【いきものがかり】生命を預かるということの重みは半端じゃない

暮らし

命の重み

みなさん、こんにちは。

ブロガーのすい喬です。

世の中には動物好きの人がたくさんいますね。

犬、猫に限らず、あらゆる生きとし生けるものです。

つい最近も数メートルあるニシキヘビが逃げたとかで、追跡劇が続いていました。

屋根裏に潜んでいたのが、発見されたのはつい最近のことです。

住人は手元にいた他の爬虫類を全部業者に引き取ってもらったとか。

確かに爬虫類好きの人というのも確実に存在します。

最近では街中を歩いていてギョッとすることもありますね。

店の入り口にフクロウがいたりして、よく見ると、生きているのです。

カフェなんです。

フクロウと戯れながらお茶を飲むんでしょうか。

モフモフ系の動物なら、ある程度理解はできますが、どうもフクロウではつっつかれそうで落ち着きません。

動物の話をしているだけで、幸せそうな人もいます。

ちょっと羨ましいくらいです。

ぼくは今まで、動物たちに冷たすぎたかもしれません。

ふとそんなことを考えました。

小さな頃はただ掴まえて、結果としてみんな殺してしまいました。

時に昆虫であったり、魚であったり、鳥だったりしたこともあります。

子供というものは、生き物の魂にまでは着目しません。

残酷で自分勝手なもんです。

せっかく飼うことになったカメや金魚にだって、ほんのきまぐれでエサをやる程度です。

もちろん最初は熱心に、そしてしばらく後にはほとんど忘れて、また外へ飛び出してしまいます。

犬や猫も同様です。

野放しにされてしまうのです。

最後は動物保健センターが引取り、殺処分するところまでいってしまいます。

犬1万頭、猫3万頭がここ数年の平均だとか。

この数字をどう思いますか。

生き物の世話は大変です。

高いお金を出して買うというのが今のスタイルなんですかね。

かつてのように子供が何匹も生まれて困ったなんてことも随分少なくなりました。

それでもなくなったワケではありません。

飼い主の責任は想像以上に重いのです。

小学校の高学年になった頃、ザリガニ取りに熱中したことがありました。

しかしビニール袋いっぱいになった彼らの行き着く先は、結局どこかのどぶあたりがオチでしたね。

可哀そうなことをしました。

蛙の足の皮を剥いてひもにつけ、ひたすら田んぼに垂らすのです。

面白いように取れました。

空では雲雀が鳴いて、今でもその時の風景を思い出します。

人生の中で1番暢気な時代でした。

かわいそう

元々、ぼくの家には犬も猫もいませんでした。

都会の片隅に住んでいた身としては、そんなものが家の周囲にいては厄介千万だったのです。

家のまわりはビルだらけで、人がそれほど住んではいませんでした。

子供の頃からあまり動物といい関係をつくってこなかったのです。

そのことが後年になって人生のちょっとしたツマヅキにもなったような気がします。

幸い、奥様は動物が苦手でした。

自分から生き物を飼う意志がなかったのです。

おかげさまで家の中ではあまり混乱が生じるということはありませんでした。

夫婦の間での動物の好き嫌いは非常に大きな意味を持ちます。

片一方がダメで片一方が大好きとなると、最悪、離婚の危機が訪れます。

これは想像以上に深刻です。


さて都会で暮らしていたことへの反動か、郊外へ引っ越したのを契機として、父親がいろいろと生き物を飼い出しました。

縁日でかったヒヨコが成長して大きなニワトリになったこともありました。

この時はあまりにうるさいので、絞めて食べようとしました。

しかし結局誰も口に入れませんでしたね。

生きていたものを殺すというのは、それくらい大変なことなのです。

しばらく鶏の肉は見るのもイヤでした。

次は金魚です。

これくらいならまだいいです。

彼らの意志でこっちへ寄ってくるということは基本的にないからです。

次はメダカでした。

これは増えましたね。

とてもよくなつくものらしいです。

とんとん水槽をたたくと、確かにそばへ寄ってきました。

その次がセキセイインコです。

これは実にやっかいで、毎日エサをやらないと死んでしまうし、鳥かごの掃除も想像以上に面倒くさかったです。

