センス抜群
みなさん、こんにちは。
元都立高校国語科教師、すい喬です。
久しぶりに『枕草子』を取り上げます。
なかでも1番面白い「ものづくし」の段です。
このエッセイが平安時代の中期頃に書かれたということはご存知ですよね。
『方丈記』『徒然草』と並ぶ、日本三大随筆のうちの1つです。
作者は中宮定子に仕えた女房、清少納言です。
この時代は同じ一条天皇の中宮彰子に仕えた紫式部もいました。
考えてみれば、すごい話です。
日本を代表する随筆家と小説家が同じ天皇の中宮にそれぞれ雇われていたのです。
これだけでも特筆ものです。
『枕草子』は、約300の章段で構成されています。
学校でもいろいろとやったことと思います。
序段にあたる「春はあけぼの」などは中学校でも勉強しますね。
特徴的なのは、同じ種類の話を集めた章段があることです。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/10/サイレント_1571003393-1024x535.jpg)
「山は」「河は」などものづくしでまとまっているのです。
なかでも「すさまじきもの」の段は彼女のセンスにあわないものが、これでもかというくらい並べられています。
この部分を読んでいると、『源氏物語』を書いた紫式部とは全くタイプの違う人だったということがよくわかります。
「もののあはれ」を中心とした紫式部の静かな文学に比べて、『枕草子』はもっと華やかです。
知的なウイットに満ち溢れています。
俗に「をかしの文学」と呼ばれるのは、そんなところに由来しているのでしょう。
とにかく独特の美学に支えられています。
自分の気にくわないものは一切ダメ。
好奇心をくすぐられるものだけが大好きなのです。
これくらいわかりやすい人はいないかもしれません。
すさまじきもの
すさまじという言葉がどういう意味かわかりますか。
今使っている表現の意味とは全く違います。
一言でいえば、「興覚めなもの」です。
現代のすさまじいは程度が甚だしくて怖ろしいことを言います。
ところが中世では不調和からくる興覚めな気分のことをさします。
わかりやすくいえばしらけちゃうものです。
彼女はちっともおもしろくないものを列挙しました。
逆からみれば、ここにあげられたことの反対側に彼女の熱中できるものがあるのです。
まさに「をかし」の世界です。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/11/undraw_both_sides_hbv3-1024x672.png)
清少納言は不調和を嫌いました。
いけてないのが1番イヤだったのです。
それなのに調子にのっている人などを見るのは最悪だったのでしょう。
原文を読んでみましょう。
わからない意味の言葉も出てきますが、まず読んでみましょう。
原文
すさまじきもの。
昼ほゆる犬、春の網代。
三、四月の紅梅の衣。
牛死にたる牛飼ひ。
児亡くなりたる産屋。
火起こさぬ炭櫃・地下炉。
博士のうち続き女子産ませたる。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/11/book-774837_640.jpg)
方違へに行きたるに、饗せぬ所。
まいて、節分などは、いとすさまじ。
験者の、物の怪調ずとて、いみじうしたり顔に、独鈷や数珠などを持たせ、蝉の声しぼり出だして誦み居たれど、いささか去りげもなく、護法も憑かねば、集まり居、念じたるに、男も女も、あやしと思ふに、時の変はるまで誦み極じて、
「さらに憑かれず。立ちね。」
とて、数珠取り返して、
「あな、いな験なしや。」
とうち言ひて、額より上ざまにさくり上げ、あくびおのれうちして、寄り臥しぬる。
いみじう眠たしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起こしてせめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。
現代語訳
興ざめなもの。
昼間吠える犬。春の網代。
三月、四月の紅梅がさねの着物。
牛が死んだ牛飼い。
子どもが亡くなった産屋。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/12/undraw_book_reading_kx9s-1024x686.png)
火を起こさない灰櫃・地下炉。
博士の家に続いて女の子ばかりが生まれること。
方違えに行っても、もてなしをしてくれない家。
まして、節分などのように方違えの習慣がある時にもてなしをしてくれないのは、本当に興ざめです。
修験者が、物の怪を調伏をするといって、たいそう得意そうな顔つきで、独鈷や数珠を持ち、蝉のような声をしぼり出してお経を読んでいる様子。
しかし全く物の怪が退散しそうになく、護法童子がのりうつってもこないので、家の者が全員集まり座って祈願していたのに男も女も、変だと思っていると、
修験者が時の移るまで長々と祈祷をしてくたびれはててしまうのを見ているのもつらくて白けます。
「全く護法童子が憑かない。立ってしまえ。」
といって、数珠を取り返して、
「あぁ、あまり験がないな」と言って、額から上の方に髪をかき上げて、あくびを自分でして、寄りかかって寝てしまったりするのは、最悪なものです。
たいへん眠たいと思っていたところ、よく知らない人が、自分を起こして無理に話しかけてくるのも、たいそううんざりします。
何が興ざめなのか
1番は昼間吠える犬です。
犬は番犬です。
だから夜に吠えて欲しいのです。
怪しい盗人がいたら、すぐに知らせなくてはなりません。
それなのにどうでもいい昼間にいくら吠えても意味はありません。
その後に続く記述は本当にどうしようもないという状況ばかりです。
昔、博士になれるのは男と決まっていました。
文章博士などいうのは今でいえば漢文の先生です。
つまり男だけに許された仕事だったのです。
それなのに女ばかりが続けて生まれてしまう家。
これは困りものです。
その他、春の網代の文章の意味がわかりますか。
網代とは湖や川に柴や竹を細かく立て並べ、魚を簀の中に誘い込んで獲る仕掛けのことを言います。
冬にする漁業の仕掛けを春になってもほったらかしにしているのです。
だから興ざめをするという意味です。
3月、4月の紅梅の衣は梅の季節が過ぎたのに、まだ梅の柄の衣を着ていること。
季節外れだからこれも興ざめします。
「児亡くなりたる産屋」や「火をおこさない囲炉裏」は目的を失った無用の長物で無意味ですね。
方違え(かたたがえ)は昔の風習です。
![](https://suikyoblog.com/wp-content/uploads/2019/09/未来_1569841087-1024x682.jpg)
方角が悪いところへ引っ越しや旅をする時は目的地へ直接行かずに別の場所へ行きます。
かつては方位をものすごく気にしたのです。
出かける時には必ずその日の吉凶を調べたのです。
具合の悪い時は一度別の方角へ向かうなんて、今では考えられません。
そこで泊ったりもてなしを受けてから、最初の目的の場所へ移動しました。
方違えでやって来たお客には必ずもてなしをするのが当然だったのです。
自分もいつ他の家の世話になるかわかりませんからね。
節分の日は今でも恵方巻きを食べるなどという習慣が残っています。
陰陽道は生活の1部でした。
後半に出てくる修験者みたいな人は今でもいそうな気がします。
今風に言ったら占星術の占い師でしょうか。
悪い気を取り去ってくれるとかいうのに、変な声ばかりをだして、やがてそれにも疲れ、結局はなんにもならなかったというバカげた話です。
どれもこれも白けるものばかり。
今の時代とは具体的な内容は違っても、やってることは同じです。
人間はちっとも進歩してませんね。
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。