【シルミド・実尾島】韓国修学旅行で知った軍事境界線DMZの現実

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修学旅行

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

コロナ禍で修学旅行が中止になった学校もかなりあると聞きます。

一生に何度もある旅ではありません。

友人と一緒にでかける旅行は、本当にかけがえのない貴重なものです。

ぼくも今まで何度修学旅行に行ったことか。

そういう意味で教師という仕事はかなり特殊ですね。

出発するまでの準備は本当に大変です。

旅行代理店の担当者と最終確認するまでの長い時間を考えると、頭が痛くなってきます。

1番のポイントは行き先です。

昨今は飛行機もOKですから、相当遠くまで行けます。

ただし公立には費用と時間の上限もあります。

その厳しい条件の中から見積りをしてもらいます。

ヒアリングのために何社もの人に来てもらって説明を受けるのです。

最初の頃は京都、奈良もありました。

しかしこれは中学校でも行っているというのでもう少し遠方へという希望が圧倒的でした。

萩、津和野、山口、九州、四国、さらに沖縄、北海道、八幡平へのスキー修学旅行というのもありました。

1番何度も出かけたのは沖縄ですね。

担当者になると、実踏といって、教員2人くらいで行くこともあれば、代理店の人と一緒に下見に出かけることもあります。

他学年の旅行に参加させてもらうこともあるのです。

全体の流れをすべて見て把握するにはこれが最も手っ取り早い方法です。

教師として最後に出かけたのは韓国への修学旅行でした。

外国へ行くことはかなりのリスクを背負っています。

しかしそれだけに得るものも多いのです。

公立ですから、時間制限の中での制限を伴います。

その間に姉妹校との交流会、観劇、博物館訪問、自由時間と内容は多彩なのです。

DMZ

外国人の生徒が多いこともあり、外国へ行くことにはなんの抵抗もありませんでした。

ただし出発するまでの業務は煩雑でしたね。

パスポートが日本のものでないケースもかなりあり、大使館とのやり取りが大変でした。

韓国と国交のない国というのも当然あります。

希望者は板門店まで行くというオプションもありましたので、下調べは念入りにやらなければならなかったのです。

ぼく自身、韓国へは朴政権の時に行っています。

編集記者時代の仕事ででした。

当時は夜間外出禁止だったのです。

高速道路で戦闘機の発着訓練をしている時代でした。

それに比べれば、今は随分落ち着いています。

しかしDMZ(非武装地帯)まで行ったのは初めてでした。

軍事境界線から南北2キロずつに渡っています。

休戦以来50年間、このエリアには人の往来が全くありません。

しかし過去にはこの境界を越えて韓国へ侵攻した事件もあったのです。

ドラ展望台という最北端の場所からは北朝鮮が1番近くで見られます。

宣伝用の村など言われると、なんのことかわかりませんね。

この展望台から見える地域にいかにも発展しているかのようなダミーの村が作られているのです。

衝撃的なのは1968年1月、北朝鮮のスパイ31名が限界線を越えてソウルへ侵入した事件の現場を訪れたことです。

目的は大統領官邸の爆破と政府要人の暗殺にありました。

実際に侵入した場所には等身大の生々しい兵士のジオラマが配置されています。

板門店に行った生徒はまた別の緊張を味わったそうです。

通常の観光旅行とは全く違う意義のある旅になったことと思います。

シルミド

修学旅行は無事に終わりました。

圧巻だったのは、ソウル市内の自由時間を最大限にとったことです。

ハングルを授業で習っている生徒、韓国人の生徒などもかなりいたので、なるべく彼らの行動を制限しませんでした。

教員は空港で待機することにしたのです。

もし乗り遅れたら、帰りの飛行機は自費だというのが効いたのかもしれません。

全員、時間前にきちんと集合しました。

生徒に対する信頼感が、十分に出来上がっていたからこそ実現したのです。

帰ってきてから韓国関連の本を何冊も読みました。

中には『シルミド』のような衝撃的な内容のものもありました。

この話は読んでいてつらく、しかし現実はこうなのだろうと十分に予想されるものでもあったのです。

北朝鮮兵士は青瓦台に1kmまで迫ったそうです。

北朝鮮軍が米軍監視下の中、青瓦台付近まで侵攻したというのは信じられない事実です。

大半の兵士は銃撃戦の最中に死に、そのうちの1人は生きて北朝鮮軍に戻りました。

英雄になったと言われています。

韓国に残った1人は牧師になったのだとか。

これも分断国家の横顔そのものです。

しかしここからがまさに歴史の事実です。

その直後、すぐに韓国軍も全く同じ計画を練ったのです。

これが両国のおかれた現実だったのでしょう。

大統領の怒り

朴正煕大統領の怒りは傍で見ていられないほどだったと言います。

その直後に反攻の計画を練らなければ、KCIAの威信が丸潰れだったということもあります。

大統領の命令に従わなければ、中央情報局のトップ達の首そのものが危なかったのです。

彼らは自らの保身のために、同じような計画を策定しました。

つまり目には目をの論理です。

これが生きている政治そのものなのです。

その時は金日成主席の居留地がわからず、そのことにも朴大統領は怒ったと言われています。

特別なルートを使って米国CIAに頼み、スパイ衛星などを使ってやっとのことで居場所を探し出したそうです。

その後はまさにシルミド(実尾島)と呼ばれる無人島での特別訓練が続いたのです。

結局この作戦は苛酷な訓練の後中止され、たくさんの悲劇が生まれました。

後に映画化され、韓国人の4人に1人は見たと言われています。

映画では死刑囚などを集めて訓練をしたとされていますが、実際は志願兵でした。

その時のKCIA長官は密かに殺されてもいます。

この作戦の結果は悲劇と呼ぶしかありません。

関心のある人は少し調べてみて下さい。

これが現実の政治というものなのでしょう。

南北4キロにまたがる軍事境界線は全く人が立ち入らず、自然がそのままになっているといいます。

夕方から朝まで対峙して警備し続けるのが、両軍の今の姿です。

大陸の冬は乾いていてとても寒いのです。

身を切られるというのがまさに正確な表現でしょう。

一晩中、境界線を警備し続ける兵士にはどちらかといえば、裕福な家庭の子弟をあてるのだといいます。

そうでないと、まさかとは思われますが北朝鮮に亡命してしまう怖れもないワケではありません。

韓国の首都ソウルは、あまりにも北朝鮮国境に近いです。

そのことは車で走ってみればよくわかります。

北朝鮮から韓国へ侵攻するためのトンネルも今までに4本確認されています。

地下45m~150m、全長2キロに及ぶものです。

それくらいに首都ソウルは国境に近接しています。

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近くて遠い国同士がいつになったら統一するのか。

あまりにも両者の意識が隔絶しているようにも見えるのもまた紛れもない現実なのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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