【コミュニケーション力と沈黙】発信力の確かさが人間的な魅力の核

発信力の確かさ

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回はコミュニケーション力について考えてみましょう。

齋藤孝の『コミュニケーション力』(岩波新書)という本を知っていますか。

大変に読みやすい本です。

やさしく書いてあります。

しかし内容は深いです。

読みながら、沈黙の意味についても隋分と考えてしまいました。

今の時代に必要なものは何ですかと訊ねると、誰もが発信力だと答えます。

全くその通りですね。

相手の話をきちんと聞き、そして的確に打ち返す。

この力量がないと、生きていけません。

就職試験などの面接でもっとも重視されるのがコミュニケーション能力なのです。

相手の目を見て、深く共感する。

そして相槌をうち、返答をする。

これができれば、どの会社にも勤められます。

知的能力に差がなければ、最後は人間力です。

AIにできない仕事というのはまさにそれでしょう。

いくら人工知能が優れているといっても、相手の心の中を察しながら、言葉に抑揚をつけて打ち返すというのは難しいのです。

それができるのは人間だけです。

しかしコミュニケーション能力とは饒舌であることを意味しません。

よくアナウンサーなどで、立て板に水のような話し方を得意とする人がいます。

あれは一種の芸に過ぎません。

いくら流暢に話していても、1人芸をみせられているだけで、疲れがたまっていくだけです。

沈黙は金

最後はたくさんの言葉より、沈黙なのかもしれません。

1番の力を持っているような気がします。

これは間違いがありません。

あるいはアイコンタクトでしょうか。

目の強さということをしきりに思います。

目は口ほどにものを言うという表現がありますね。

人は感情を目の奥に貯めこむものです。

サッカーの選手がかつてこんなことを話していました。

少しくらい遠くに離れていても、目でまず合図を送ってから、ボールを蹴るそうです。

3D_Maennchen / Pixabay

これがサッカーの基本テクニックなのだとか。

気持ちを相手に伝える手段は目です。

目の光にはものすごい力があります。

日常生活の中でも、まず目を見て話すということが大切です。

自分が相手を気にしているのだということを伝える重要な手段になるのです。

さらには身体のやわらかさでしょうか。

野口体操の例を持ち出すまでもなく、身体がある程度柔らかい状態にあれば、同じ話をしても伝達のスピードは格段に速いといいます。

とくに笑顔があふれ、相槌をごく自然に打てる関係があると、話はポイントを押さえながら先へ進むのです。

斎藤孝さんは聞き手の身体が硬い時には、一分程度体操をして柔らかく解きほぐしてから講演を始めるそうです。

落語と同じ

落語もまさにそうです。

高座にあがっていきなり本題に入ってしまうと、お客は気分が硬いままです。

そこで必要なのがマクラなのです。

身辺にあったことなどを短く漫談風におしゃべりします。

落語家の気分とお客の気分とが重なったところで落語の本題に入るのです。

そうすると、ごく自然に笑いが出ます。

みんな笑いたいのです。

しかしそれを止めさせていた何かがあります。

瓶の蓋みたいなものです。

それをはずしてあげる。

そうすると一気に笑いがはじけ出します。

この緩急のうまさが落語の評価にも直結するのです。

場の空気をあたためると言います。

自分の前に出た演者が場を冷やしてしまったのでやりにくかったなどという話もよく聞きます。

その反対もありです。

授業も同じですね。

伸びをしよう、首をぐるっと何度か回してみよう。

geralt / Pixabay

そんなことを何度か促した記憶があります。

身体をあたためることが大切なのです。

すると、今までの冷えた場内の雰囲気が、一気にあたたまります。

教える側のテンションの高さは、すぐ相手にも伝わるのです。

さらにはいつも上機嫌でいるということもコミュニケーションのためには大切です。

楽しそうに喋ることが基本です。

先生が楽しそうに話してくれたことは、生徒の胸に残ります。

その楽しさが伝染するのです。

話し手は自分から笑ってはいけません。

大真面目な顔で面白い話をするのです。

エンカウンターゲーム

ぼくが一番興味を持ったのは「偏愛メモ」を持ってエンカウンターをするというゲームの話でした。

エンカウンターというのは出会いと訳しています。

全く知らない人同士が打ち解けあうために用意されたゲームがいくつもあります。

自分の好きなものやことを紙に書き、それを互いに覗き込みながら、自己紹介をする出会いゲームもその1つです。

これをするとあっという間に互いの緊張がほぐれ、仲良くなります。

国際交流などのアトラクションで何度もやりました。

これなどは新しい出会いをするたびに実践してみる価値が大いにありそうです。

漫然と話をしてもあまり面白くありません。

互いの興味のありかをみつめながら話を進めるのがいいのです。

さらには「ところで話はかわるけど…」などといって話の腰を折ってはいけないという忠告も参考になりました。

889520 / Pixabay

これを連発する人がいますね。

あれは興ざめです。

そうではなくて自然に話を滑らし、展開していくテクニックを身につけなくてはならないのです。

人間は誰かと通じ合っていなければ、とても生きてはいけない悲しい存在です。

それだけにコミュニケーション力を持つということが、どれほど大切なことであるのかということがよくわかるはずです。

実際に使えそうなところから、まず試みてみたいものです。

当たり前の話もありましたが、なんでもやってみた方がいいです。

その人の周囲にたくさん人が集まるのには、ちゃんと理由があります。

そのヒミツを探っていきましょう。

それが究極のコミュニケーション能力なのです。

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大いに自分自身を磨こうじゃありませんか。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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