【円楽一門のこれから】三遊亭円丈の著書『御乱心』を再度熟読した

落語

真打昇進は揉め事のタネ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

道楽で落語をやってます。

ここ2年ほどはコロナの影響もあり、随分高座数が減りました。

しかし今年はかなり復活しましたね。

ありがたいことです。

さて六代目三遊亭円楽師がつい先日亡くなられました。

今日は「笑点」で追悼番組を放送するそうです。

亡くなる少し前から、三遊亭圓生の名跡を継ぎたいとかなり発言してました。

記憶にあることと思います。

噺家にとって襲名というのは最大のイベントです。

特に三遊亭にとって圓生という名前は大きいものです。

先代の六代目が亡くなったのが昭和54年9月でした。

それからだれも圓生の名跡を継いでいません。

Photo by Norisa1

今は止め名になっています。

誰が次にこの由緒ある名跡を名乗るのかについては揉め事もありました。

それもこれも全ては落語協会の分裂騒動が発端なのです。

元はといえば、真打の大量昇進問題が原因でした。

本当に力のある人間だけが真打になるべきだとする圓生と当時の会長柳家小さんとの路線問題が引き金だったのです。

昭和53年5月がこの話の始まりです。

真打という言葉をはじめて耳にする人はどれくらいいるでしょうか。

現在は前座が4~5年。

次の二つ目が10年。

その後、真打に昇進するのがだいたいの流れです。

逆ピラミッド

東京の落語家は現在600人を超えています。

そのうちの60%が真打なのです。

二つ目、前座と階級が下がるにつれて、人数が少なくなっていきます。

1度真打になると、階級が降下することはありません。

弟子を持つこともできます。

落語会で1番最後に噺をするトリもとれるようになります。

しかしあまりにもその数が多く、圓生は当時から粗製乱造をしている柳家小さんのやり方に不満がたまっていました。

確かに圓生の言うことももっともなのです。

あまりに芸の拙い噺家を14~15年たったからといって、自動的に真打にしてもいいものかどうか。

ところが当時、二つ目が増えてしまい、動きがとれなくなっていたも事実なのです。

落語協会内部の問題よりも、芸そのものを重視していた圓生は我慢がならなかったのでしょう。

彼を信奉していた古今亭志ん朝を説得し、さらに立川談志、弟子の先代三遊亭円楽をつれて、落語協会を脱退し、新しい落語三遊協会をつくる算段をしました。

ホテルでの記者会見にはたくさんのマスコミが押し寄せ、大きな記事になりました。

しかしその直後に新宿末広亭の席亭が断固認めないという意志表示をしたことから、談志がすぐに身を引きました。

さらに古今亭志ん朝も諦めて、落語協会に戻ったのです。

わずか1日のクーデターでした。

残ったのは圓生とその弟子、円楽などです。

圓生に憧れ、やっと真打披露を終えたばかりの三遊亭円丈は悩み苦しみました。

その時のドキュメントが、彼の著書『御乱心』なのです。

真打とは何か

立川談志が後に落語協会を離れたのも、圓生が小さんと喧嘩別れしたのも、全てこの話が発端です。

もともとは昔、灯が全てロウソクだったため、トリで出演する芸人が最後にロウソクの芯を打ちました。

火を消したのです。

そこから転じて真打と呼ばれるようになった、というのが最も有力な説です。

前座修行から15年程度過ぎた人は真打になれます。

まず逆転はありません。

たまに先輩を飛び越すことがあります。

21人を抜いた春風亭一之輔などは今もその事実をよく宣伝に使われていますね。

するとどうなるか。

噺家の半数が真打だという現在のような逆ピラミッド型のいびつな構造になってしまいます。

それを嫌って試験をした時代もありました。

あるいは10人くらいまとめて真打にした時もあります。

これが絶対というシステムがないというあたりが本音なのかもしれません。

だから真打になってやっとトリがとれると思ったのもつかの間、披露興行の時だけだったという笑えない現実もあります。

どうしてこんなに噺家はこの制度に一喜一憂するのか。

それは香盤(同一協会内の落語家間の序列)と密接に関係しているからです。

人気、実力に関係なく上下関係が決まります。

矛盾しているといっても、これが厳然としたタテ社会の現実です。

抜擢人事で抜いた方も抜かれた、お互いに心中は穏やかではありません。

真打になれば、弟子もとれます

師匠と呼ばれるようにもなります。

昨今では大きなホテルを使って、大々的に披露パーティをやるようにもなりました。

それに続く50日間の披露興行もあります。

もちろん、莫大な費用がかかります。

それでもみな真打になれる日を夢見て精進を続けているのです。

抜かれたものの悔しさ

通常は席亭と協会の幹部で人事を決めます。

だから誰も文句が言えません。

それだけに抜かれた人たちの悔しさが内側に鬱屈していきます。

古今亭菊之丞が真打になった時も、中身を少しだけ食べた弁当をきちんと包装しなおし、それがある幹部に配られたという事件がありました。

春風亭小朝の時はもっとひどかったようです。

羽織を切られたそうです。

嫉妬が渦巻きます。

客にはみえない芸人のもう一つの顔です。

円楽一門は現在も10年かからず真打にしています。

立川談志が生きている頃は、厳然と基準が決まっていました。

彼の目にとまらないかぎり、万年前座だった人もいます。

つまり談志が全てのモノサシだったのです。

ちなみに圓生の弟子だった円丈の『御乱心』というとんでもない本があります。

一時、絶版でした。

圓生を慕い、寄席を愛していただけに、そこに出られない悔しさはどれほどのものだったか。

全て実名で書かれています。

息苦しいほどの迫力です。

彼はこの本を書いたことで、その後の人生が大きく変わったと告白しています。

簡単にいえば、敵が増え、仕事が減りました。

圓生が協会を脱退した直後と亡くなった直後の記述には、迫真の力がこもっています。

長い絶版の期間の後、2018年、ついに文庫化されました。

落語家の書いた本の中では、5本の指に入ると思います。

ノンフィクションとしての重さがあります。

本当に師匠を尊敬し、落語を愛していただけに、破門を宣告された時の様子は胸をつくものがあります。

あれから長い歳月が経ちました。

登場人物の多くはもう鬼籍に入っています。

いまだに落語界にはその時の余韻が残っているのです。

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六代目円楽の死去した現在、この一門はどのような道をたどるのでしょうか。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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