【落語・千両みかんと勝者の呪い】モノの価値ほど判別不能なものはない

落語

花見酒の経済

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はちょっと落語の話をさせてください。

落語と経済学をアレンジしたものを、授業で扱うというのはユニークな発想ですね。

もともと、お金にまつわるネタは落語の中にかなりあります。

代表的な傑作は「花見酒」と「壺算」でしょうか。

かつて『花見酒の経済』という本がありました。

笠信太郎(りゅうしんたろう)という朝日新聞社論説委員の書いた本です。

実にばかばかしい落語ですが、奥には怖さもあります。

ストーリーは単純です。

2人の男が、花見客にお酒を売って儲けようと天秤棒で向島まで酒樽を運びます。

その途中、片方の者が自分の持っていたお金を相棒に払ってお酒を一杯飲みます。

そのお金を渡された相棒が、今度は反対にその貰ったお金で一杯飲むのです。

これを繰り返していったあげく、向島に着いた頃には酒樽が空になっていたというのがオチです。

お酒は完売したものの、儲けは一銭もありませんでした。

この噺はどこにカギがあるのでしょうか。

2人ともいい気持ちで酔っ払ってしまったのですから、それはそれで完結しているのかもしれませんけれど。

経済活動と呼べるものはなんにもしていないのです。

第三者がどこにも出てきません。

「壺算」の方はご自身で調べてみてください。

何回聞いても、どこにツボがあるのかわからなくなります。

ものの値段にまつわる不思議を味わってみてください。

千両みかん

今回は、もう1つの有名な噺『千両みかん』を紹介します。

この噺もつい笑ってしまったあとで、ちょっと怖くなる要素を持っています。

労働経済学の専門家、大竹文雄氏の文章が教科書に所収されていました。

実に面白いので、ここで解説させてもらいます。

元々は上方の噺です。

バージョンがいくつかあります。

千両みかん」は「勝者の呪い」というテーマとも複雑にからみます。

あなたはこの表現をご存知ですか。

「勝者の呪い」とはオークションの奥底に潜む論理です。

「勝者」である落札者は、商品の共通価値を上回る推定額を出したために落札することができたものの、転売をしようとした時、多くのケースで損失を被ってしまうという例が多いのです。

このことを「勝者の呪い」といいます。

当然、入札者の数が多ければ、それだけ落札価格はあがります。

その後に待っている勝者の呪いも強くなるのです。

「千両みかん」は旧暦の6月の話です。

もう真夏です。

ある大店の若旦那が病いになり、名医にみせたところ、心のなかにあるわだかまりを解消すればいいという見立てでした。

そこで番頭が呼び出され、悩みを聞き出そうとします。

その結果はなんと、みかんが食べたいだけなのだとか。

お安い御用だと言いたいところですが、季節が悪すぎました。

暑すぎるのです。

冷蔵施設のない時代です。

どこへいってもみかんなどはありません。

みかんの値段は

番頭はある大きなみかん問屋を訪ねます。

専用の蔵に積んであるというので、さっそく中に入ると、ほとんどのみかんは案の定腐っていました。

なかにたった1つだけ、無事なみかんがあったのです。

値段はなんと1000両とのこと。

それでも息子の命にはかえられないと考え、買うことにしました。

やっとのことでみつけたのを、若旦那は美味しそうに食べ、しだいに血色がよくなっていきます。

その様子を見ながら番頭は、「10房あるから1房100両か」などと計算するのです。

若旦那は7房食べたところで残りの3房を番頭に差し出し、両親に2房、番頭に1房あげるといいます。

3房のうち2房を主人に渡そうと廊下に出たところで、番頭は考えこんでしまいました。

自分の手元には1房100両、すなわち合計300両の値打ちのミカンがある。

いつか暖簾分けしてもらっても、貰える金額は50両がせいぜいだろう。

そこで番頭はみかん3房を携えたまま消えてしまたのです。

逐電です。

消えてしまいました。

オチを聞いた後のお客は、みなしばらくぼんやりしています。

3房のみかんが意味するものとは何でしょうか。

値段と価値

どこかで聞いたことがあるような気がしませんか。

ものの価値と値段とのバランスがあまりにも悪すぎる例ですね。

しかしよくできています。

みかん3房を持ったまま消えてしまう番頭を、あなたは笑ったりできますか。

ひょっとすると、あなた自身も同じことをしているのかもしれないのです。

通常、人間は値段と価値がいつも釣り合うものだと考えています。

しかしそんなに単純なものではないのです。

つい最近もこんな例がありました。

ドジャーズの大谷選手がベースに滑り込んだとき、ユニフォーム前面のロゴの下部分が土で汚れたそうです。

その泥だらけのが、チャリティオークションに出されたそうです。

実に1500万円を超える値段で落札されたとか。

常識的に考えたら、絶対にありえない話ですね。

これが価値と値段の乖離です。

典型的なパターンです。

実際にオークションで競り落とした人は、喜んだでしょうね。

しかしその後にやってくるのが、いわゆる「勝者の呪い」なのです。

もちろん、転売をする気がなければ、この呪いは消えてしまうかもしれません。

ひとたび、売ろうとすると、本当に買ったときと同じ値段になるのかどうか。

結果は誰にもわかりません。

モノの価値は人によって違うのです。

これが1番難しい、経済の原理そのもののメカニズムです。

モノを持っている人は、市場価格よりもそのモノに対する私的価値が大きいからこそ保有しているのです。

経済の唯一の原点です。

言われてみれば当たり前かもしれません。

しかし完全にそのメカニズムを理解しているのかどうか。

文章を引用させてください。

私的価値とは

「千両みかん」の笑いのポイントは、個人特有のものやサービスに対する私的価値と共通価値を混同してしまうところである。

私たちは、ある品物の価値と言われると、即座にいくらで売れるかという価格のことを思い浮かべる。

そういう意味で、価格と価値は同じものだと考えることが多い。

この番頭も、この場合の千両という価格は、大旦那の私的価値と等しいが共通価値ではないのに、価格といえば共通価値と同じだと思い込んでしまったのだ。

しかし、少し考えてみればわかるが価格と価値、特に私的価値は異なるものだ。

特殊な場合には、私的価値に近い価格で取引が行われることがある。

千両みかんの場合は、買い手が一人でどうしてもほしい、という状態なので、売り手は買い手が買ってもいいぎりぎりの値段で売ることができる。

言ってみれば、ネットオークションで一番高い値段をつけた人に売るようなものだ。

もっとも高い値段をつけた人が買っているのだから、転売しようとすれば、必ずそれより低い値段しかつかないはずだ。

銀行は信用が命です。

だからこそ、簡単には倒産しない銀行であることを示すために、多くの銀行が中心街に立派な建物の本店や支店を建てるのです。

みかんは千両の価値が本当にあったのかどうか。

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あなたも少し考えてみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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