転失気
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
今回は落語のネタを書きます。
知ったかぶりをする人間の横顔を見事に描いた失敗噺です。
しかし単純に笑い飛ばすことはできません。
誰にも覚えがあるからです。
つい知らないということが言えないものです。
悲しいですね。
いい恰好をしてしまうのです。
あとでしまったと思った時は、もう遅いのです。
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どこかで辻褄をあわせなくてはなりません。
しかしなかなかこれがうまくいかないのです。
とんだ失敗をして、後から大笑いをされるという10分足らずの小咄です。
ぼくも随分やりました。
主人公はお寺の和尚さんです。
知らないということが言えない人なのです。
体調がすぐれないので医者に往診に来てもらいました。
ところがこの医者「ところでご住持、てんしきはございますかな」と訊ねました。
てんしきという言葉を初めて聞き、「それはなんのことですか」と訊けばよかったのです。
しかし知らないとはいえず、「ございません」とつい答えてしまいます。
小坊主の珍念
医者が帰ったあと、珍念を呼びます。
門前の花屋さんへ行って、「てんしき」を借りてきなさいというのです。
当然、珍念も知りません。
「この前、教えただろ。全くおまえはなんでもすぐに忘れるヤツだ」
「また教えてやってもよいが、それではお前のためにならんからな」
花屋さんもてんしきなどというものを知りません。
ふろしきと間違えるくらいです。
しかし知らないともいえないので、ごまかしてしまいます。
家にも「てんしき」が2つあったけれど、床の間に飾っておいたら、みごとなてんしきだというので、お土産にあげちゃったとか。
もう1つは味噌汁の身にして食べちゃったというのです。
結局「てんしき」が何なのか、珍念にはわかりませんでした。
結果を和尚に話すと、それじゃあ、お医者さんに行って薬をもらうついでに、お前の腹から出たものとして、訊いてみろというのです。
あたっていればそれでよし、違っていたら、答えを教えてあげるというのです。
「どうして教えてくれないんですか」
「お前はもの忘れがひどいから、あえて教えてはやらんのだ」
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和尚さんはあくまでも強気にとぼけます。
仕方なく医者に訊ねたところ、やっと判明しました。
転失気とは「気を転(まろ)び失う」と書き、屁のことであるというのです。
はじめ珍念はバカにされたのかと思いました。
しかし『傷寒論』という古い中国の漢方の本に書いてあるというのです。
ここではじめて和尚さんが、言葉の意味を知らなかったことに気づきます。
ということは花屋さんも知らなかったのです。
おならを味噌汁の身にするというのはどういう意味なんでしょう。
レシピが知りたいとつい呟いてしまいます。
呑む酒の器
和尚が「てんしき」を知らないことを悟った珍念は、寺に帰って「『てんしき』とはさかずきのことです」と嘘を言います。
知ったかぶりの和尚は「その通りだ。『呑む酒の器』と書く」と答えたのです。
呑むという字は「てん」、酒は「しゅ」。
てんしゅきを縮めていえば「てんしき」です。
和尚さん、「これから来客の折は、大事にしている『呑酒器(てんしき)』を見てもらおう」と言い出す始末です。
珍念は舌を出して、和尚さんをバカにします。
それから数日して、医師がふたたび寺に問診に訪れます。
そこで和尚は「実は『てんしき』がありました」と言います。
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たまにはあった方がいいんですと医者がいうと、先生のところでは夕飯の折などにやったりとったりなさるんでしょうねと和尚が訊きます。
「いや、家内は女ですから、台所の隅などで」
「いやあ、食事の時などに堂々と」
話がちっとも噛み合いません。
そこで和尚は「自慢の『てんしき』をお目にかけましょう」と言って医師を再び驚かせました。
「実は当寺に13代伝わる三つ組の『てんしき』がありましてな、桐の箱に入れてあるんです。」
これには医者もびっくり仰天。
「ふたを開けた途端に臭うでしょうな」
「いやいや、今朝も洗って拭きましたので」
珍念は笑いをこらえかねながら、桐の箱を運び入れ、ふたを取ってみせます。
知ったかぶりの最後
持ってきたてんしきを見て、「これは盃ではありませんか」と医者が問います。
「これは当寺に13代続いているてんしきでして」
「寺方では盃のことをてんしきというのですか」
「違うんですか」
「医学の方では転失気と書きまして、おならのことをいいますが。博識の和尚におならがでますかとも訊けないので、てんしきはありますかと言ったんです」
ここで和尚は珍念に一杯食わされたことを知ります。
和尚が「こんなことで人をだまして恥ずかしいと思わないのか」と珍念を叱ると…。
「ええ、屁とも思いません」
これがこの小咄のオチです。
いろいろなオチの形がありますが、今まで聞いてきた中では、このパターンが1番多いようです。
本当にマンガのような噺です。
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しかしただ笑うことはできません。
人間の1番弱いところを鋭くついているからです。
どんな人間でもつい知ったかぶりをしてしまうものです。
そのとき、それは何ですかと訊ける人間は本当に強いですね。
しかし悲しいことにそれがなかなかできません。
そのわずかな隙間をついた話だから、なおいっそう身につまされるのです。
これがてんしきのレベルだったので、まだよかったです。
最近の会話にはIT技術の専門用語や、横文字もたくさん入ってきます。
知らないのについ知っているなんて口にした途端、話は一気に複雑になります。
とんだ恥をかくこともあるでしょう。
身につまされる前座噺です。
知らないことはきちんと知らないといえる人間が、1番強いのです。
どこにもでもある怖い内容に満ちた噺です。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。