【老子・タオの思想】なぜいまこの思想家にこれほど心が惹かれるのか

老子

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

中国の思想家の中で有名な人はと言われたら、誰の名前が最初に出てくるでしょうか。

やはり孔子ですかね。

なんいっても儒教の名著『論語』は大ベストセラーです。

人生で迷ったら、まずこの本を開けといわれています。

昔の日本では、寺子屋と呼ばれた町の塾で、『論語』の素読みをしました。

意味も分からず、子供たちは声を出して、この本を読んだのです。

とにかく覚えなさい。

意味はあとからついてくる。

それが当時の教え方でした。

この書物の特徴は社会の中にどっぷりと身体をつけながら、社会の横顔を眺めるところにあります。

つまり生きていくための方法論がたくさん書かれているのです。

高校でも『論語』はかなりやります。

しかし同じ思想書でも『老子』となると、あまり扱いません。

もちろん全く勉強しないワケではないのです。

このブログでも代表的な彼の考え方を示した話を紹介しています。

『漁父の辞』がそれです。

屈原という男の生きざまを描いた短編ですが、そこには老子の思想がよくみてとれます。

最後のところにサイトをリンクしておきます。

ぜひ読んでみてください。

タオの思想

老子は、中国春秋時代に生きた哲学者です。

道教という教えがあります。

彼がその始祖なのです。

老子は紀元前6世紀の人物とされています。

しかし正確なことはわかっていません。

本当に実在したかどうかも確認されていないのです。

もしかしたら、老子は中国人の心の中にある共同幻想なのかもしれません。

このような考えをもつ人がいてもいいなという、希望の象徴でもあります。

孔子が社会の中を苦しみながら生き抜こうとしたとすると、その反対側にいたのがまさに老子なのです。

彼はつねに社会の外から世の中を見ていました。

俯瞰しているといってもいいかもしれません。

ある意味で第三者的です。

それだけ冷静なのです。

その思想の根本は「道」です。

人為を排除した自然の状態が理想なのです。

一切をあるがままに捉えることでより良い社会になり、生きることができるという考え方です。

だからけっして無理をしません。

一切を自然のままに生き抜こうとします。

今日ほど複雑な世の中はありません。

どのように生きていったらいいのか、みんな悩んでいます。

そういう時に、老子の考えがじわじわと効いてくるのです。

いままでの方法論がまるで通じなくなった、ということがありますね。

コロナ禍で苦しみ、さらにコロナ後を見据えて生きていかなければなりません。

そのときに有効なのが、まさに老子の教えなのです。

道は中国語で「タオ」と呼びます。

老子の思想を「タオイズム」というのは、そこから来ているのです。

生きる方向

今の時代、小手先の知恵ではどうにもなりません。

もっと大きく物事を俯瞰し、どのように生きていくことが最も幸せなことなのかを考えなくてはならないのです。

突然、戦争が起こったり、隣国からロケット弾が飛んできたりします。

そのたびに怯えていたのでは、とても生きてはいけません。

人間は生まれたら、誰でも幸せになる権利があるのです。

しかしそれをどうやって実現したらいいのか、わからなくなっています。

そもそも何が幸せなのかも見えません。

今の日本をみれば、それがよくわかります。

高度経済成長を成し遂げた団塊の世代が一線から去り、その次の世代が活躍する時代になっています。

しかしここ数十年、次の目標がなんであるのかを見極められないのが現状です。

ひたすら経済を成長させればいいという時代は終わりました。

これからは人々の幸せを、より追求しなければなりません。

AIの時代になり、通信環境は飛躍的な発展を遂げています。

本来なら、他者の心の襞にもっと分け入ってコミュニケーションがとれてもいいはずなのです。

しかし現実は反対です。

人間関係は冷えてしまいました。

SNSがかえって人の心を離反させているのです。

こんな時代に老子の思想のどこを参考にしたらいいのか。

少し考えてみる必要があります。

たくさんの本が出版されていますね。

そこには彼の心の声が滲み出ています。

人間の価値

老子は本当に欲しいもの以外は見るなと説いています。

聖人は腹の為にして目の為にせず。

故に彼を去りて此を取る。

世の中にはたくさんの仕掛けがあります。

人間の欲望をこれでもかと刺激してくるのです。

しかしそういうものに惑わされてはなりません。

本当に好きなものを一途に目指して精進する。

自分の内側を充実させれば、自ずと喜びもやってくるのです。

それが1人の立派な人間を作り上げます。

そういう人間はけっして自慢などしません。

つねに謙虚です。

生きる喜びがそこにあるからです。

自分の価値観の芯が狂っていなければ、それでいいのです。

うわべの華やかさに心惑わされた途端、人は不幸になります。

本当に自分に必要なものは何であるのか。

それを冷静にみてとることです。

命を削って欲望を満たしても、結局疲れを覚えるだけです。

人間の愚かさ全開ですね。

あと少しと欲張ったとき、人は急に不幸になります。

なぜそれほどに欲しがるのかという、老子の根本の考え方こそが道の思想です。

欲望は確かに生きる意欲に繋がるかもしれません。

しかしそれが原因で不幸も舞い込んできます。

小欲知足こそが生きるための知恵でしょうね。

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老子について書かれた、いろいろな本を読んでみてください。

今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

【漁父の辞・屈原】世俗から身を引くことを図る老荘思想の流れ
屈原の『漁父の辞』は今もよく読まれています。ここには老荘思想の影響が色濃く残っているのです。魚は清らかな水の中では生きられません。世俗の塵埃にまみれながら、なんとか生き抜くのが普通の暮らしなのです。それとも理想に生きるべきなのでしょうか。

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