【幸せの基準】セミナーに参加していろいろと考えた【ベトナム編】

学び

幸せの基準

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は数年前、ベトナムの先生方と寝食を共にした時のことを書きます。

2泊3日で教育問題を語り合うセミナーへ行ってきたのです。

ベトナム人3人とぼく1人が同じ部屋でした。

いろいろなことを語り合いましたね。

実にさまざまなことを感じたので、その一端をご紹介しましょう。

今回の企画はJICA(国際協力機構)の招聘事業として行われたものです。

名前は聞いたことがあると思います。

日本の政府開発援助(ODA)を行う実施機関です。

開発途上国への国際協力を行っています。

ぼく自身、何度もお世話になり、マレーシアやシンガポール、アフリカのザンビアなどにも行きました。

関心のある人も多いことと思います。

青年海外協力隊などの活躍もご存知のことでしょう。

国際理解教育の研究会に入っていた関係で、代々木上原にある研修所にもかなり通いました。

八王子の研修所に宿泊したこともあります。

数年前の研修は山中湖畔でのものでした。

圧巻はやはり2日目の討論の時間でしょうか。

ベトナム人の先生方と実に4時間以上も話し合いました。

彼らの国で今問題になっていることと、日本での課題を持ち寄ってディスカッションしたのです。

その中には、いじめや、非行というテーマもありました。

教員同士ですから、悩みはよく似ています。

少しでも生徒に理解をしてもらうための授業のあり方などについても熱心に話し合いました。

自殺の概念

しかしぼくが一番興味を持ったのは、自殺という概念がベトナムにはあまりないということでした。

日本では今年間の自殺者数が3万人を超えています。

交通事故死1万人の実に3倍です。

もちろん熟年世代がもっとも多いのですが、若年層もかなりあります。

しかしベトナムには自殺をする人がいないという事実は、なにを物語っているのでしょう。

推察するに、それだけストレスの少ない社会ということになります。

毎日努力をすれば必ず報われる社会ということを、意味するのかもしれません。

かつての日本にもそんな時代がありました。

誰もが家父長制の中に生き、子供達は父母を尊敬し、ものは少ないながら、その中で自足という観念をもっていました。

bgphotographyllc / Pixabay

全ての人が自分の持っているものの量で納得していたのです。

人を羨む必要もありませんでした。

誰にも何もなかったのです。

それだけの情報もありませんでした。

自分の分を知るとでも言えばいいのでしょうか。

必要以上にものを欲しがらなかったのです。

だから不安の要因はありませんでした。

誰かが何かを持ち始めた時から突然嫉妬が始まったのです。

宮本常一の名著『忘れられた日本人』を読めばそのことがよく理解できます。

現在のように情報がはやく伝わらない分、それぞれの地域性も守られ、独自の文化が形成されていました。

しかし今は違います。

均一な国

日本はどこへ行ってもそれほど変化のない社会になりつつあります。

唯一残っている違いは言葉だけでしょうか。

しかしそれさえもテレビの影響は大変強く、誰もがいわゆる標準語を話すことができるのです。

核家族化が進み、ベトナムでは恥とされている離婚も日本では増大しました。

ストリートチルドレンこそいないものの、逆に心の中が空洞になった青年達が大量に生まれてしまいました。

ちょうどセミナーの最中、子供を遺棄して殺してしまう事件が起こりました。

彼らはなぜこのようなことが起こるのかと訊ねてきます。

日本側は現在の親子関係の難しさをについて説明しました。

しかしそれだけではなかなか納得してくれません。

全く信じられないと言います。

かつてアメリカでも複雑な事件がたくさん起こりました。

ぼく達は眉をひそめて批判したものです。

しかし今日本ではそれと全く同じ状況です。

ちなみにベトナムでは対教師暴力はないそうです。

教師は薄給ではあるものの、人々に尊敬される対象だと言います。

彼らは兼職も許され、家庭教師などで月給の4倍程度は稼ぐといいます。

その意味でなかなかいい職業であるということがいえるのでしょうか。

家から10分ぐらいで職場に行き、午後は2時間の休息を家に戻るといいます。

子供たちと夫婦そろって夕食をとり、さまざまな一日のことを話し合う時が最も楽しい時だと話してくれました。

日本はこれからどうなっていくのでしょうか。

家で飼っている象にのっていた地方の家族の人の写真はとても幸せそうでした。

何が人間にとって幸福なのでしょうか。

学校へ通い、学び、父と母を尊敬し、皆なかよく暮らしていける社会以上に何が必要なのか、あらためて考えてしまいました。

ベトナムの変貌

ベトナムはきっと今のままではいないでしょう。

必ず変化していくはずです。

今やその予兆に満ちています。

ITの急速な普及が、仕事の量を増やしつつあります。

効率重視が蔓延し始めているのです。

彼らに最も近かったい中国の変貌ぶりはどうでしょうか。

アセアンの諸国も大きくかわりました。

日本はどうなのでしょう。

今や疲れ切って、どこへ向かっているのかよくわかりません。

格差社会の現実をみていると、悲しくなります。

最近日本人の目つきが悪くなったといわれています。

この国はもう安全ではなくなりました。

今回のセミナーのスタッフにはボートピープルとして日本の漁船にひろわれ、難民認定の後、日本人に帰化した男性も混じっていました。

その他、日本の大学へ留学中のベトナム人の青年達にも会うことができました。

また一緒に参加した日本人の学生も真面目な人たちばかりでした。

彼らを見ていると、この国も捨てたものではないと感じます。

まっすぐにこのまま成長し続けてくれることをただ祈りたい気持でいっぱいです。

しかし社会はそれほど簡単に受け入れてくれるワケではありません。

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さまざまな試練を彼らに与えることでしょう。

それでも雄々しく生き抜いてほしい。

それが今の率直な気持ちです。

本当に成果のあるいい研修でした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

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