【よき友・徒然草】お金では買えない一生の宝【ものくるる友が神】

よき友

みなさん、こんにちは。

元都立高校国語科教師、すい喬です。

今回は友達の話をしましょう。

これくらい難しいテーマはないですね。

友達以上恋人未満とか。

ライン友達とか。

既読スルー専門とか。

友達に対する嫉妬も時にはあるかもしれません。

もっと厄介なケースでは三角関係の発火点などいう物騒なのもあります。

夏目漱石の小説を読むと、ほとんどの主人公が友人関係で悩んでいます。

最後には参禅して、座禅を組むなどというストーリーが出てきたり、自殺をするというのもあります。

それくらい友達との関係は面倒臭いのです。

安部公房にはズバリ『友達』という戯曲があります。

これは不条理演劇の代表です。

突然、友達だと称する人たちが自分の部屋に入り込みはじめ、とうとう主人公がその部屋から追い出されていくまでのドラマです。

なんということもない日常の中で繰り広げられるグロテスクな話です。

しかし見終わった後は、不思議と寒気がします。

戯曲だけでもその味わいはよくわかります。

ちょっと覗いてみて下さい。

さてそれでは実際にどんな友達を持てばいいのでしょうか。

類は友を呼ぶとはうまいことを言ったものです。

似た者同士が集まるんですね。

とかくメダカは群れたがるとも言います。

本当に強い猛獣は群れをなして行動しません。

徒然草

兼好法師の文章が頭の隅にこびりついています。

117段です。

本文をご紹介しましょう。

友とするにわろき者、七つあり。
一つには、高くやんごとなき人。
二つには、若き人。
三つには、病なく身強き人。
四つには、酒を好む人。
五つには、猛く勇める兵(つわもの)。
六つには、虚言(そらごと)する人。
七つには、欲深き人。
よき友三つあり。
一つには、物くるる友。
二つには、医者(くすし)。

三つには、智慧ある友。

口語訳

友とするのに悪い者が七つあります。
一つには、身分が高く高貴な人。
二つには、若い人。
三つには病が無く健康な人。
四つには、酒を好む人。

五つには、猛々しく勇ましい武士。
六つには、嘘をつく人。
七つには、欲の深い人。
よき友は三つです

一つには、物をくれる友。
二つには、医者。

三つには、知恵ある友。

どれも納得ですね。

特にものをくれる友がよいというのはなるほどと思います。

反対の立場から言えば、なかなか人にものをあげるというのは難しいものです。

つい億劫になってしまいます。

しかしこういう日常のちょっとしたことが気軽にできる人が羨ましいです。

相手のことを常に気にかけているということの証しでもあります。

論語

兼好法師はこの段の元ネタをどこから拾ってきたのでしょうか。

『論語』の中にありました。

季氏十六の中に次のような一節があります。

この文章です。

孔子曰、益者三友、損者三友、友直、友諒、友多聞、益矣、友便辟、友善柔、友便佞、損矣。

直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞を友とするは、益なり。

便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。

兼好さんはおそらくこれを自分の身に引き比べて、論じたのでしょう。

簡単な意味だけをちょっと説明します。

cherylholt / Pixabay

有益な友とは、素直で正直である人、誠実な人、見聞が広い人を意味します。

有害な友とは、人に媚びへつらう人、人あたりは良いが誠実でない人、口先ばかりの人をいうのです

友人は慎重に選ぶべきだとの意味が込められています。

「益者三友」という言葉は覚えておいてもいいのではないでしょうか。

兼好法師がどうして、いい友達のトップにものをくれる友達をピックアップしたのか。

誰かに何かをいただいた日に書いたのかもしれません。

彼一流の遊び心がみえますね。

『徒然草』というエッセイは実に味のある書物です。

今から700年も前にこんなことを書いていた人がいたというだけで愉快な気持ちになれます。

授業でやりながら、つい微笑んでしまうことすらありました。

この随筆がこれだけ長い命を保っているという理由も、まさに人間の真実をみごとに描いているからでしょう。

授業の思い出

「友とするにわろき者」という段をやっていると、全くそんなこともあるなあとしみじみ感心してしまうことがよくありました。

若い人、強い人、酒飲みなどとはつきあうのをやめろというのです。

酒飲みなどはすぐに理解ができますね。

何度も酒飲みの修羅場は見ています。

救急車を呼んだこともありました。

ところが若くて強い人の何がいけないのかとなると、これは様々な解釈が可能です。

確かに若くて血気盛んな人というのはつきあっていて疲れることもあるものです。

そういう点が、兼好さんの気分にそぐわなかったのかもしれません。

心静かに暮らすということと正反対の存在であることは確かです。

さてもう一つの面白い話は、つきあってもいい友という話です。

これはもっぱら実用的です。

とくにものをくれる友人を大切にせよという文章は図抜けています。

なるほど、そう言われてみればその通りかもしれません。

今の時代にこういう人がどれくらいいるのでしょうか。

子供などがいれば、少し手を通しただけの衣類などがもらえると、ありがたいかもしれません。

子供はすぐに大きくなってしまうので、ちょっとした貰い物でも大変重宝するのです。

デザインにあまりこだわりがない人のケースでしょうけどね。

今はもっぱらメルカリの方が主流かもしれません。

ここまで考えて、やっぱり何かを他人からもらえるというのは大変嬉しいことに違いはないという結論に達しました。

どんなにものがたくさん余った時代であっても、やはりいただけるというのは、無条件にいいことです。

きっと今も鎌倉時代の昔とかわりはないのかもしれません。

なるほどと、やはり相槌をうちたくなります。

さすがに兼好法師です。

人間はどうやら少しも進歩していないようです。

威張っている人はイヤですね。

経験が浅く、他人の苦しみを知らない人は人の心の痛みがわからないのでこれもちょっと遠ざけておきたいです。

うそをつく人は絶対にダメ。

信用できません。

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嫉妬心が強い人のそばにも寄りたくありませんね。

それならばやはりものをくれる医者や弁護士あたりが友人にはもってこいなのかもしれません。

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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