【日本人の宗教観】無宗教の方が平和的だという意見にYesかNoか

学び

日本人の宗教観

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は非常に難しいテーマを考えます。

ズバリ、宗教です。

小論文の課題として扱うのはかなり厄介ですね。

入試の問題として成立するのかどうか。

微妙な判断が必要になります。

現代人の生活にとって宗教が本当に必要なのか、それとも必要ではないのか。

正面からこのテーマで出題した学校は、過去にそれほど多くはありません。

私学の場合は、宗教教育を前面に出しているところもあります。

公立では一切、宗教に関する授業、行事などをしてはいけないことになっています。

そのため、受験する学校によって、かなり内容が異なることと思われます。

たまたま過去問を扱った本に、宗教に関する課題文がありました。

今回、じっくりと内容を精査したいと考えました。

文章そのものは、それほどに難しい内容ではありません。

しかし、まとめるのはなかなか厄介です。

日本で起こっている事件には、宗教にからむものが多いですね。

多くの一般人がサリンという毒薬で暗殺されたオウム真理教事件もありました.

首相が狙撃されるといった結果を生んだ、宗教二世の問題もあります。

その1つ1つを例としてあげてしまうと、あまりにも内容のまとめ方が煩雑になってしまいます。

ここではあくまでも、一般論を前面に出して、文章を書く工夫をした方がいいでしょう。

ポイントは文化の問題とからめることです。

さらにいえば、道徳観、価値観が宗教とどのような関係にあるのかを、工夫して考えてください。

課題文をそのまま掲載します。

どちらの立場なら、よりまとめやすいのかを考えてみてください。

課題文

日本人は無宗教だとよく言われる。

ある調査によると、日本人の七割以上が特定の宗教を信仰していないと答えたそうだ。

ただ実際には、ほとんどの日本人が宗教的な儀式とかかわっている。

正月には神社へ初詣に行くし、キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝ったりする。

葬式は仏式で行われることが多い。

このように、いくつかの宗教とその時々で都合よく関係する日本人の無節操さは、特定の宗教を信じる外国人の目には、奇異なことに映るようだ。

たとえば、キリスト教でもないのに、クリスマスを祝うのはおかしいというのである。

芥川龍之介の短編小説に『神々の微笑』というのがある。

この中で、日本にキリスト教の布教に来た宣教師に向かって、この国の古い霊の一人だという人物が「いくらキリスト教を日本に広めようとしても、キリスト教の神がこの国で勝つことはできない。

この国の神々の一人に変えられてしまう」といった主旨のことを語る。

つまり、日本は「八百万の神々」の国なので、外国からやってきた神も、うまく取り込まれて、この国の神々の一人にされてしまうということだろう。

ともかく、日本人は昔も今も、特定の宗教をかたくなに信じるようなことはしない。

かといって、神様のような超越的な存在を信じないわけでもない。

こうした宗教とのあいまいなかかわり方を無宗教と呼ぶなら、それでもよいだろう。

無宗教のほうが、無用な宗教対立を生じさせることがないので、よほど平和的なのである。

この課題文に対する設問は、あなたの考えを600字以内で書きなさいというものです。

全体像を俯瞰

この字数ではそれほど深堀りした内容の文章は書けません。

あくまでも全体像を提供するというパターンになるでしょうね。

ただし、あなたが進学したい学校がどのようなスタンスにあるのかを把握しておくことは大切です。

だからといって、その宗教にべったりな内容を書いても、評価はされません。

日本人の宗教観がどのようなものであるのかを、きちんとまとめ、それに対して、自分がどの立場にいるのかということを静かにみつめればいいのです。

無理に迎合することはありません。

むしろ社会学的な位置から全体を俯瞰している筆者の視点を、うまく取り入れていくことに執心してください。

最初にキーワードを探りましょう。

①日本人は宗教的な儀式にはきちんと参加する。

②しかし特定の宗教を信ずる人は少ない。

③日本は八百万の神の国である。

④無宗教な人が多いので、むしろ平和的である。

あなた自身はどうですか。

宗教との結びつきについて訊ねられたら、どのように答えますか。

多くの人は返答に窮するのではないでしょうか。

では仏教徒なのかと言われたら、これも確信を持ってそうだと答えられるのかどうか。

日本で特定の宗教を信じている人がどれくらいいるのか。

これもはっきりした数字はありません。

新興宗教と呼ばれる多くの団体も、高齢化しているという報告があります。

日本人の多くは、明確に特定の宗教を信仰しているわけではないというのが、1番実感に近いのかもしれません。

だからといって、全く無宗教なのかといわれれば、そんなことはないのです。

冠婚葬祭、初詣、七五三、お盆などの行動をみれば、生活に根ざしたいくつかのパターンがあります。

歴史に着目

注目すべきなのは明治時代です。

それ以前の徳川幕府は家と寺の関係を檀家制度の中に織り込みました。

「寺請(てらうけ)制度」と呼ばれるものです。

しかしこれを怖れた明治政府は神道と仏教を切り離す「神仏分離」から「廃仏毀釈」にまで進んでしまったのです。

あまりにこのシステムが進みすぎたために、再び「神仏習合」に舵をきります。

結局、廃仏の政策はうまくいかず、いかにも日本人的な曖昧な決着におさまりました。

いまだに寺と神社が一緒になったような場所も各地にあります。

その果てにさらにキリスト教が加わり、結婚式だけは教会でなどという不思議な風俗も生まれました。

ここで「無宗教は平和的だ」という命題をどう扱うかがポイントになります。

あなたはどちらの立場にたちますか。

正解はどちらでもかまいません。

ただしその証明はあくまで論理的であること。

現代の日本人は宗教をあまり重く扱わないという事実が、日本人をどのように変えたのかというところに着目してください。

大問題だという人は、無宗教はよいことではないという路線にのりましょう。

課題文に賛成な人は、評論家加藤周一が述べている「雑種文化論」を引用しながら、適当にうまく混ぜ合わせていくのが、日本式の方法であるとしましょう。

それでいて平和的にさまざまなことを解決できているのだから、特に問題はないという論点です。

問題があるという人はNoです。

自分勝手な人にやさしくない人間ばかりの世の中になったという視点から入れば、こちらの側になります。

大して問題はなく、日本人社会の統制はとれているという人は課題文に対してYesの方向でまとめてください。

いずれにしても論理がきちんと通っていることが大切です。

600字しかないので、まとめ方は3段落ぐらいで十分です。

とにかく書いてみましょう。

練習あるのみです。

宗教2世などの深刻な問題がでたら、ここにあるような解法の図式では無理です。

再び、その時は態勢を立て直す必要があります。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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