【韓非子】才ある者が世に出たあと地位をキープするのが難しいワケは

人の本質

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は韓非子を学びましょう。

韓非は中国思想史の全盛期に生まれた政治家です。

彼の著書『韓非子』は説話から教訓を引いたものが多いです。

権力の扱い方とそれを保持することの難しさについて説いています。

現実主義的な「法家」の代表格です。

韓非は性悪説を説く儒家の荀子に学んだといわれています。

誤った行いを礼による徳化で矯正するとした荀子の考えに対し、法によって抑えるべきだと最後まで主張しました。

韓非は「逆鱗」ということについて語っています。

耳にしたことがありますよね。

逆鱗に触れるという表現をよく使います。

元々は天子を怒らせてしまうという意味です。

そこから目上の人に激しく叱責される表現に使います。

逆鱗の本来の意味は、穏やかな龍の喉の下に逆さに生えた鱗のことをさします。

それに触れると龍は怒り、相手を殺してしまうのです。

龍とはまさに君主のことでしょう。

十分に注意しながら、権力者に近づけということなのです。

韓非も日ごろから用心し注意深く暮らしていたのです。

後に始皇帝に仕えたものの、同門の李斯にねたまれ、毒をあおいで自害しています。

高校では「守株」「矛盾」など学びます。

人の本性を知ることの難しさをここでは考えてみましょう。

最初に書き下し文を載せます。

1度、声を出して読んでみてください。

書き下し文

隰斯弥(しゅうしび)、田成子に見(まみ)ゆ。

田成子ともに台に登り四望す。

三面皆暢(の)ぶ。

南望は,隰子の家の樹、之を蔽(おお)へり。

田成子亦た言はず。

隰子歸りて、人をして之を伐らしむ。

斧にて離くこと数創にして、隰子之を止(とど)む。

その相室曰はく「何ぞ変ずることの数なるや」と。

隰子曰はく「古者(いにしえ)諺有り

曰はく「淵中の魚を知る者は不祥なり、と。

それ田子は将に大事有らんとす。

而して我、之に微を知るを示さば、我、必ず危ふからん。

樹を伐らざるも未だ罪有らざるなり。

人の言はざる所を知るは、其の罪大なりと。」

乃ち伐らず。

現代語訳


隰斯弥が、斉の権勢家の田成子にお会いしました。

田成子は隰斯弥を伴って、物見台に登り四方を眺めました。

三方向はすべて視野が広がっていたものの、南の眺めだけは隰斯弥の家の樹木が塞いでいたのです。

これは戦略上も、吉凶を占ううえでも、不吉な予感に満ちています。

本来、あってはならないことでした。

しかし田成子は、そのことを隰斯弥に何も言いませんでした。

隰斯弥は、家に帰ってから、早速家人に命じて家の樹木を伐らせようとしました。

だが隰斯弥は何を思ったか、樹木を少しきずつけたところで中止させました。

家老が「何故急にお気が変わりましたか」と尋ねたのです。

すると隰斯弥が言うには、

「昔からこんな諺がある。

淵の中の魚を知る者は不吉だと。

そもそも田成子は今大事をなそうとしておられる。

そんな時に、私が極めて小さなことでも見通すことが出来る男だと言うことを知らせたら、この身は危うくなるだろう。

木を伐らなくても罪にはならないが、人の口に出さないことを悟ってしまうのは罪が大きいと言える。

だから伐らなかったのだと言ったということです。

真意            

隰斯彌は田成子の企みに気付いています。

始めに木を切ろうとしたのは、四方を見渡すことができるようにしよう、と考えたからです。

さらに田成子に謀反の心があると気が付いたなら、彼を殺して口を封じようと考えるでしょう。

暗殺するか、罪に落とすか、手段はいろいろと考えられます。

太公望の後裔である斉を簒奪したのは、もと衛から来た田氏でした。

田成子が心にクーデターの決意を決めていることを隰子は予感しています。

このため楼台からみて障害となる樹木を切ることで、戦いのためにも、吉凶の占いのためにもなくそうと考えたと思われます

しかし、主君の内心の決意を見透かして、木を伐ったなら、田成子はどう思うでしょうか

そこまで深読みができる部下をもつことの怖さを、彼が持つ可能性もあります。

となると、いずれ自分の身の上に、なにかよくないことが起こることもありえます。

つまりクーデターを起こして、政権を転覆する計画を持っていると邪推される怖れもあるのです。

そこまで田成子は見抜く怖い人だと感じていたはずです。

人を知ること

考えてみれば、人の世を生き抜くことくらい難しいものはありません。

多くの会社で行われている人事異動も、全て闇の中です。

政治の世界もそれは同じことです。

誰かが落ちれば誰かがあがる。

そういう世界なのです。

中国の歴史を見てもよくわかりますね。

No2で生き残った人はほとんどいないのです。

大体がその存在を煙たがられて、抹殺されています。

才能があれば、勢いにのって世にでていくことは可能です。

しかし問題はその勢いをずっと保ち続けることなのです。

どれほどの人が三日天下で終わったことか。

漢を興した劉邦を支えたのは何人もの優れた知将達でした。

よく言われるのは、張良、蕭何、韓信の3人です。

この中で生きながらえたのは誰か、ご存知ですか。

主君の性格を見抜き、恩賞を拒み続けた人がいます。

張良です。

信長と秀吉。

近代の中国では毛沢東と周恩来。

いずれも因縁の出会いでした。

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それくらい、人の心を読んで生き残っていくということは難しいのです。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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