おまけに羽があちこちに飛びます。

随分と世話をさせられました。

放し飼い

家の中で放し飼いをするということになって、母親はやめてくれと再三懇願したが無駄でしたね。

事態はいよいよ極まったのです。

この鳥は食事をしている時も、頭の上を飛び回ります。

まあ、それくらいしか彼らにやれることはないのです。

同情には値しますけどね。

父親の頭が一番とまりやすいと見えて、そこを常宿にしているうちはよかったです。

ところがどんどん人間に慣れて、たいへんなことになりました。

四六時中、家の中をうろうろしているのです。

一緒になって食卓のものをつまむようになったのはそれからしばらくしてからです。

父親はとても嬉しそうでした。

しかし生き物には寿命というものがあります。

その頃、家庭教師に行っていたのがたまたま獣医さんの家でした。

すぐにみてもらいました。

しかしもう手遅れでしたね。

生き物は最後が大変です。

ペットロスになります。

父親は随分長い間、しょんぼりしていました。

昨今は動物の葬儀を一手に引き受けてくれる会社もあるといいます。

ペットのご葬儀なんでもOKというやつです。

もちろん、お墓の面倒もみてくれるのです。

このレベルになると、やはり犬、猫の類が一番多いでしょうかね。

かみつきガメやワニに異常な愛情を傾ける人もいるかもしれません。

しかし爬虫類や両生類には、やや想像不可能な日常というものがあります。

どうしても一線を画すということになるのです。

犬が苦手

ぼくは犬がどうも苦手です。

こんなことをいうと笑われるかもしれませんが、突然噛みつかれそうな気がするのです。

向こうはどうとも思っていないでしょう。

しかし吠えられるだけで実にまいります。

犬を飼いだしたのはいつでしたか。

ぼくが家を出た直後だったかもしれません。

息子達が家から次々いなくなった腹いせということでもないでしょうが、突然犬が家に登場しました。

今どきのペットとは全く違います。

柴犬です。

当然のことながらどんどん大きくなります。

たまに家に帰ってドアを開けようとするとひどく吠えられるのでまいりました。

時々行くだけなので顔も覚えてもらえません。

傍へいって頭を撫でてやるなどいうことができないのです。

どうも噛みつかれそうで怖いです。

かつての動物王国の主、畑正憲さんとは全く話が違います。

あの人はすごかったですね。

犬やライオンの顔をぺろぺろ舐めちゃうのです。

すごい荒技です。

しかしこの犬もやがて絶命し、その次にまた2代目があらわれました。

彼とも決して良好な関係ではなかったことをここに告白しておきます。

つまりぼくは動物たちにとって、決していい人間ではないのです、

最悪の無視されるべき存在なのかもしれません。

ここでひとつくらいはなにかいい関係はないかと思って過去を振り返りました。

すると、こんなことがあったのです。

家で飼ったインコが死んだ時、これこそが生命の教育だと信じて、近くの小学校の校庭の隅へ埋めにいったことがありました。

あの時は子供達と一緒に合掌をしましたね。

結局ぼくはあの1年間、ずっと生き物係でした。

子供たちが世話をしたのは最初だけです。

仕方がないので毎日、餌箱を吹いて、新聞紙を取り替えてあげました。

罪滅ぼしの意識が少しはあったのかもしれません。

それでも動物愛好家とはほど遠い暮らしをしてきました。

今日はなぜかカンガルーや象のことばかりを考えています。

どういうわけでしょうか。

不思議な1日です。

メダカだけは今も飼ってます。

名前をつけなくていいので、すごく気が楽です。

命のあるものは最後まで面倒をみてあげなくてはなりません。

覚悟がいります。

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本当に大変なのです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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