【落語家・柳家喜多八・たけのこ】飄々とした語り口は天下一品だった

落語

飄逸な噺家

2016年5月。

もう4年も前の話です。

柳家喜多八師が亡くなりました。

今までに隋分たくさんの落語家を見てきました。

亡くなった人も多いです。

しかし喜多八師匠の訃報には驚きました。

すごい喪失感でした。

ショックでしたね。

希望が1つ消えたような気がしました。

身体の具合が悪いのは以前から知ってました。

だんだん痩せて肉が落ち、目のまわりにクマが出ていましたからね。

お酒の飲みすぎだというのは感じていたのです。

飲まない日はなかったようです。

夕暮れになると手持無沙汰でついとよく呟いてました。

その昔、桃月庵白酒がまだ早稲田の学生だった頃、よく高田馬場で喜多八師が酒を飲んでいるところをみかけたそうです。

あんなに毎日酒が飲めるのなら、自分も噺家になろうかと真剣に考え始めたとある本に書いてありました。

それくらい喜多八師匠とお酒の相性はよかったのでしょう。

学習院の出身なので、柳ノ宮喜多八殿下とよく自分で名乗っていました。

66歳という年齢も本来ならこれからというところでしょう。

ぼくはなぜかこの噺家が好きだったのです。

彼は柳派の噺ならなんでも演じました。

好きだったのは泥棒の噺です。

「だくだく」「鈴ヶ森」などの間抜けな泥棒をやったら天下一品でしたね。

師匠柳家小三治のネタはほとんどやりました。

入門の時も父親の仕事が教師だと聞いて断れなかったと小三治師は書いています。

実は彼の父も先生だったのです。

それじゃあ仕方がねえなというところでしょうか。

まくらが楽しかった

落語は最初から本題には入りません。

日常的な話をして気分をほぐしてから本編に入るのです。

喜多八師匠がいつもしていたまくらは何度聞いても楽しかったですね。

ちょっとだけご披露しましょう。

つい笑っちゃう独特の間でした。

今ぁ、ガキの遊びが多すぎるんですよ。

キャーキャー、てめぇらだけで、はしゃいでるんですよね、あいつらは。

そこへいくてぇと、寄席ってのは、唯一の大人の遊び場所でありましてね。

情緒ですよ。風情を味わうとこです。

そういう大人の味わいの分かる方だけが、いらっしゃってる訳でね。

まぁ、言い換えりゃ、友達がいないんだなって方が、寄り集まって来るというそんなところであります。

あたしも芸人ですからね。

笑顔やお世辞が大事なことぐらいはよく知ってるんです。

しかしね。もともと虚弱体質なもんで。

一生懸命やってないワケじゃないんです。

見ている方はどうもやる気がないんじゃないかとおっしゃるんですけど、そうじゃないんです。

あたしも、も少し、しゃっきりしたいんですけどね。

ちゃんとこれでもやってるんです。

でも身体に力が入らない。

そう言いながら、さて本編に入ると、ものすごい迫力がありました。

最初に師匠の噺で覚えたのは「たけのこ」です。

短いです。

しかし実に面白い。

元々は上方の噺です。

米朝師匠がよくやっていました。

これと「やかんなめ」はセットですね。

たけのこのあらすじ

これ可内(べくない)、きょうのおかずは何じゃ。

たけのこでございます。

いずこよりの到来物か。

いえ、隣家のたけのこが、こちらの庭に顔を出しましたんで。

何と、渇しても盗泉の水は飲まずとは古人の戒め。何という事をいたすのか。

首を出せ、ここで成敗してやる。

こう言われて慌てて、可内はまだ掘り取ってはおりませぬと釈明をします。

なぜはやく取らん。あんなものいつまでも放っておけば硬くなる。

思わず主人の顔を見て口をあんぐり。

タテマエとホンネはいつの世にもついて回るものです。

この家の主、実はたけのこが大の好物でした。

EliasSch / Pixabay

待て待て、食べる前に隣のじじいに挨拶だけはしてこい。

どのようにすればよろしいのですか。

不埒にもご当家のたけのこ殿が、わが家の庭に忍び込みました故、無礼千万と手討ちにいたしましたと、申して参れ。

わしは鰹節を用意して待っておる。

可内が隣家へ行ってこの口上を述べると、

隣家の主人は「相分かった。不届き至極なたけのこ、お手討ちはやむなきところだが、亡骸だけはこちらへお下げ渡しを願いたのですが」と一枚上手です。

亡骸を引き渡せとな。可内、もう一度行ってまいれ。

いいかこう言うのだぞといって以下の口上を教えます。

Photo by tablexxnx

既に手遅れにございます。

不埒なたけのこめは、すでに当方にて手討ちにいたしました。

死骸は手厚く、腹(原)のうちに葬り、骨(こつ)は明朝、高野(厠)に納まる手筈になっております。

これはせめてたけのこ殿のお形見でございます、と言って皮をばらまいて来い。

実にシャレのきいた挨拶ですね。

再度、隣家へ行った可内はこれがたけのこ殿のお形見でございますと呟き、皮を撒きます。

隣家の主人の台詞「うーむ、もはやお手討ちに相成ったか。可哀や。かわいや。(皮嫌や)」。

これだけの噺なのです。

長くやっても10分はかかりません。

最後のところの皮嫌やと可愛やのシャレがおわかりになりますか。

落語教育委員会

生前、師匠は不思議な名前の落語会をやっていました。

『落語教育委員会』がそれです。

同名の本もあります。東京書籍、2012年8月刊。

三遊亭歌武蔵師、柳家喬太郎師はいい噺家仲間でした。

今はその抜けたところに三遊亭兼好師匠が入っています。

とにかく喜多八師はレパートリーをたくさん持っていました。

そのそれぞれに味わいがあったことに驚かされます。

芸は一代というのはよく言われる言葉です。

全くその通りだなと思います。

あれだけ稽古して、自分のものにした噺をあっという間に手離してしまう。

寂しい限りです。

だんだん野太い声になっていくと、調子が尻上がりによくなっていきました。

そしてなんともだるそうに高座から降りていくのです。

モットーは「清く、気だるく、美しく」。

本人の筆跡で、墓石にもこの文字が彫られています。

人の一生は夢のようにはかないものですね。

亡くなってわずかしかたちません。

しかし師匠の話をする人が目に見えて減りました。

今日、ずっと「怪談乳房榎」を聞きながら、懐かしくてついこの記事を書いてしまったのです。

芸は一代。

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なんと厳しい言葉でしょうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。

追記

この文章を書いた直後に漫才コンビ米粒写経のサンキュータツオの書いた随筆集を読みました。

『これやこの』がそのタイトルです。(2020年6月刊)

ここに喜多八師匠が最後まで精魂込めた「渋谷らくご」の話が詳しく載っています。

亡くなる直前の記録として、最良のものです。

是非興味のある方は手にとってみてください。

リンクを貼っておきます。

彼の生きざまがこれでもかというくらいに出てきます。

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