茶ぶりに笑っちゃいますが、次の瞬間には、親の気持ちになれるのです。
どこかやさしい父親の目が、この噺を心地いいものにしてくれます。
ぼくも大好きです。
やっていても楽しくなります。
お正月に呼ばれると、あちこちでよく演じてきました。
昨年も初天神だった
調べてみたら、お呼ばれしたところでは、ここ7~8年の間に2度ほどやっていました。
さて問題は今年です。
何を話したらいいのか。
今も少し悩んでいます。
好きなのは「千早振る」ですかね。
以前申年の時は「猿後家」などという、かなりアブナイ噺をしたこともあります。
子どもがいたりすると、「紙入れ」のような艶笑噺はできませんしね。
お正月ですから、やはり縁起のいいものということになります。
「千早振る」という落語をご存知ですか。
このタイトルを聞けば、誰もがあのコミックを思い出すに違いありません。
すごく売れましたね。
映画、テレビ、コミックやその他、なんでもなんでも。
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あらゆる媒体になりました。
あらすじはそんなに複雑なものではありません。
小学6年生の主人公、綾瀬千早は転校生の綿谷新に「自分のことでないと夢にしてはいけない」と諭されます。
新の夢は、競技かるたで名人になることでした。
いつもはおとなしい新が真剣に札をとろうとするその姿に、千早は衝撃を受けます。
そこで、幼なじみの真島太一も巻き込んで練習を積んでいくうち、かるたの魅力に引きこまれていくのです。
全部で50巻です。
大人買いもOKですよ。
難しい噺の代名詞
ここからは落語の「千早振る」についてです。
この噺を聞いたことがありますか。
詳しいことは以前、ブログの記事に書きました。
あらすじなどを含めて、リンクをはっておきます。
読んでいただければ幸いです。
百人一首というのが、お正月らしいですね。
今ではかるたで遊ぶ家がどのくらいあるのでしょうか。
畳の上にひろげて、読み手が一首ずつ和歌を大きな声で朗詠する。
なんともいえない風景です。
それを落語にしようとしたところが、先人の知恵なのかもしれません。
現代の爆笑噺家、柳家権太楼師に『江戸が息づく古典落語50席』という本があります。
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この中に「千早振る」の解説があるのです。
これは落語家の目から見た落語論です。
演じる立場から見た時、この噺はどういう性格を持っているかを示したものです。
それを読んでいるうちに、少し怖くなりました。
プロはお客様とは全く違う視点を持っています。
高座にかけた時、やりやすいのか、やりにくいのか。
それによれば、こんな難しい噺はないと断じています。
「相当の力量がないと、お客様を沸かすことはできません。下手をすればしらけるばかりです」
「昔は私も高座にかけていましたが、難しいので今は遠ざけています」
たくさんのお客を爆笑の渦に巻き込む権太楼師が、怖いと告白しています。
笑ってもらえなかったらどうしようと、考えこんでしまうそうです。
いい味を出すには
これは先代の名人柳家小さんの十八番でした。
誰でもが知っている有名な落語なのです。
それだけに難しい。
亡くなった小三治師匠もよくやっていましたね。
とぼけた味がないとできないのです。
主題は在原業平が詠んだ和歌についてです。
ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは
この歌の説明を町内の先生と呼ばれる人が、無理にこじつけるという噺です。
ばかばかしいといえば、こんなにいい加減な落語もありません。
その噺の流れにのって、たゆたっていくという気分が大切でしょうね。
一緒に遊ぶ感覚がみえないと、何をばかなことをいってるんだとお客に見限られます。
ここが1番怖いところです。
さてここまで書いてきて、本当にやれるのかなとまた不安になりました。
落語は噺家の了見が、全て見破られる話芸です。
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1人でいい気になってその世界におぼれるタイプの噺は、全く受けなくなりました。
その代表が「野ざらし」と「湯屋番」でしょう。
今では演じる人がほとんどいなくなりました。
本当に怖い世界です。
高座にあがってやってみないと、この意味がわからないかもしれません。
ちなみに歌の意味だけは書いておきましょう。
神代の昔にも聞いたことがないことです。
竜田川の水の流れを深紅にくくり染めにするとは。
この歌がどうしてこんなストーリーに大化けするのか。
全く昔の人の想像力には脱帽するのみです。
とにかく無鉄砲に遊びながらやってみます。
うまくいくかどうかは、時の運でしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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