【落語】百年目はサラリーマン社会・理想の上司像を想わせる人情噺

落語

プロの覚悟

みなさん、こんにちは。

アマチュア落語家、すい喬です。

一人前のブロの噺家になるには15年くらいかかると言われています。

しかしそれはここからが始まりですよという合図みたいなもの。

本当に一枚看板になれるまでに、さらに長い修行が必要です。

芸の道は厳しいですね。

ぼくも落語というものを本格的にやり始めてから、既に10年以上が過ぎました。

稽古した噺の数は多いです。

しかし本当に身体に染みこんだ落語はそんなにありません。

腹に入るという言い方をします。

どんな時にでもすぐに喋れるという意味です。

登場人物になりきるということです。

芸人の言葉でいえば、了見が身につき、噺の身体になったということです。

なんの世界も厳しいです。

今日も古今亭菊之丞の本『こういう了見』を読んでいました。

何度目でしょうか。

5回くらいは読んでますね。

この本は彼が入門し、真打ちになったところまでの様子を描いたものです。

失敗も苦しみもみんな書いてあります。

だから何度でも読めます。

どんなに苦労しても、落語だけは手放したくないという気持ちがよく出ています。

古今亭の亭号を取り上げられたら、もうそこで終わり。

だからどんなにつらいことにも耐えてきたという言葉が重いです。

プロの覚悟を感じます。

憧れの噺

今までに稽古したものの、やめた噺はいくつもあります。

いつかやりたいものはなにかと訊かれたら「文七元結」と「百年目」ですかね。

「文七」は少しだけ稽古しました。

しかし途中でストップしたままです。

やろうと思えばなんとかなるような気もします。

左官の長兵衛に50両を貸す佐野槌の女将をご存知ですか。

吉原の大店を切り盛りするこの女将が表現できれば、いつかやれるような気がします。

50両のお金ができなければ、娘を店へ出すよといってキッと長兵衛を睨むときの器量の大きさ。

憧れますね。

台詞を覚えるのは実はそれほど難しくはないのです。

というと語弊がありますね。

もちろん、それはそれで大変なことです。

しかしそれ以上に難しいのは、言葉を超えた人間の表現です。

博打で身を滅ぼしそうな長兵衛。

心配のあまり、自分の身を売って父親の借金を返そうとする娘。

吉原の大店の女将。

いずれも造形が非常に難しいのです。

百年目

もう一つの百年目も難問です。

今までにいろいろな人の噺を聞きました。

最近では柳家さん喬師匠ですかね。

長い噺です。

最低でも40分くらいはかかります。

大旦那、番頭、丁稚、手代、幇間、芸者など多くの登場人物を描きわけ、さらに踊りの素養も必要になります。

力の配分の難しい噺です。

元々は大阪の噺です。

それを三遊亭圓生が東京に移しました。

商家の堅物番頭の表現がとても難しいのです。

店の者に小言を並べる最初のシーンはとにかく番頭の堅物ぶりを際立たせます。

ここの出来が悪いと後半が面白くありません。

下の者に次々と小言を言います。

後半との対比をみせるために大切な場面です。

最後に得意先を回って来ると言い店を出ます。

屋形船が待っている大川へと向かうのです。

番頭は店では律儀な堅物で通っているものの実は大変な遊び人でした。

粋な着物に着替え、大川で屋形船を借り、芸者幇間をあげてどんちゃん騒ぎをします。

ここのシーンは三味線を入れたりして、実に賑やかで楽しいところです。

船を下りると、扇子で目隠しをして芸者を追い回す遊びを始めます。

ところが楽しいことはそう長く続くものではありません。

目隠しされた番頭が、たまたま捕まえたのは、なんと店の旦那でした。

この時の驚きぶりを表現するのが、また難しいのです。

旦那はその場の雰囲気を壊さないよう、静かに去っていきます。

番頭は慌てて店へ戻ります。

二階に床を敷いてもらいそのまま寝込んでしまうのです。

その晩は眠るどころではありません。

謝るか、いっそ夜逃げするか。

まんじりともできませんでした。

翌日、大旦那に呼ばれた番頭は覚悟を決めて部屋へ入ります。

ここからが見せ場です。

旦那の器の大きさが出ないとこの噺は実につまらないのです。

頭ごなしに叱られると思ったら、大旦那は穏やかな口調で普段の働き振りを誉めます。

金は使うときは惜しまず使えと番頭に言うのです。

昨晩帳簿を調べたが番頭さんは自分の金で散財している。

それくらいの器量がないと大きな商いはできません。

わたしも付き合うからこれからもどしどし遊べというありがたい話。

旦那「けど昨日は、妙な挨拶をしたなぁ、お久しぶりでございます。ご無沙汰を申し上げてとか」

番頭「堅いと思われてるあたくしが、あんなざまでお目にかかりましたので、これが百年目だと思いました」

というのがオチになります。

旦那の語源

旦那はけっして怒りません。

実に穏やかに諭していくのです。

こんな台詞が続きます。

旦那の語源は天竺に”しゃくせんだん”(赤栴檀)という木があり、その根元に”なんえんそう”(難莚草)という草が生えているそうだ。

難莚草を取り除くと赤栴檀は枯れ、難莚草は赤栴檀の露を受けて生を営んだとか。

両者の文字を取った“だんなん”が旦那の語源だそうな。

両者は持ちつ持たれつの関係にあったわけだ。

言い換えれば主人の私が赤栴檀で番頭さんが難莚草ということです。

番頭さんの働きに私はいつも感謝しているんですよ。

失礼ながら昨夜、お店の帳簿を調べさせていただきました。

だが何の不審もありませんでした。

すべて番頭さんの甲斐性と分かって改めて見直しました。

これからもよろしくお願いしますよ。

主人に隠れて遊んでいたことが露見して、びくびくしている番頭を上手に諫める情景です。

旦那の持つ器量の大きさを示す最大のシーンなのです。

今の世の中は効率だけが1人歩きをしているようです。

ぼくはこの噺を聞いていると、人間の大きさというものがしみじみ大切だと感じます。

最近では上司と部下の関係になぞらえて、この噺を引用するということも聞きました。

この落語を聞きながら、是非せりふの味わいを噛みしめてください。

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部下に何か訴えたいことがあったら、まずは一歩引くことですね。

相手の立場を想定して優しい言葉をかけてあげる。

それだけで随分人間関係がかわります。

「百年目」という落語は今が一番の旬なのかもしれません。

旦那の言葉の1つ1つが刺さります。

お互いに助け合わなくては店はやっていけない。

それぞれの立場を尊重するという根本が、「しゃくせんだん」と「なんえんそう」の逸話にうまくマッチしていると思います。

人情噺には学ぶべき多くのエッセンスが宿っていますね。

ぜひ、1度味わってみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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